月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
新語流行語大賞からよむ日本のしくみ
 

明日があるさ

わらわし隊〔1938年のことば〕

〜戦時下の日本を元気づけた〜
航空部隊の「荒鷲」をもじって「わらわし (笑鷲) 隊」と呼ばれる、笑いの慰問団が中国に派遣された。これは吉本興業の一行で、柳家金語楼、三亀松、アチャコ、千歳屋今男、神田ろ山、エンタツとエノスケ、玉松一郎、ミス・ワカナ、のんき節の石田一松など。わらわし隊は各部隊を回り、兵士たちの圧倒的な歓迎をうけた。

ページの先頭へ戻る

ザ・MANZAI〔1981年のことば〕

〜第2次石油危機後の円高不況の日本を元気づけた〜
フジテレビのマンザイ番組名。1981年はMANZAIブームで幕開けした。「少年よ大志を抱け、老人よ墓石を抱け」「あっ危ない、その締め方では生き返る」「ブス、ハエがとまれば毒死する」など、従来のタブーに挑戦し、テンポが早く、従来のゆっくりしゃべる“アナログ漫才”に対し“デジタル漫才”などとも呼ばれてた。

ページの先頭へ戻る

テレビ番組「ひょうきん族」から発する各種流行語〔1985年新語流行語大賞受賞語〕

流行語部門・特別功労賞受賞者:横沢 彪 (フジテレビジョン編成局第2制作部)
「ひょうきん族」に代表されるフジテレビのバラエティー番組は、テレビの在り方を変えたと言われる。新・珍・奇な表現と強烈な生命力こそがテレビだという確信で、そこからは、多くの流行語が生み出された。流行語プロデューサー賞とも言える。

ページの先頭へ戻る

こてこて〔1992年版 若者風俗用語より〕

〜バブル崩壊後の日本を元気づけた〜
関西の『吉本新喜劇』で繰り広げられる、えげつなく、しつこいギャグの世界を表現したもの。各役者が個々のパターン化したギャグを連発し、しかも一同がお約束どおりに舞台上でコケるというのが特徴だ。関西では以前からポピュラーな存在だった『吉本新喜劇』だが、ビデオ&LD『吉本ギャグ100連発』が出たことで、その面白さが全国区で認められるようになった。ギャグのパターンとしては、間寛平の「アヘアヘ」、チャーリー浜の「〜じゃあーりませんか」「君たちがいて僕がいる」、島木譲二の「大阪名物パチパチパンチや」などがある。
1991 (平成3) 年の春、新宿で行った3日連続公演も大成功に終わり、この頃からテレビやCMでも引っ張りだことなる。チャーリー浜の「ポケメシ」のほか、スタミナ・ドリンクのCMでは、かのアーノルド・シュワルツェネガーとも共演、大きな話題となった。

ページの先頭へ戻る

「…じゃあ〜りませんか」〔1991年新語流行語大賞受賞語〕

年間大賞受賞者:チャーリー浜
とぼけた表現と演技力、抜群の間合いで、この年最大の流行語となった。30年の“芸歴”から生まれた、計算し尽くされた“ギャグ”との高い評価もあるが、驀進を続ける吉本興業の芸人だから、との皮肉な見方もあった。

ページの先頭へ戻る

吉本商法〔1995年版 社会風俗用語より〕

〜地下暴落で停滞しがちな東京・銀座の街を元気づけた〜
吉本興業が本格的に東京に進出した。東京・銀座にオープンした「銀座七丁目劇場」で、客席は約200。とくに若い女性に人気だ。吉本といえば西川きよし、桂三枝、明石家さんま、島田紳助、間寛平、ダウンタウン、オール阪神・巨人、トミーズらの人気者をはじめ、600人ほどのお笑いタレントを抱えるお笑い界の最大手。東京へなぐり込みをかけた形である。東京発のお笑いがふえることは確実で、東京育ちの関西芸人が輩出する可能性もある。ここで育った芸人は、当然吉本専属となり、人気者が出るたびに吉本興業は太っていくことになる。最大の特徴は、テレビとのタイアップ。小屋で芸を磨き、テレビに頻繁に登場することで全国区の芸人に育てるのが目的だという。すでに同劇場から3本の番組がスタートした。テレビ局も、お笑い番組は安くできて視聴率が取れると歓迎。歌番組が減ってお笑い番組がふえるという傾向が、さらに強まることが予想される。迎え撃つ東京の芸人は戦々恐々、吉本興業の進出に苦い顔をしながらも、ただながめている他はなさそうだ。吉本は大阪と名古屋で四つの劇場を運営しているが、東京についで札幌や仙台にも進出する意向という。東京が最終地点ではなく、さらに東に伸ばしていこうというたくましい関西商魂に、お笑い界の地図は吉本一色に塗りつぶされそうな勢いである。

ページの先頭へ戻る

Re:

(〜に) 返信する〔reply〕の意。ちなみに、Fw:は (〜を) 転送する〔forward〕。

ページの先頭へ戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS