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「宣言」に効き目はあるのでしょうかの現代用語集
 

最近の安全宣言は、じっさいに安全だったか――食と健康編

京都府のSARS安全宣言

2003年5月21日、山田啓二・京都府知事による。内容は、「(台湾人医師の)府内の立ち寄り先からの2次感染の可能性はほとんどなく、安心できる状況」。専門家の意見・調査も踏まえ、当該日から予測される最大潜伏期間を経たこの日の宣言となった。同府内では京都、亀岡、宮津の各市が、それぞれ「安全宣言」した。じっさいその後、これによる感染者はない。

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大阪府のSARS安全宣言

2003年5月23日、太田房江・大阪府知事が安全宣言。台湾人医師の立ち寄ったすべての自治体(関西、四国の2府3県)が「安全宣言」を行った。じっさいその後、これによる感染者はない。

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厚生労働省・農林水産省によるBSE安全宣言

2001年10月18日。タイトルは「牛海綿状脳症(BSE)の疑いのない安全な畜産物の供給について」。 「牛肉や牛乳・乳製品は、もともと安全です。…英国で実施されたBSE感染牛の材料のマウス等への接種試験で…感染が明らかとなった脳、脊髄、眼及び回腸遠位部以外の部分からの感染は認められていません。 牛肉や牛乳・乳製品について不安を抱く方がおられますが、このことを十分 に御理解の上、安心して召し上がってください。」

この宣言に効果があったかは、定かではないが、現在、牛肉消費が一時期より回復しているのは、主として「時間の問題」である。

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文部科学省による牛肉使用安全宣言

2001年11月、「学校給食での牛肉使用のための安全宣言」。文部科学省は、農林水産省と厚生労働省が狂牛病に関する牛の全頭検査を行い、それに基づいて行った「安全宣言」を受け、学校給食における牛肉使用自粛の解除要請を各都道府県教委に通知した。

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レジオネラ菌安全宣言

温泉ブームとともに、レジオネラ菌汚染が、全国的に起こっている。温泉は観光資源だけに、いったんついてしまったネガティブイメージを払拭するのは大変である。基準値オーバーが公表されたり、事故を起こしてしまった温泉地は、“調査に基づいて”「安全宣言」を出しているが、それだけで集客力が回復するとは限らない。株式会社トリリオンでは、ISO9001の認証を取得し、請け負った温泉の消毒。安全・衛生確保などを内容とする「レジオネラ完全安全宣言サービス」を行っている。

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水俣湾魚介類への安全宣言

1974年1月から23年間、水銀汚染魚の拡散防止のため、水俣湾に設置されていた全長4400mの仕切り網は、1997年の魚介類安全宣言とともに完全撤去された。

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杉並病、事実上の安全宣言

いわゆる「杉並病について、東京・杉並区は2000年10月、環境基準測定結果に基づく事実上の安全宣言をしましたが、住民などからは解決を疑われている。

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杉並病

本誌2001年版収録。以下、

1996(平成8)年、東京都杉並区で、新たに操業を始めた不燃ゴミを圧縮し大形コンテナ車に積み換える中継所の近くで、原因不明の目やのどの痛みなど化学物質過敏症と思われる被害を訴える住民が続出した。被害者たちはこの症状を「杉並病」と名づけ、杉並区や東京都に調査とゴミ圧縮の過程で有毒なガスが発生しているのではと、中継施設の運転停止を求めた。住民がとった任意アンケートでは被害者は400人を超える。対応が遅れていた行政だったが、発症から3年目の99年9月、杉並区は調査の結果、「杉並病」と中継施設の相関関係を認めた。2000年3月には都の調査委員会が「原因は中継施設の汚水から発生した硫化水素と施設近くのナフタリン処理した植木の添木から揮発した薬品が被害を及ぼした可能性がある」と発表、さらに7月には東京都環境局が被害者への治療費等の賠償を決めたが、原因物質は初期にしか発生していないとして96年の3〜6月に発症した場合のみを補償の対象としている。排気塔からはダイオキシンを含む数多くの化学物質が検出されているが、抜本的な対策はまだとられていない。

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ダイオキシン汚染騒動に安全宣言

本誌2000年版収録、「テレビ朝日・ダイオキシン報道騒動」より。以下、

テレビのニュース番組で、埼玉県所沢の野菜に付着するダイオキシン濃度が高いとの調査結果を放送したところ、埼玉産の野菜が大暴落してしまった。「事実の報道」と「問題提起」の2本柱をバランスよく伝えることが報道の使命だが、今回は問題提起に重きを置きすぎたために事実の報道に甘さが出てしまった。環境問題報道の難しさもさることながら、テレビ報道の影響力の大きさを改めてみせつけた。テレビ朝日(全国朝日放送、東京都港区)系列の報道番組「ニュースステーション」は、1999(平成11)年2月1日夜、「汚染地の苦悩・農作物は安全か?」と題し、所沢産の野菜のダイオキシン汚染度が高いことを報道した。この放送が視聴者の不安感を煽るところとなり、所沢産だけでなく埼玉産の野菜までが入荷停止や販売停止となって、価格の大暴落が起こってしまった。このデータは民間調査機関である「環境総合研究所」(東京都品川区、青山貞一所長)が独自に調査したもので、「所沢の野菜の葉っぱものから1グラム当たり最高3.80ピコグラム(1ピコは1兆分の1)のダイオキシンが検出された」とする内容。この数値は、厚生省が九七年に全国調査した野菜類のダイオキシン最高濃度の9倍にあたる。ところが9日になって「葉っぱもの」と言われたものは、実は「茶葉」であったことを同局も知らずに報道したことが明らかになった。これは同研究所の調査にサンプルを提供してくれた農家に迷惑がかからないように配慮、あえて「葉っぱもの」と表現したために発生したミスだった。このため、あたかもほうれん草などの野菜が危険であるかのような印象を与えてしまった。18日、同番組の久米宏キャスターは番組内で生産農家に謝罪したものの、局側は誤報ではないとして最後まで訂正放送には応じなかった。番組の意図するところは、2年前に市内の野菜のダイオキシン濃度を調査したにもかかわらず、公開要求を拒絶し続けるJA所沢市に対して情報の開示と行政の緊急調査の必要性を問題提起するものだった。9日になり、JA所沢市(村上起志次組合長)は出し渋っていたダイオキシン調査の結果を公表。平均濃度は厚生省の全国調査の最高値を下回る値(ほうれん草で1グラム当たり0.087−0.43ピコグラム)だった。発表しなかった理由は、国の安全基準がなく、出た数値がいたずらに風評被害を生むのを避けたかったからだという。この公表をもって国と県は「安全宣言」し、混乱も収拾に動いたが価格の混乱は約2カ月間続いた。衆院逓信委員会は、同局の伊藤邦男社長を参考人招致したほか、6月には野田郵政相が「報道に不正確な表現があった」とし、同局を厳重注意する行政指導を行った。所沢の農業生産者有志(376人)は、「価格の暴落は風評被害で、報道は誤報にあたる」と主張。同局の対応に業を煮やし、9月2日、全国朝日放送と環境総合研究所に対し、総額約2億円の損害賠償を求める訴訟を浦和地裁に起こした。抜本的な解決のためには所沢市周辺に異常に集中する産業廃棄物焼却施設をどうにかしなければならない。県外からの流入分が半分近く、その7割が東京のゴミなのである。大量廃棄の産業構造を改めなければ問題は解決しない。

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カイワレ安全宣言

本誌1998年版収録「カイワレ大根とO‐157問題」より。以下、

1996(平成8)年5月から各地で多発した病原性大腸菌O‐157による集団食中毒が大量発生した大阪府堺市の原因食材として、厚生省は同年10月に大阪府羽曳野市のN農園のカイワレ大根の可能性が高いと最終的に指摘した。N農園については大阪府が同年8月に陰性証明書を手渡し、生産・出荷を認めたほか、農水省はカイワレ大根を含む77品目の国産野菜、13品目の輸入野菜についての自主検査結果を11月に最終報告し、安全宣言した。また、10月にはHACCP(ハセップ=危害分析重要管理点)方式を採用したカイワレ大根生産衛生管理マニュアルが作成され、生産者に遵守が義務づけられ、日本かいわれ協会が認証マークをつけることになった。しかし、カイワレ大根の出荷量は同年8月から1年後に至っても激減したままで、生産者の経営危機が深刻化している。こうした中で、日本かいわれ協会が同年12月に、N農園の経営者が97年3月に厚生省を相手どり損害賠償請求を起こした。なお、カイワレ大根種子の消毒法については予備乾燥を導入した75℃5日間の乾熱処理などの有効な方法が開発されている。

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無登録農薬不使用安全宣言

2002年夏〜秋にかけて「安全宣言」が多く出されたのは、当時話題となっていた無登録農薬使用野菜への疑惑に対するものだった。殺虫剤ダイホルタン、プリクトランに関するもので、既収穫分・在庫の全面廃棄処分、残留農薬分析報告等々を内容としている。

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「安全宣言」無効――雪印乳業食中毒事件

本誌2001年版収録。以下、

最大手の「雪印」の製品で、戦後最大規模の食中毒事件が発生。ずさんな衛生管理と欠落した安全意識にメスが入り、改善が施され、「安全宣言」まで出されたのだが、汚染源は別のところにあった。原料の脱脂粉乳だった。実に汚染源がわかるまで約50日を費やした。「食の安全性」への不信感は、乳製品ばかりか、各種食品や医薬品にもひろがり、雪印事件以来1カ月半の間に、自主回収は40件にも達する勢い。この国の衛生事情が大いに問われた。2000(平成12)年6月27日、雪印大阪工場(大阪市都島区)から出荷された低脂肪牛乳を飲んだ消費者から、激しい下痢や吐き気の症状が出たと病院を通して大阪市保健所に苦情が寄せられた。保健所は商品の回収を指示するが、事態を甘くみた雪印は動こうとせず、回収を始めたのは丸2日あとのこと。消費者への情報はさらに遅れた。結局1万4000人を超える史上最大の被害者が出る食中毒事件に発展してしまった。スーパーやコンビニなどで乳製品をはじめとする全雪印商品の撤退が相次ぎ、同社は、11日、全国の工場で製造の操業停止に追い込まれた。大阪工場で生乳をタンクに取り入れるバルブから黄色ブトウ球菌が発見されたため、ここが汚染源と思われた。バルブは定期的に洗浄されていなかったり、返品された製品を30度もある屋外でタンクに戻すなど、とんだ衛生管理が明らかになり、食中毒はこれらによる複合汚染とみられ、雪印乳業のすべての工場で総点検がなされた。そして8月上旬までに22の工場について厚生省お墨付きの「安全宣言」が出され、操業が再開された。にもかかわらず、原因はほかのところにあった。大阪市が8月18日、原材料である脱脂粉乳から黄色ブトウ球菌の毒素を検出した。この脱脂乳は雪印乳業大樹工場(北海道大樹町)で製造されたもので、同工場では、3月31日、生乳を加熱してクリームを分離する過程で3時間の停電が起こり、20度から30度のまま滞留。このため黄色ブトウ球菌が異常増殖し、その毒素エンテロトキシンが発生したのだが、工場では、加熱殺菌処理をすれば、菌は死滅するとの考えから、そのまま製品化。菌は死んだものの、毒素はそのまま残った。毒素が熱に強いことを工場の職員は認識していなかった。工場職員の無知ぶりが批判された。しかも同工場では、45年前、同じ事件が起こっているのだが、停電時のマニュアルも存在せず、教訓がまったく生かされていなかった。エンテロトキシンは、100〜200ナノグラム(1ナノは10億分の1グラム)を摂取すると、嘔吐などの症状が出るとされる。大樹工場は無期限の乳製品製造禁止命令を受けた。事件発覚後の記者会見で真摯な反省に欠ける態度もみせるなど、対応のまずさをみせた石川哲郎社長が7月28日に辞任。同日、新社長の西紘平は「創業的出直し」を掲げ、新経営陣で発足したが、大樹工場が主犯とわかり、出だしからつまずいた恰好。2001年3月期決算が1950年の設立以来初めて赤字に転落する可能性がでてきた。

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「安全宣言」無効――山陽新幹線トンネル壁崩落

1999年6月27日の山陽新幹線・福岡トンネル(小倉〜博多間)における内壁崩落事故に際し、JR西日本は、山陽新幹線全142トンネルの点検・処置ののち、8月「今後10年は安全である」とする安全宣言を行ったが、10月9日、同線北九州トンネル内で類似の事故を繰り返してしまった。

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原発事故安全宣言

本誌2000年版「東海村臨界事故」より。以下、

茨城県東海村にあるジェー・シー・オー(JCO 本社・東京)で発生した、日本の原子力施設としては最悪の事故。1999(平成11)年9月30日午前10時35分ごろ、東海事業所転換試験棟で、日本核燃料サイクル開発センターの高速実験炉「常陽」の燃料用に、U3、O8をUO2粉末に転換するため、ウラン濃縮度18.8%のウラン溶液を沈殿槽に入れる作業中、青い光が発生し、放射線の発生を知らせる警報が鳴った。原因は作業上のミスで、投入量が多すぎ、ウラン溶液が臨界に達したため。

事故直後、敷地境界で最高毎時0.84ミリシーベルト(通常は同0.0002ミリシーベルト程度)の放射線量を検出。事故後も数値が減少せず、中性子が検出され続けたことから、臨界状態が翌1日朝まで続いた。3人の作業従業者が被ばくで入院、うちは2人は8シーベルト以上受けたようでおう吐や下痢もあり重体。隣接のゴルフ練習場の作業員7人、3人の作業員を搬出した救急隊員3人など計49人が被ばく。

鉄道、道路など交通も一時遮断。施設から350m以内の住民約160人(約50世帯)が公共施設に避難。念のため施設から半径10km以内の住民約31万人(10.7万世帯)に外に出ず、屋内退避をするよう要請。半径10km以内の幼稚園、小中高校などが休校。日立製作所の工場などは10月1日休業。周囲1km以内の通行を禁止、農林関係も安全宣言が出るまで収穫を見合わせ、牛乳は出荷停止。内閣と関係省庁、各党に対策本部を設置。原子力事故の国際評価尺度でレベル4。

小渕内閣の改造は、この事故で4日延期された。

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日本住血吸虫病安全宣言

筑後川流域の風土病として知られた日本住血吸虫病(ジストマ)については、第2次大戦後、媒介動物のミヤイリガイ駆除や河川改修などで撲滅運動が体系的に続けられた甲斐があって、1990年に福岡県久留米市、佐賀県鳥栖市等で「安全宣言」が出された。最後の患者発生から10年以上経ており、間違いのないところである。

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ペイオフ解除でも“安全”宣言

2002年4月1日、ペイオフ制度が解禁されたが、これに伴い同日午前、柳沢伯夫金融担当相(当時)は、「金融庁の検査・監督と金融機関の経営努力の結果、各金融機関は財務の健全基準を満たして1日を迎えた。混乱が生じているとの情報も聞いていない」と“安全”を宣言した。ペイオフによって金融システムが動揺する可能性があったわけだ。

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ペイオフ

金融機関が破綻した場合、金融機関が預金保険機構に積み立てている保険金での預金者に一定額の払戻しを行う制度。払戻額の上限は、預金者1人当たり元本1000万円とその利息。2002(平成14)年3月まで預金は全額保護されていたが、4月からは定期性預金についてペイオフが解禁された(普通預金など決済性預金は全額保護を継続)。03年4月からペイオフは全面解禁される予定だったが、全面解禁は05年4月まで2年間延期される見通しだ。ペイオフが実施された場合、<1>預金者に対する払戻手続きが完了するまで預金は凍結されるため、中小企業の連鎖倒産が生じる可能性がある、<2>預金そのものに対する安心感が損なわれることで、国全体の信用秩序の動揺をまねきかねない、などの問題点が指摘されている。このためペイオフ解禁後も、実際の発動はできるだけ回避し、金融機関の破綻処理にあたっては、健全銀行に資産・負債を迅速に引き継がせるアメリカのP&A(Purchase & Assumption=資産・負債の承継)方式を基本とすべきだとの声が強い。

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2000年問題安全宣言

米国連邦政府は、1999年に、2000年1月1日のいわゆるY2K問題(2000年問題)について、安全宣言を行った。こういう“何が起こるか予測しがたい”事態においては、事態そのものよりも、一般人が不安に突き動かされて起こるトラブルが懸念材料だ、という判断によるもの。

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砂糖安全宣言

FAO(国連食糧農業機関)とWHO(世界保健機関)は、1997年4月、「砂糖の摂取が行動過多や糖尿病に直接結びつくことはない」「砂糖摂取が肥満を促進することはない」との“安全宣言”を行った。 世界的なダイエット・ブームで、砂糖が悪玉視されることも多いため

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