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パニックとショックの現代用語集
 

食品で起こりがちなパニック

実態がある場合もない場合も、「噂になりやすい」性質をもつのが、この種のパニックである。「不足」「危険=毒」…、生命にかかわる問題だけに、エキセントリックになりやすく、また風評被害の問題を伴うこともしばしばだ。

カイワレ大根とO-157

本誌1999年版収録。以下、

1996(平成8)年5月から各地で多発した病原性大腸菌O-157による集団食中毒が大量発生した大阪府堺市の原因食材として、厚生省は同年10月にN農園のカイワレ大根の可能性が高いと最終的に指摘した。N農園については大阪府が同年8月に陰性証明書を手渡し、生産・出荷を認めたほか、農水省はカイワレ大根を含む77品目の国産野菜、13品目の輸入野菜についての自主検査結果を11月に最終報告し、安全宣言した。また、10月にはHACCP(ハセップ=危害分析重要管理点)方式を採用したカイワレ大根生産衛生管理マニュアルが作成され、生産者に遵守が義務づけられ、日本かいわれ協会が認証マークをつけることになった。カイワレ大根種子の消毒法については予備乾燥を導入した75℃5日間の乾熱処理などの有効な方法が開発されている。

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「テレビ朝日」ダイオキシン報道騒動

本誌2000年版収録。以下、

テレビのニュース番組で、埼玉県所沢の野菜に付着するダイオキシン濃度が高いとの調査結果を放送したところ、埼玉産の野菜が大暴落してしまった。「事実の報道」と「問題提起」の二本柱をバランスよく伝えることが報道の使命だが、今回は問題提起に重きを置きすぎたために事実の報道に甘さが出てしまった。環境問題報道の難しさもさることながら、テレビ報道の影響力の大きさを改めてみせつけた。テレビ朝日(全国朝日放送、東京都港区)系列の報道番組「ニュースステーション」は、1999(平成11)年2月1日夜、「汚染地の苦悩・農作物は安全か?」と題し、所沢産の野菜のダイオキシン汚染度が高いことを報道した。この放送が視聴者の不安感を煽るところとなり、所沢産だけでなく埼玉産の野菜までが入荷停止や販売停止となって、価格の大暴落が起こってしまった。このデータは民間調査機関である「環境総合研究所」(東京都品川区、青山貞一所長)が独自に調査したもので、「所沢の野菜の葉っぱものから1グラム当たり最高3.80ピコグラム(1ピコは1兆分の1)のダイオキシンが検出された」とする内容。この数値は、厚生省が97年に全国調査した野菜類のダイオキシン最高濃度の9倍にあたる。ところが9日になって「葉っぱもの」と言われたものは、実は「茶葉」であったことを同局も知らずに報道したことが明らかになった。これは同研究所の調査にサンプルを提供してくれた農家に迷惑がかからないように配慮、あえて「葉っぱもの」と表現したために発生したミスだった。このため、あたかもほうれん草などの野菜が危険であるかのような印象を与えてしまった。18日、同番組の久米宏キャスターは番組内で生産農家に謝罪したものの、局側は誤報ではないとして最後まで訂正放送には応じなかった。番組の意図するところは、2年前に市内の野菜のダイオキシン濃度を調査したにもかかわらず、公開要求を拒絶し続けるJA所沢市に対して情報の開示と行政の緊急調査の必要性を問題提起するものだった。9日になり、JA所沢市(村上起志次組合長)は出し渋っていたダイオキシン調査の結果を公表。平均濃度は厚生省の全国調査の最高値を下回る値(ほうれん草で1グラム当たり0.087−0.43ピコグラム)だった。発表しなかった理由は、国の安全基準がなく、出た数値がいたずらに風評被害を生むのを避けたかったからだという。この公表をもって国と県は「安全宣言」し、混乱も収拾に動いたが価格の混乱は約2カ月間続いた。衆院逓信委員会は、同局の伊藤邦男社長を参考人招致したほか、6月には野田郵政相が「報道に不正確な表現があった」とし、同局を厳重注意する行政指導を行った。所沢の農業生産者有志(376人)は、「価格の暴落は風評被害で、報道は誤報にあたる」と主張。同局の対応に業を煮やし、9月2日、全国朝日放送と環境総合研究所に対し、総額約2億円の損害賠償を求める訴訟を浦和地裁に起こした。抜本的な解決のためには所沢市周辺に異常に集中する産業廃棄物焼却施設をどうにかしなければならない。県外からの流入分が半分近く、その7割が東京のゴミなのである。大量廃棄の産業構造を改めなければ問題は解決しない。

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狂牛病

狂牛病

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米不足騒動

本誌1995年版収録。以下、

1993年産の米が記録的な凶作との情報から、一部の消費者が買いだめに走り、米屋やスーパーの店頭から米袋が消える現象が各地で発生した。平成コメ騒動とか新コメ騒動とか呼ばれた。首都圏では、94年2月と3月に集中。「3月から国産米がなくなる。輸入米は安全性に問題がある。」との情報に主婦らが買い走り、さらにこの模様を伝えるマスコミの報道が不安感を増幅。そして、3月に入り、輸入米と抱き合わせでないと国産米を売らない「ブレンド販売」を食糧庁が発表。一挙に米不足感が蔓延した。ふだん、小売の米屋では買わない都会の人も米の入荷日には長い行列ができた。食糧庁の状況把握が曖昧で、対策が後手に回った。3月に入荷する中国産米の輸入が遅れたほか、情報提供の不十分なことも、より混乱を大きくした。当の食糧庁では農家、流通、小売店、消費者のそれぞれがため込んだが消費者のそれが顕著、との見方をしている。

95年からは新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)の米市場開放も始まるが、輸入米を消費者の間に軟着陸させることに失敗した恰好。また、主食をパンや麺類にシフトする“コメ離れ”現象も生んだ。それにしても、輸入したタイ米の不人気は顕著で、国産米に食らいつく日本人の食文化の保守性を露顕、食文化の幅を広げる食の工夫に、あまりに消極的だった。それも、この米不足が飢餓に結びつくような深刻なものではない証左だった。

うまい国産米を食べたいための、贅沢な騒動だったと言ってもいい。全国消費者協会連合会の調査だと、買いだめは、地域差が顕著で、冷害が深刻だった仙台が一番早く93年の8月、一般家庭の買いだめ量は首都圏や大阪で20キロ未満、仙台や新潟で40キロ台。買い置きした人が最も多かったのは60歳代だった。また、首都圏で2月と3月に60%が国産米を入手していたという。

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