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“ハングリー精神のキーパーソンから学ぼう”の用語集
 

朝青龍

スピード出世

通常要するより短時間で高い階級に昇進すること。朝青龍は、2002年11月の九州場所で初優勝(14勝1敗)した。高校を2年で中退、若松部屋(現・高砂部屋)に入門し、99年初場所で初土俵を踏んで以来、24場所目での幕内最高優勝であり、これは貴花田(元横綱貴乃花)と並ぶ記録(年6場所制となった1958年以降の入門で、幕下付け出しを除く)。また、2003年1月の初場所でも優勝し、25場所目で第68代の横綱に昇進。これも(例外的規定である)幕下付け出しの輪島(第54代)を除けば、史上最速記録。

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モンゴル出身

朝青龍はモンゴル、ウランバートル出身(1980年生)で、本名はドルゴルスレン・ダグワドルジ。外国出身力士の優勝者としては5人目。それまでの4人は、高見山、小錦、曙、武蔵丸で、いずれも米国ハワイ州出身。むろん初のモンゴル出身横綱である。

モンゴル人は、唐代の昔から国境などお構いなしに移民(というより移動)を繰り返してきたが、12世紀末のジンギスカンが、いまだに、世界的に活躍・成功した唯一のモンゴル人である。なので、海外で一旗揚げた朝青龍や旭鷲山は“国民的英雄”。ほかに現在、海外(日本)で活躍しているモンゴル出身には、歌手のオユンナ(NHK紅白歌合戦にも出場)がいる。

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モンゴル相撲

朝青龍は5人兄妹の4男として生まれた。父親は、モンゴル相撲の元関脇。格闘一家であり、長兄はモンゴル相撲、次兄はレスリングでシドニー五輪代表を務め、PRIDE参戦も決定。三兄はリングネーム「ブルー・ウルフ」の名で新日本プロレスで活躍中。ただしモンゴルでは、年長者との喧嘩はよくないとされているので、兄弟喧嘩はしないとのこと。

モンゴル相撲(モンゴルのことばではブフ)は、民族伝統の格闘技。モンゴル系は国境をまたにかけ、広範囲に生息しているので、この競技にもバリエーションが多い。朝青龍がやっていたのは、モンゴル国をあげて行う、夏のお祭「ナーダム」で行われるハルハ相撲。帽子をかぶり上半身にも着物をまとう。日本の相撲以上に、儀式的要素を重んじる。

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高砂部屋

朝青龍は、入門当初は若松部屋であったが、親方(5代目朝潮)が自身の出身である高砂部屋を継いだため、現在は、高砂部屋の力士となっている。高砂部屋は、伝統的に“異色力士”のメッカで、高見山・小錦というハワイ出身の名力士たちを、また日本人でも突貫小僧・富士桜(先代高砂)、ソルトシェイカー水戸泉、最近でもモミアゲの闘牙などキャラクターの強い力士を輩出している。横綱曙(東関部屋)も高砂一門。

高見山・小錦を育てた名伯楽・先々代高砂(第46代横綱・4代目朝潮)にしてからが、闘牛と過熱する選挙の地・徳之島からやってきた怪力異色力士であった。1948年の初土俵当時、同島は未だ米国統治下にあり、彼は貨物船に密航して本土に上陸、大相撲に入門してきたのだ。そういう苦労を体験した親方だからこそ、異文化に飛び込んできた外国出身力士をもあたたかみをもって育成しえたのだろう。

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外国出身力士

相撲界では1998年の勧誘自粛解禁後、力士の出身国がモンゴルやロシア、東欧にまで広がっており、2003年初場所の番付では51人にものぼる。このうち、モンゴル出身者が30人以上を占め、あとはロシア、アメリカ、ブラジル、中国、韓国、トンガ、アルゼンチン、グルジア、チェコ、ブルガリアの計11カ国にわたる。

参考までに各国の一人あたりの国民総所得は、

※すべて2000年の数字/米ドル換算

モンゴル 390ドル

ロシア 1660ドル

アメリカ 34260ドル

ブラジル 3570ドル

中国 840ドル

韓国 8910ドル

トンガ 1660ドル

アルゼンチン 7440ドル

グルジア 590ドル

チェコ 4920ドル

ブルガリア 1510ドル

ちなみに日本は34210ドル。

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「土俵の下には金が埋まっている」

「よく稽古して強い相撲取りになれよ。そうしたらお金もついてくるぞ!」という、親方の弟子に対する指導のことば。類似表現に「土俵の下には名誉とお金が…」「土俵には金も地位も女も…」などがある。

またプロ野球界にも、かつて「グラウンドにゼニが落ちている」の名文句があった。1950-60年代を通じ黄金期を誇った南海(現ダイエー)ホークスの監督・鶴岡一人によるもの。在任23年間でリーグ優勝11回、日本選手権制覇2回。

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明徳義塾高校

高知県須崎市にある私立中学・高校。朝青龍の母校。朝青龍は16歳のとき、モンゴル相撲のジュニアクラスチャンピオンとなり、日本語も知らないまま、明徳義塾高校に編入学した(97年9月)。2年で中退し、99年に大相撲入門。同校相撲部の監督は、朝青龍の師匠・高砂親方(元大関朝潮)と近畿大学相撲部で同期。

同校は、姉妹校提携が盛んで、留学する日本人生徒、留学してくる外国人が多い。

また、スポーツにも力を入れている。野球部は、松井秀喜(NYヤンキース)の星稜高校と1992年夏の甲子園で対戦し、5連続敬遠ですっかりダーティなイメージをもたれてしまったが、現在ではイメージ回復。2002年には夏の甲子園で優勝した。野球、相撲のほかにもゴルフ、卓球(ここでは中国人留学生選手が活躍)などで強豪。

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モンゴル国

朝青龍の出身国。面積156万6500平方キロメートル。人口253万人(2000年)。12世紀にはジンギスハンとその息子たちの旗の下に、ユーラシア全域を覆う大帝国を形成したモンゴルであるが、その後はふるわず、17世紀末には清朝の統治下に入った。1911年10月の辛亥革命で清朝が倒れたのを機に独立をすすめたが、露中両大国に挟まれている地理的不運が災いし、民族自決は思うに任せず、折からのロシア革命(1917)の余波もうけて、24年にはマルクス主義経済を実践する「モンゴル人民共和国」となった。以後、マルクス主義体制のご多分にもれず、数十年もたってみれば、経済は停滞し、1990年代に民主化・自由化。現在、市場経済化を目指しているが、経済成長が遅れ、貧困層が拡大している。日本相撲への志願者が多いのもそのためで、「十両でも大統領より高給」との声さえある。

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ナンバリン・エンフバヤル

1958〜 モンゴル国首相。モスクワの大学を卒業した後、モンゴル作家同名に所属し、翻訳に携わる。92年国民大会議員に初当選。97年、人民革命党党首。2000年7月の総選挙で大勝し、現職。横綱となった朝青龍の故国訪問の際には対面し、同国では最高の栄誉に当たる名誉表彰を授けた。スポーツ選手としては初。ちなみに、同国の元首は大統領で、ナツァーギン・バガバンディ(1950〜)が現職。

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九重親方

1955〜 元横綱・千代の富士。北海道松前郡出身。現役時代の愛称「ウルフ」。1970年初土俵。1981年、横綱に。53連勝の記録を持ち、90年には史上初の通算千勝を達成。国民栄誉賞の受賞者でもある。91年に引退し、92年、九重を襲名。幕内優勝31回(全勝優勝7回)。朝青龍あこがれの力士。

千代の富士は、戦後10年経って生まれた子供であるが、未だ相撲がハングリー・スポーツだった時代の力士であった。小学校5年生のときから父親のイカ釣り漁を手伝い、磯舟を漕いだり荷の受け渡しなどしていたし、また、相撲が嫌いであった彼が九重部屋に入門する決意をしたのは「飛行機で東京に連れていってやる」と言われたからだという。

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力士の出身地

2003年春場所の番付においてモンゴル出身者は30人以上の大勢力だが、かつての大相撲をリードしたのは、北海道、青森県出身の力士たちであった。北海道は横綱8人、大関6人を、青森県は横綱6人、大関6人を輩出している。両地域とも、厳しい気候であり、徐々に衰退していっている農畜産業・鉱工業従事者が多いことなどから、ハングリー精神が強いのだと分析されてきた。またその文脈から、昨今同地域(ことに北海道)から出てくる力士が減っていることは、地域の生活水準の向上と結びつけられたりする。

ちなみに現在の力士数では、東京、福岡、愛知、大阪などが上位である。本場所が行われるため、後援会があり、スカウト網がゆきわたっているためであろう。

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やんちゃ

気性が激しく、いたずら好きなこと。朝青龍の性格を形容するとき、しばしば用いられる表現でもある。稽古場ではひしゃくで仲間の力士の顔に水をかけたり、ランニングの途中で保育園のプールにカメを放り込んだことも。横綱昇進時にも、師匠の高砂親方に「品位・品格の指導」が求められた。

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新婚

結婚して間がないこと。結婚したて。朝青龍は、2002年末に、中学時代の同級生だったゴンボツェレン・タミルと入籍、年明けにお披露目をした。夫人は学生で、モンゴルの大学からドイツの大学に留学中。遠距離恋愛が長かったため、「幕下時代は電話代が大変で、インターネットや手紙でやりとりした」とのこと。2003年4月には早くも出産予定。

日本のプロスポーツ界で、さほどの根拠もなく、しばしば言われるジンクスは「2年目」と「新婚」である。

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