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続・「100年に一度」の危機って?
執筆者 土屋彰久

続・「100年に一度」の危機って?

通貨は多重人格

おカネは、暖かかったり冷たかったり、とかの話じゃありません。いや、そういう話もあるんですけど、ここで言いたいのは、兌換通貨が持っていた兌換通貨であるが故の多重性格が、まるで通貨固有の多重性格であるかのように、中央銀行制の下の不換通貨にも受け継がれた結果、今日のような問題を引き起こしたという点です(→中央銀行・変動相場制)。もちろん、不換通貨の性格も多重的です。そこは、保存性とか、指標性とか、運搬性とか、交換性とか、経済入門のレベルで習う話なんですが、そうした機能面での話ではなく、もっと根本的なレベルでの性質が問題になっていまして、この四つの性格で言えば指標性、交換性に関わってくる問題です。おカネは、商品に値段を付けて取引をするときに、絶対的交換機能と相対的交換機能を果たします。

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相対的交換機能

通貨の絶対的交換機能というのは、100円のチョコを売ると100円の通貨が手に入るというそこまでで、相対的交換機能になると、そうして得た100円でこの次はガムが買えるというところまで行きます。そして、通貨を介して取引をするのは、そもそもはチョコとガムを交換するためであるわけだから、この相対的交換機能こそが、通貨に本来求められる主たる交換機能ということになります。だから、相対的交換機能さえ果たせれば、それで十分という話にもなってきます。で、そうしちゃいました。しかし、それで本当に大丈夫なのかと。→インチキの始まり

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インチキの始まり

兌換通貨は、ある意味、金貨ですので、相対的交換に至らなくても、売り手はけっこう満足できます。昔、異文明間の交易で、金と絹や胡椒が同じ重さで取り引きされたなんて話はよくされますが、絹や胡椒を売った側は、金でまた何かが買えてもいいし(相対的交換まで行く)、交換せずに宝物としてしまっておいても満足できます。これに対して、不換通貨は紙切れですから、一部紙幣マニアは別として、相対的交換に至るか、少なくともそれが確実と思える状況になければ満足はえられません。もちろん、通常は通貨の交換機能は国家によって保証(強制通用力)されていますので、多くの場合は、紙幣マニアでなくとも絶対的交換の段階で満足を得るのが普通になっています。インチキの始まりは、ここにあります。

兌換通貨は、金貨であるが故に、絶対的交換の段階で相手がそれにふさわしい価値を持っているかを厳しく審査する機能を持っており、これが値段を適正化する機能を果たします。不換通貨はこれが実は弱い、というか、場合によっては実に弱いんです。たとえば、通貨政策が緩んでカネ余りになってくると、平気で高値買いができるようになります。これが進むとインフレですね。ここからさらにハイパーインフレに移行して通貨の信用が失われると、そのカネを受け取っても次のものが買えなくなってしまう、つまり相対的交換機能という最も重要な機能が失われてしまうために、通貨はないも同じの状態になり、経済は非効率だけど安心な物々交換に後戻りすることになります。これは、インチキが早くにバレた場合ですが、戦後の先進国はこのような下手はこきませんでした。上手こいて、インチキを続けたんですね。→インチキの途中

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ハイパーインフレ  hyper inflation

ハイパー・インフレーション。物価上昇の速度によって分類されるインフレのうち、超インフレーションともよばれ、物価水準が1年間に数倍以上にまで上昇するという急激なインフレーションのこと。

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インチキの途中

ニクソン・ショック以後かなり長い間、先進国は、なかなか上手こいていたので、先進国の通貨は信用を保ち、絶対的交換機能も相対的交換機能も失われることなく、経済成長を遂げることができました。しかし、通貨を巡る状況は徐々に変質していました。これは、先進各国で進んだ産業構造の高度化、すなわち第三次産業の成長によるものでした。かつて、金本位制の時代には、通貨は天秤の片方の皿に乗る金の重りで、もう片方の皿にモノが載り、それにわずかのサービスが加わるということで釣り合っていました。これが不換通貨に変わった段階で、もう重さのない紙になってしまったわけですから、本当なら天秤の組み替えを考えなければなりませんでした。しかし、通貨制度そのものの持つ交換機能、つまり天秤本体がきちんと機能していれば、片方の皿に載った紙の重りと、もう片方に乗ったモノは、然るべきレートで釣り合うことができました。これは、通貨の規律を保てたからです。しかし、それで十分ではなかったんですね。それは、当初、モノと一緒に皿に載せていたサービスが、見過ごせないほどの大きさになってもなお、モノと同じ皿に載せ続けてしまったことです。その点では、モノとサービスを一緒にしてGDPを計算するという今日までの経済学の常識が、根本的にまちがっていたと言っても過言ではありません(日本の経済学者の99%を敵に回しましたかね:笑)。本当は、サービスの生産量がある程度以上になったら、紙の通貨は皿から降りて天秤本体に徹し、その空いた皿にサービスを載せるべきだったんです、というか、今現在もそうなんです。それをしなかったから、インチキが続けられなかったんです。→インチキの終わり

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インチキの終わり

モノとサービスを同じ皿に載せ続け、もう片方の皿に紙のカネを載せ続けることで、どういうことが可能になり、どういうことが起こったのでしょうか? 簡単にいいますと、モノの生産が増えなくても、サービスを増やせば、もう片方の皿に紙のカネ(マネーサプライ)を積みますことが可能になりました。これは、前後が逆になってもかまいません、それが景気対策ってやつですから。つまり、景気対策と称して金融緩和を行い、マネーサプライを増やします。本当はこれがモノの生産を増やさなければいけないのですが、このスタイルの天秤では、サービスだけが増えても、見た目は釣り合うことになります。お、景気対策、大成功じゃないスか。じゃ、またマネーサプライを増やしましょー。と続けていくと、モノの量は増えないのに、サービスの量とマネーサプライだけは、ガンガン増えて行きます。しかし、サービスは食えません、住めません、衣服のようには着れません。それどころか、その場で消えていくものですから、保存すらできません。つまり、膨れあがったサービスが、その空虚な実体をさらして霞と消えた時に、天秤のバランスは思いっ切り狂ってしまうことになります。今回の経済危機の発端となったのは、アメリカのサブプライムローンでした。アメリカの住宅バブルが、なぜ世界経済危機をもたらすのか? それは、サブプライムローンも一つの金融商品、すなわち「アメリカ国民が生産したサービス」として、皿に積み上げられ、それがもう片方の皿に積み上げられていた日本の金融緩和マネーなどを吸い込んで、アメリカ一国で可能な限界をはるかに超えて膨らんでいったためなんです。→借金は生産活動?

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マネーサプライ  money supply

通貨供給量。銀行以外の民間部門が保有する通貨残高。

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アメリカ版住宅バブル

2008年02月号参照

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借金は生産活動?

一般消費者の生活実感に根ざして言えば、借金なんて出費、マイナス生産以外の何物でもないですよね。ところが経済の世界だと、<金融商品を作って売った>ということで、生産にカウントされてしまうんです。消費者金融の20%金利じゃ、バクチでイカサマでもやらない限り、儲けを出して返すのは無理です。しかし、大銀行なんて、0.1%で日銀からカネを借りてこれるので、これを3%でノンバンクにでも貸し出すだけでサヤが取れます、これ、計算上は銀行が生産したサービスとして皿に載ります。このノンバンクが、こんどはヘッジファンドに出資します。ヘッジファンドが世界の金融市場や先物市場で稼ぎまくって10%の利回りを出して、5%の手数料をもらうと、これはヘッジファンドの儲けになります。この場合、さしあたっての最終生産品は、ヘッジファンドの生み出した10%の利回りで、それを関係者が分け合うという計算になります。そしてこのヘッジファンドの購入した債券の中に、証券化された消費者ローンが含まれていれば、その分の最終生産者は、消費者金融からカネを借りることによって<自分に対する貸金債権という利回り20%の金融商品>を作って売ったその消費者となります。おかしーだろ、借金しただけで生産かよ? おかしーですよね。こんな空虚な<生産>をモノと一緒の皿に積み上げたのがサブプライムローンなんです。これ、今回の経済危機の主役です。で、もう片方の皿に積み上げられたのが日本の超低金利マネー、脇役です。そして<まちがった天秤>が、その舞台となりました。→投機マネーの膨張と金主ニッポン

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ギャンブル資本主義

2005年05月号参照

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ヘッジファンド

2008年02月号参照

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投機マネーの膨張と金主ニッポン

今回の経済危機の根本原因を辿っていくと、結局のところ、中央銀行・変動相場制の構造、すなわち<まちがった天秤>そのものにあったと見るべきで、いつかは来る危機だったと見るべきでしょう。そして、それはいずれにしろ避けられなかったと思います。なぜなら、破綻を避けるためには、その問題点を指摘する声に早期に耳を傾けて然るべき対策を採る必要があるのですが、先進各国において国策に影響力を持つ人々は、圧倒的大多数がこの経済システムの上で成功者となった人々であり、自らの成功の基盤となっているシステムを信奉こそすれ、およそ疑うことなど考えられないためです。だから今でも、この種の成功者達が、テレビその他のメディアで様々な側面からこのシステムを擁護する論陣を張っているわけです。破綻が明らかになってもこれですから、破綻以前では推して知るべきでしょう。しかし、無軌道な日本の金融政策が、このシステムの破綻を早めたというのも事実です。

これは、小泉&竹中からの世界への贈り物ですね。小泉政権は、公共投資削減、規制緩和、福祉削減、高所得者減税といった、いわゆるネオ・リベ政策を強硬に推進しましたが、こうした低・中所得層に負担を集中させる政策がもたらす景気減退効果を相殺するために、ゼロ金利、量的緩和政策といった金融緩和政策により、資金だけジャブジャブと市場に注ぎ込みました。このカネは、ゼロ金利で日銀から出ていく時には、<健全な投資マネー>の顔をして出ていくわけですが、このような政策は内需を冷え込ませるだけなので、国内に有望な投資先などなく、結局、金利差益を求めてアメリカにどんどん流れていきました。こうしてアメリカの資本市場に入ってきた日本発のゼロ金利マネーは、「資金さえあれば何倍にでもしてみせるぜっ!」てな感じのヘッジファンドに流れて行き、<不健全な投機マネー>にあっという間に変質してしまいました。→破綻を早めた投機マネーの暴走

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破綻を早めた投機マネーの暴走

この投機マネーの暴走が招いた原油高、素材高、食料高が、結局はサブプライムローン破綻の引き金となりました。それが、投資と投機の違いです。投機は売買差益さえ取れればよい、というか、短期の売買差益を取りに行くのが基本ですから、事業拡大が見込まれる事業会社などの実需筋の先回り買いをします。これに対して、投資は有望な会社に事業資金を投資し、その事業が生み出すリターンを取りに行きます。投機マネーが暴走するとどうなるか?事業会社が原材料を調達しようと思っても、《すでに》ヘッジファンドが先回りして買い占めているので高値でしか買えません。そうなれば当然、事業会社の収益は圧迫されます。しかし、原材料が値上がりしたからと言って、事業を止めるわけにもいかないので、コスト高にあえぎながらも事業を続けます。だから需要が一気に消えるわけではないので、すぐには価格は下がりません。さらに、市場規模の問題というのがありまして、現在のところ、世界の金融市場の規模に対して、商品市場は10分の1程度と言われています。なので、金融市場からわずかの資金が流れ込んだだけでも、商品市場は爆騰を演じることになり、それが新たな投機マネーを呼び込むことになります。今は40ドル程度に落ちている石油が、一時は140ドルまで上がり、さらに200ドルまで上がるぞ、などと言われていたのにはこのような背景があります。これでどうなったか? 事業会社、あるいは家計など、実生産の現場がいきなり物価高で収益が悪化してしまいました。そうするとどうなるか? あらゆる金融商品の破綻リスクが高まります。つまり、実体経済が不当な物価高によって毀損することにより、投資環境が悪化するということです。そうなると、投資で回る金融商品がどんどん焦げ付くことになり、信用収縮が起こります。信用収縮が起こると、投機マネーの調達が困難になり、爆騰相場も息切れとなり、世の中から有望な投資対象が消え、金融だけ緩和しても資金を吸収できる(そして、あとで利息を付けて返せる)ところがなくなってしまいます。結局、尻尾に火のついた狐のように、ヘッジファンドは世界中の経済を丸焼けにして、自らも丸焼けになった、というのが事の顛末です。日本の景気対策のための資金が、庶民に流れず、ヘッジファンドに流れて物価高となって返ってきて庶民の生活を圧迫する。ひどい話ですが、小泉がこのメカニズムを理解できていたかどうかは怪しいところです。しかし専門家の竹中は、当然ながらバリバリの確信犯でした。その意味では、今回の経済危機の根っこの一つは竹中だと言ってもいいと思います。もちろん、たっくさんある根っこのうちの一本ですけどね。→金融政策中心主義

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金融政策中心主義

まるでヘッジファンドだけが悪いようですが、投機マネーが規制されない現在のような市場原理万能の自由放任型の経済システムの下では、マネーサプライが一定量を超えれば必然的に起こる現象です。だから、外的規制を採らない、あるいは採れないのなら、マネーサプライを絞る外はありません。ところが、マネーサプライを絞ると景気の足を引っ張ってしまうという問題があります。実は、これが問題であることが問題なんですね。景気調節手段として、金利をいじるだけで済む金融政策中心主義に過度に依存しているから、このようなことになってしまうんです。中央銀行・変動相場制)は、財政政策、金融政策、両方の自由度を高めました。そして、先に採用された財政政策中心主義は放漫財政によって破綻し、次いで採用された金融政策中心主義は、またも規律なき放漫金融によって破綻しました。これは、一部のネオ・リベ論者が声高に繰り返す「一度破綻したケインズ政策回帰の愚を犯すな」という話ではありません。どちらも、<放漫>に至らない間は一定の成果を挙げ、<放漫>に陥った後、破綻したという点では同じです。しかし、<成功>の最中ですら格差拡大と貧困の激化という不幸を生み出し、破綻に至ってさらなる不幸を撒き散らした金融政策中心主義の方が、罪ははるかに大きく、国家が採るべき経済政策としてリスクが大きすぎると言えましょう。現時点で資本主義体制という枠組を前提とするならば、残る選択肢は<放漫でない財政政策中心主義>となるでしょう。ちなみに、定額給付金は<放漫>な財政政策の典型です。その理由は、国民の反対が多いからとか、税金による買収だとかいうところにはありません。給付事務のための追加出費が、まったく非生産的な無駄遣いとなり、財政をさらに圧迫するためです。政府の試算では、給付経費は825億円ということになっています。また、総額2兆円となる定額給付金の景気浮揚効果は、目一杯の計算でGDP換算0.2%ということになっています。その2兆円に対して、約800億円の純粋無駄金の割合は4%です。こーゆー金銭感覚で税金を使うから、借金は際限なく膨らむし、必要なところに回すカネも足りなくなるんですね。

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