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「100年に一度」の危機って?
執筆者 土屋彰久

「100年に一度」の危機って?

100年に一度?

ウソウソ、ウソですって。テレビでもみんな言ってるって? グルなんです、メディアも。100年に一度ということにしておけば、何でもそのせいにできます。100年に一度の経済危機なんだから、内定切ったってええじゃないか。100年に一度なんだから、派遣を切ってもええじゃないか。ボーナス・カットもええじゃないか。賃下げだってええじゃないか。最低賃金守らなくたってええじゃないか。サービス残業だってええじゃないか。名ばかり管理職だってええじゃないか。役員は給与20%カット、平社員は首カットでもええじゃないか。大企業、高所得者は税金カット、一般国民は社会福祉カットでもええじゃないか。投資を呼び込むためなら、外国人投資家が喜ぶ配当はノーカットでもええじゃないか。天下り、渡りは規制カットでええじゃないか。失業手当もカット、生活保護は門前払い、失業者は餓死でも凍死でもすればええじゃないか。教育予算もカット、貧乏人の子は中卒で働きに出ればええじゃないか。教育内容はカット、公立出は浪人すればええじゃないか。金持ちは教育費控除で税金カット、小学校から私立に通えばええじゃないか。

要するに、一般庶民に一方的に我慢を強いるの実に都合がいいんです。100年に一度なんだから、政府の対応が遅れるのはしかたがない。定額給付金とか、経済効率から考えれば明らかなムダ(給付作業費の増加分を埋め合わせる経済効果はない)な政策をやったってしかたがない。75兆の景気対策とか言いながら、大半が借金の保証で、新銀行東京のスキャンダルと同じように、最初から偽装倒産でちょろまかす気の犯罪者が喜ぶだけだってしかたがない。さらに保証枠を逆用して、銀行が貸し剥がしを進めて、中小企業を潰しまくったってしかたがない。そんな銀行に資本注入の追銭をくれたってしかたがない。政府の愚策、無策、失策は、全部、100年に一度のせいにして逃げられるんですね。

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渡り

→2006年09月号参照

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偽装倒産

→2006年02月号参照

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100年に一度の沈没

100年に一度だというなら、それこそ本当に<聖域なき>負担分配で乗り切らなければなりません。船が100年に一度の大波に揉まれているなら、船長だって一等船客だって、みんなバケツ持って水汲むでしょう。今の日本、そーゆー人たち、バケツ持ってますか?下っ端の人間に、バケツが集中してませんか?なんのことはない、上の人間達が、自分はバケツを持ちたくないために、下っ端の人間には100年に一度だと言って、自分の分までバケツを押しつけて、口先だけ、「頑張って水汲めー、100年に一度だから。ちゃんと汲まないと死ぬからねー、死んでも自己責任だよー。」と応援してるだけです。メディアが政府と一緒になって「100年に一度」を繰り返すのは、自分達もまた、バケツを持つ気などさらさらないからです。さてさて、それでは今回の経済危機、一体、何年に一度くらいのものなのかを検証してみることにしましょう。

何年に一度?

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何年に一度?

もったいぶらずに、結論から言います。正味50年、と私は考えています。なぜかというと、理由は三つです。まず一個目、大恐慌からまだ100年経ってません。つまり、100年の間に、大恐慌と今回の経済危機があったわけですから、100年に2回=50年に一回と。だから、「100年に二度」と言い直してもいい。ま、これは半分冗談でして、残り二つがマジメな話です。その一つが、今回の経済危機の根本原因のこれまた基礎にある金融システムが始まってから、まだ50年も経ってないという点です。具体的には、ニクソン・ショックによるブレトン・ウッズ体制(金本位制)の崩壊を受けて、中央銀行・変動相場制が成立したのが1973年で、まだ36年しか経っていません。じゃあ、36年に一回?と言いたくなるかもしれませんが、そこにもう一つの理由が加わります。経済に詳しい人なら、もうピンと来てるかもしれませんが、景気波動の一つで、一番サイクルの長いものが、この50年〜60年の波でして、コンドラチェフの波と呼ばれています。コンドラチェフの波は、イノベーション(技術革新)によって生じるとされており、今回の経済危機は、変動相場制というイノベーションがもたらしたコンドラチェフの波が、一発目の上昇局面を過ぎて、初めてマイナス圏まで突っ込んできたものと解釈できるのではないかということです。

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コンドラチェフの波  Kondratiev's waves

波と言っても景気波動の理論で、物価・利子率・生産量などの動きにみられる50年から60年を周期とする波動。1922年にソ連の経済学者ニコライ・コンドラチェフが発表したので、彼の名前が付きました。

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ブレトン・ウッズ体制

世界経済のブロック化が世界大戦を招いたとの反省から、戦後間もなく連合国各国がブレトン・ウッズに集まり、戦後の新たな国際経済秩序について協議しました。このブレトン・ウッズ協定に基づき、自由貿易主義と固定相場制が採用され、国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD)が設立されました。固定相場制は、兌換通貨であったアメリカ・ドルを基軸通貨と定め、ドル−金の交換比率を35ドル−1オンスとし、各国通貨とドルとの交換比率(為替相場)が定められました。この時に定められた戦後最初のドル−円レートが360円で、これはニクソン・ショックまで続きました。

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ニクソン・ショック  Nixon Shock

ニクソン・ショックと言うと実は二つありまして、一つは外交の方で、中国との国交樹立がそれなんですが、経済の方では、1971年のドル兌換停止宣言がそれです。アメリカは当時、ベトナム戦争の泥沼にはまって財政規律が緩みっぱなしで、裏付けなしにドルの増刷を続けていました。そのため、アメリカからドルが流出を続け、それによりドルの信用が低下したことから、各国は手持ちのドルをどんどん金に替えていきました。中でも、ガッチリしている上にアメリカ嫌いのフランスなどは、ガンガン財務省の金庫から金を運び出して行きました。ここで緊縮財政に転換すれば、ドルを守ることはできたんですが、国内向けの景気対策としても、財政規模を縮小するわけにはいかず、結局、ニクソンはドル防衛の方を放棄しました。まあ、ケインズ政策と兌換通貨は、相性が悪いっつーか、いいっつーか、なんと申しましょうかね。次で簡単に説明しましょう。

ケインズ政策と通貨

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ケインズ政策と通貨

ケインズ政策というのは、国家の信用力で将来の成長分をカタに国民から借金をし、その金で公共事業を行って経済成長を実現し、その成長分で借金を返す、というものです。だから本来は、兌換通貨に縛られた方が健全性が担保されるんです。なぜかというと、将来の成長分が、しっかりと実物の金に相当する分だけ実体化しないといけないからです。そのため、悪しきケインズ政策の典型である放漫財政には、兌換通貨は非常に都合が悪いということになります。これに対して不換通貨の場合、裏付けなく発行が可能、つまり実体的な成長が不足しても、名目は札をすることでごまかせます。そして、それをやると当然、インフレになります。逆に言うと、すでに通貨の増刷によりこの種のインフレを起こしていた場合、潜在的な金保有の不足分はすでに発生しているために、よっぽどの緊縮財政を布かない限り、元には戻れません。ま、それがバレバレになって居直ったのが、ニクソン・ショックですね。

中央銀行・変動相場制

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中央銀行・変動相場制

同じ通貨制度でも、中央銀行制は国内、変動相場制は国際の話なので、通常は別々に論じられます。ですから、現在の国際通貨制度は、一般には頭に「中央銀行」はつけずに、変動相場制、あるいはキングストン体制(会議の地名:ジャマイカの首都)などと呼ばれるのが普通です。歴史的には、中央銀行制の方が早くから各国で採用されていましたが、変動相場制への移行は、国内的には金本位制の放棄と不換通貨制への移行を意味していましたので、不換通貨の管理者となる中央銀行の重要度は以前とは比べものにならないほど高まることになりました。これは要するに、国際通貨制度の拠り所が、金(とそれを裏付けにしたアメリカの中央銀行=FRB:連邦準備銀行、厳密に言うとFRS:連邦準備制度)から、各国の中央銀行に移るということです。ですから、各国の中央銀行がアメリカの中央銀行(とその保有する金)よりもしっかりしていないと、以前よりうまくはいきません。そのことを意識するためには、頭に「中央銀行」をくっつけて、セットで考えた方がいいんですね。そうするとまた、今回の経済危機が各国の中央銀行の失策から始まり、それが世界に広がっていったというメカニズムもわかりやすくなるという仕組みになっています。

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中央銀行制

中央銀行制自体は、金本位制の時代にすでに始まっていました。それでも金本位制の時代には、政府の免許と金保有の裏付けがあれば発券銀行になれたので、必ずしも発券機能を今日のように中央銀行に統一する必要はありませんでした。たとえば日本の場合、いわゆる第一地銀は、かつてはその地域の発券銀行でもありました。しかし、経済が発展してくると、通貨、金利といった金融政策を国家単位で統一する必要が高まり、また通貨の信用度の問題などもあって、各国で発券機能は中央銀行に統一されていきました。このように、信用も金(きん)もある中央銀行が唯一の発券銀行となると、「信用だけで発行しても大丈夫なんじゃないか?」という話が当然、出てきます。実際、金本位制の時代でも、ニクソン・ショック直前の時期(笑)を除けば、どこの国の金も、中央銀行の金庫に眠っていて、ほとんど出し入れされることはありませんでした。なら、金がなくても同じだろ?答えは、イエスでもあり、ノーでもあります。イエスを採れば、通貨は不換通貨となるので発行の自由度は高まります。でも、金の裏付けがあるからこそ信用が得られていると考えると、ノーになります。で、実際、どうなったか?世界はイエスの方を採りました。ただ、無責任な通貨政策が、そこここで輪転機インフレを起こしたことなどもあって、規律が守られなければ大変なことになるということもわかりました、というか、実験しなくてもわかる話ですけどね。また、堅実な国では、中央銀行は金その他資産を保有し続けているので、潜在的な裏付けによって信用を維持しているという側面もあります。こうした各国通貨の底力というのは、通貨危機などをきっかけとして顕在化したりします。ただ、世の中では表の話として、中央銀行が規律を守った通貨政策を採れば大丈夫、ということになり、これまでその前提でやってきました。こ・れ・ま・で。

中央銀行・変動相場制

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輪転機インフレ

大抵の場合、ハイパーインフレの原因はこれです。なんのことはない、通貨発行権限を持った機関(政府とか中央銀行とか)が、資金調達などのために札を刷りまくるだけです。もちろん、裏付け(古典的には金など、近代以降は国民の実生産)なしに札を刷れば、貨幣価値はだだ下がりで、ものの値段はウナギ昇りとなります。でも、輪転機インフレは止まりません。なぜかというと、輪転機で新札を刷っても、その分が市中に出回るまでは物価上昇効果を十分には生じないので、刷りたてのホヤホヤの新札を使う人間だけは、インフレ前の貨幣価値で使うことができるためです。んな、止められるわけないですよね。通常、輪転機インフレは体制崩壊などの政治的要因で終わるのですが、経済理論的には、新札を刷っても紙やインク、輪転機の燃料、作業員といった、再増刷に必要なものを調達できなくなった段階で終わります。

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通貨需要

貨幣経済が当然の前提となっている今日では、取引のために絶対的な通貨需要が国家全体の経済規模に応じて生じます。これは不換通貨でも兌換通貨でも変わりません。だから、実体経済の成長を伴う経済成長期には、金保有高に制約される兌換通貨では、この絶対的通貨需要に応じた通貨供給ができないために、経済成長の足を引っ張ることになります。この点にだけ着目すれば、通貨は金保有の足かせのない不換通貨の方がよいとも言えます。しかし、供給過剰になれば、即インフレになりますので、安易な供給過剰につながる危険性の高い金融政策による景気調節は厳に慎むべき、という考え方が出てきます。これが、原始マネタリズムの考え方ですが、現実に運営可能かについては疑いが持たれています。ただ、このようなマネタリズム的視点から見て、健全な状態で通貨が供給されている状態というのは、世の中に通貨とそれに見合った実生産が同時に発生している状態なので、金の裏付けがなくとも、実生産が代わりに裏付けとなるので、通貨の信用は保たれます。経済成長期というのは、全ての需要が旺盛ですので、マネタリズム的規律の意識などなく供給に多少の前後があっても、通貨と生産はじきに釣り合ってこのような状態に落ち着きます。これで、「イケる」と思いこんでしまったんですね、各国の経済政策担当者は。そして、そこから始まった過ちが今日に至っていると。

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マネタリズム  Monetarism

第2次世界大戦の終わった後から1960年代にかけて、ケインズ的総需要管理政策としての財政政策の重要性が高まっていく中、「貨幣は需要である」ではなくて「貨幣は重要である」として貨幣政策の重要性を主張する経済学として登場したのがマネタリズムです。マネタリズムのベースにあるのは市場メカニズムへの信頼であります。マネタリズムの中心的経済学者はM・フリードマンは、経済には需要管理政策では除去しえない「自然失業率」があって、これ以下に失業率を引き下げるためのどんな試みも、失業の低下をもたらすことはなく、生産の増大をもたらすこともなく、加速的インフレを結果するにすぎないと主張しました。

以下、この話は3月号につづきます。

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