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オマル師 (Muhammad Omar)

タリバン

パシュトゥ語で「イスラム神学生」の意。アフガニスタンのイスラム原理主義武装勢力。内戦下の1994年夏、オマル師がパキスタンで難民生活を送るイスラム神学生らに呼びかけ結成。96年9月に首都カブールを制圧。ビンラディン氏をかくまったためアメリカ軍の攻撃を受け、12月には最後の拠点カンダハールを明け渡した。

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聖職者会合

アフガニスタンの伝統的な国家意思決定機関。全国から集められた1000人以上のイスラム教聖職者・神学者らがイスラム法に基づき、案件を決定する。9月19日、オマル師の声明がこの会合において代読され、ビンラディン氏の引渡し拒否が言明された。

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カンダハール

アフガニスタン南部の要衝。18世紀には国都となったこともある。住民の大多数はパシュトゥン人。タリバン最後の拠点であったが、12月、オマル師の判断によって明け渡され、事実上タリバンは壊滅した。ちなみに直接の関係はないが、2002年1月、同題の映画 (モフセン・マフマルバフ監督) が封切られて話題を呼んだ。

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ラマダン

イスラム教の断食月。約30日間、日の出から日没まで一切の飲食が禁じられる (日没後は食べてよい) 。喫煙、性交、唾を飲むことも許されない。子どもや病人は免除され、戦場の兵士や妊婦などは後日でよい。アフガニスタンでは2001年は11月16日から。こういう宗教行事的な期間に戦闘行為をどうするか注目されたが、結局、攻撃は続行された。

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北部同盟

反タリバン勢力。旧ソ連と戦ったムジャヒディン (イスラム戦士) 各派が1997年6月に結成。パシュトゥン人 (アフガンにおける多数派) 中心のタリバンに対し、タジク人、ウズベク人 (アフガンにおける少数派) などが中心。アフガニスタンの10%を支配してきたが、9月、最高司令官のマスードが自爆テロで死亡。米軍に協力してタリバンと交戦。

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バーミアン

ヒンドゥークシュ山脈の端、標高2500mの高地にある古の仏都。4〜7世紀ごろに栄えた。1000以上の石窟寺院と巨大な仏像で知られる世界遺産。玄奘三蔵も訪れている。2001年3月、タリバンはこの地の石仏を破壊、国際的な非難を浴びた。

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柳田大元

1964年〜。フリージャーナリスト。著書に「アラスカ最底辺」がある。父は編集者・社会評論家の柳田邦夫、義兄はノンフィクション作家の野村進。10月21日アフガニスタンに潜行するもタリバンに拘束され、生命が危ぶまれていたが、11月無事に解放され、一躍著名人となった。

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イスラム原理主義

イスラム法の即時全面適用、アラブ・イスラム諸国の世俗政権との対決を標榜する過激なイスラム教復古主義運動。1990年代を通じ、アルジェリア、エジプトでテロ主体の武装闘争をつづけた。西欧型民主主義を否定しているため、欧米から強い警戒心をもたれている。

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アミール・ウル・モミンイーン

「信仰者たちの指導者」の意。カンダハールに聖所があり、ムハンマドの外套が納められていた。1996年、オマル師はこの外套をまとって民衆の前に現れ、ムハンマドの末裔であることを示すとともに、アミール・ウル・モミンイーンの称号を得て絶大な権力を手中にした。

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ハミド・カルザイ

アフガニスタン暫定政権の議長 (首相) 。元国王派の有力者でパシュトゥン人。元外務次官。米国で亡命生活を送り、米政府とのつながりも深いとされる。空爆開始後、アフガニスタンに潜入。パシュトゥン人有力者の切り崩し工作をおこなっていた。

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