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「憲法改正」はどう記載されて来たのか

「憲法改正」はどう記載されて来たのか

憲法改正(1991年版)

まずは22年前、1991年版の〔法律〕での記載から。

憲法自身の定めている手続で憲法の規定を変えること。憲法改正は、普通の法規よりも厳格な手続を必要とする場合が多い。日本国憲法では、国会が、各議院の総議員数の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票の過半数の賛成で承認されることが必要になっている。この場合、国会で審議される原案の提案権は議員にあって、内閣にはないという解釈をとる者が多い。なおこのような手続でも改正できないような規定がある(憲法改正権の限界)というのが通説。例えば国民主権主義などはこの手続でも変えられないといわれる。

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憲法改正(1993年版)

1993年版〔憲法論議〕の記載から。

日本国憲法は、その第九章第九六条に「改正」の規定を盛り込んでおり、(1)国会の発議と(2)国民の承認という2段階の手続きを経なければ改正できないよう、自己を厳しく律している。しかも、“国会の発議”についても「各議院(参議院と衆議院)の総議員の3分の2以上の賛成」を必要条件としており、“国民の承認”についても国会を通過したあとに「特別の国民投票」を行うか、もしくは「国会の定める選挙の際行われる投票」を通じて、主権の存する日本国民の意思決定(全投票の過半数)に委ねることとなっている。イギリスの政治学者ブライスは、このような厳しい手続きを経なければ改正できない憲法を“硬性憲法”と呼んで、もっと改正が容易な“軟性憲法”と峻別している。

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国民投票法(1996年版)

1996年版の〔日本政治〕での記載から。

1995年の都知事選挙で、上田哲候補が提起した制度。具体的には、二信組救済問題や世界都市博の開催問題など、住民に重大な影響を及ぼす問題については、住民によるリファレンダムを行おうというもの。地方公共団体には、新たな条例の制定を求めるイニシアティブや公職者の解職を求めるリコール制度はある。しかし、現在の憲法では、最高裁判所判事の国民投票を除けば政策課題の是非を直接問う国民投票制度は存在しない。

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国民投票法(2008年版)

2008年版の〔日本政治〕での記載から。

憲法改正手続法である国民投票法案が、2007年5月、自民、公明両党の賛成多数で成立し、憲法施行から60年を経て初めて、改正に必要な法的手続きが整った。改憲原案は公布から3年後の2010年から国会に提出可能となる。投票権年齢は18歳以上で、投票テーマは憲法改正に限定し、賛成が有効投票の2分の1を超えた場合に承認される。安倍首相は、在任中に憲法改正を目指す考えを示した。しかし、それには衆参両院の3分の2以上の賛成が必要である。参院選の結果、自民、公明の与党は過半数を割り、投票資格年齢問題とあいまって、憲法改正は厳しい環境の下にある。

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アメンドメント  Amendment

1991年版の〔時代感覚〕での記載から。

合衆国憲法修正条項。アメリカ人は「憲法というものは時代の変化に即して随時修正すべきもの」と考えている。したがって、現行の合衆国憲法は、1788年に最初に制定されたものとはほとんど様相を一変しており、”言論の自由”や”参政権”に関する重要な条文もすべて後から『アメンドメント』(修正条項)として書き加えられたものである。憲法制定から3年後の1791年には早くも「修正1条」から「修正10条」までが新たに追加されたが、これなど『権利章典』(ビル・オブ・ライツ)と呼ばれて、その後の民主主義の基本とされるほど重要なものであった。そのような憲法観をもつアメリカ人の目から見れば、憲法を「不磨の大典」と呼んで絶対に変更しようとしない日本人の考え方は実に異様なものと映るらしい。「40年以上も前につくられた法律が現在もいささかの変更もなしに通用するわけがない」という“事情変更の原則”から出てきた法律観であるが、いま“海外派兵”問題を機に『日本国憲法』のありようは大きな岐路に立たされている。“憲法改正”を論議の場に出すことさえはばかられる状況は、民主主義を守り抜こうという不退転の意思に支えられているように見えながら、かえって不自然で反民主主義的ではないか、という考えも次第にひろまっている中で、この際キチンと公の場で議論しつくすべきではないだろうか。それをしないで、「自衛隊は軍隊ではない」(吉田首相)とか、「海外派兵は国連平和協力法をつくるだけで実行できる」(海部首相)などと強弁するだけでは、もはや“ポスト冷戦”の新しくも厳しい国際秩序の中では生きのびていけないのではあるまいか、という懸念の声も強い。

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解釈改憲(1993年版)

1993年版の〔憲法論議〕での記載から。

日本国憲法の改正手続きに直接触れることなく、解釈の仕方によって、実質上の改憲と同じような力を発揮させるやり方で、その背後には「第96条に定められた憲法改正の手続きを開始するにはあまりにも政治的な危険が大きすぎる」といった考え方があることは明らかである。そうでなければ、もっと早い時期に正々堂々と真正面から民意を問うていたはずだ。

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憲法議連

1998年版の〔日本政治〕での記載から。

憲法制度調査委員会設置推進議員連盟。1997年5月23日、衆参両院に憲法問題を論議する常任委員会の設置を目指す「憲法制度調査委員会設置推進議員連盟」の設立総会が置かれた。55年設立の「自主憲法期成議員同盟」、56年設置の「内閣憲法調査会」など、憲法改正を目指す議員連盟や審議会は存在したが、国会の中に常任委員会を設置しようとする試みは初めて。この背景には、最近の世論調査で憲法改正を支持する人々が反対する人々を上回っているという事情もある。憲法議連の代表世話人を務める中山太郎元外相は、「冷戦構造の崩壊に伴う国際関係の変化、地球環境問題の深刻化、価値観の多様化」など現行憲法と現実との乖離を憲法見直しの理由としてあげている。これに対して、社民党は将来のビジョンを抜きにした憲法論議は不自然として消極的、また、社民、二院クラブなどの国会議員が世話人を務める「憲法を生かす会」も「憲法改悪のための政治的策動」と批判している。国際関係の変化、地球環境の深刻化、価値観の多様化が生じていることは事実。しかし、小沢・新進党党首などが主張する「普通の国」論との関係がどうなっているかなど注意深く動向を見定める必要がある。

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憲法調査会設置法

2000年版の〔1年の法律・法案〕での記載から。

国会法の一部を改正する法律。憲法施行から50年以上が経過した現在、自衛隊の海外派遣や、プライバシー権の保護など、憲法制定当初には考えもしなかったような問題が生じている。こうした憲法をめぐる状況の変化を踏まえて、現行憲法を多角的に調査するため、国会法の一部を改正して憲法調査会を設けることを定めたのが本法である。調査会は衆・参両院に設けられ、それぞれ50人、45人の委員によって構成される。憲法調査会は憲法のあり方を幅広く論議することを目的としたもので、憲法改正案を提出する権限はない。会議は原則公開で、5年以内に衆参両院議長に調査結果が報告される予定だ。憲法調査会の設置については、共産・社民両党は、憲法改正につながると反対したが、自民、自由、民主、公明などの賛成多数で可決された。

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自衛隊は明らかに憲法違反

2000年版の〔話題の人物と発言全集〕から。

「自衛隊は明らかに憲法違反。だが憲法改正は手続きに時間がかかるしとてもできないだろうから、もっとよい憲法を作るために国会で現行憲法を破棄する決議をしたらいい」(1999年6月22日)

石原慎太郎都知事が在日米国商工会議所主催の昼食会で講演し、独自の憲法破棄論を展開。「朝鮮半島や台湾で紛争が起こったら、日本も自国の利益のために軍事行動に踏み込まざるを得ない」とした上で、合法的に憲法を破棄することが必要とトーンを上げた。

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集団的自衛権(2005年版)

2005年版の〔憲法改正ポイント〕での記載から。

「集団的自衛権」とは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利である。政府見解では、「日本も主権国家である以上「集団的自衛権」を有しているが、必要最小限度の自衛権行使を超えるので、第9条により許されない」とされていた。ただ、対米関係や国際貢献を重要視して、「集団的自衛権」を明文で認めるべきであるとの見解もある。

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自民党新憲法草案

2007年版の〔日本政治〕での記載から。

自民党新憲法起草委員会(委員長・森喜朗元首相)は、2006年7月に要綱をまとめ、10月28日に最終草案を決定した。自民党は結党50年を前に初めて国民に改憲案を示した。中曽根康弘元首相が小委員長を務めた「前文」の小委員会では、「和を尊び」「伝統と文化」「国を愛する」などの保守色の濃い表現が目立った。小泉前首相の裁定という形でこれらの表現を削除し、民主党や公明党とも協議可能な内容とした。9条については、戦争放棄の1項は残し、2項は全面改定して自衛軍の保持ならびに国際協調活動と公共秩序維持活動を明文化した。新聞などの調査では、衆院選の当選者のうち、改憲肯定派は84%に達し、護憲勢力は退潮した。焦点の前文および9条をめぐっては各党で慎重論が根強く、憲法改正手続きを定める国民投票法案の制定が課題である。

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御手洗ビジョン

2008年版の〔日本政治〕での記載から。

日本経団連は、2007年1月に、希望なき人々に希望を与え、夢を実現する道筋を記すことを目的とする「希望の国、日本」という政策提言を公表した。提言は経団連会長で、安倍内閣の経済財政諮問会議の民間議員であった御手洗冨士夫氏にちなみ、御手洗ビジョンと呼ばれる。

これは、安倍首相(当時)の「美しい国、日本」に呼応する内容で、改革を徹底し、成長の果実で改革の弊害を克服することで、成長力強化と小さくて効率的な政府を実現するとの考えに基づく。また、ビジョンは、今後5年間に重点的に講じるべき措置として、教育再生や憲法改正にも言及している。そこでは、愛国心や公徳心を育てること、憲法第9条第2項を見直し、自衛隊が集団的自衛権を行使できることを求めている。

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憲法審査会

2013年版の〔日本政治〕での記載から。

憲法改正の手続きを定めた国民投票法に基づき、2007年に衆参両院に設置された。衆院は50人、参院は45人の委員で構成される。改憲か護憲かをめぐり、各党の見解の相違が大きいため、改憲を前提とせず、各章ごとに審査することになった。12年5月、衆院の審査会が本格的な審査を開始した。

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日本国憲法改正草案

2012年4月、当時まだ野党だった自民党が「日本国憲法改正草案」を発表した。天皇を元首とし、自衛隊を「国防軍」に改組。表現の自由の制限や緊急事態宣言の下での公的機関の指示に対する国民の遵奉義務まで打ち出した内容は注目すべきだ。7年前の「新憲法草案」(自民党新憲法草案)と比較して、「保守色をアピール」「民主党政権との差別化を強調」などと論じて済むような内容ではない。今回の改正草案は現行憲法には存在しない国民の憲法尊重義務を盛り込んでいて、憲法とは国家権力の暴走を抑えるためにあるのだとする「近代立憲主義」の理念をすっかり否定している。

ただいま編集中の「現代用語の基礎知識2014」ではこの「自民党の日本国憲法改正草案」をまな板に乗せて「日本国憲法」を大特集します。

執筆陣は、伊藤真、斎藤貴男、ダグラス・C・ラミス。そのほか、内田樹、孫崎享、佐藤優、鈴木邦男、呉智英、上野千鶴子、西修、小林節、橋本美香、金平茂紀、加藤典洋、香山リカ、木村草太、宮台眞司、鶴見俊輔らが発言。

「現代用語の基礎知識2014」店頭発売は11月14日。ご期待ください。

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