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連載「平成ヒストリア」その5=平成5年、新党勃興で自民党にイエローカード
執筆者 木村傳兵衛

連載「平成ヒストリア」その5=平成5年、新党勃興で自民党にイエローカード

「非自民」政権

1993年6月に宮沢内閣への不信任案が可決される。羽田派は自民党を離党し、新生党を名乗り、公明党と連携する。さらに、前年結党した日本新党、そして新党さきがけ。これら3新党が、総選挙で大躍進を果たし、自民党の過半数割れを実現し、38年ぶりの政権交代の基盤が出来上がった。細川政権の誕生は、55年体制=自民党の長期一党支配が途絶えたことを意味した。

しかし、衆議院第一党はいまだ自民党だった。野党の衆議院多数派工作によって非自民の7党が結集して衆議院第5党党首の細川首相擁立。そんな経緯があったため、野党が圧倒的民意を得て政権交代をした例とみることはむずかしい。

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イエローカード

日本プロサッカーリーグ、Jリーグがこの年5月15日に開幕。たちまち沸騰するJリーグブームに乗って、一般に浸透した言葉の一つが「イエローカード」。サッカーでは、故意に相手を蹴る、引っ張る、足を掛ける、ボールを手で止める等の反則、非紳士的行為をした選手に対して出される。

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サポーター

支持者を意味する英語。イエローカードと同じように、Jリーグブームに乗って、一般に浸透した言葉の一つ。単なるサッカー愛好者という意味合いと区別して、ある特定のクラブをひいきにして応援する人々のことを指して使う。今までスポーツを「見る」「する」と大別していたものを、フィールドのイレブンと一体となって「支える」ものに変質させた。

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規制緩和

公的規制の緩和。政府・自治体等による規制を緩和しようとする動きは、80年代の世界的な潮流となった。日本の場合は特に官僚制的な規制や介入の傾向が根強い。臨調・旧行革審、さらに新行革審が再三の提言を。

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コギャル

お色気を前面に出すボディコン・ギャルに対して、少女性を残しながら健康的にクラブ遊びなどを楽しむティーン・エイジャーの女性を指す。この時代、まだ彼女らを女子と呼んだりはしなかった。

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ブルセラ

昔からいわゆる三流エロ雑誌の片隅には女子高生による「穿き古したパンツ、ブルマー、制服をこっそり売ります」等の通販広告が掲載されていた。ブルセラというのは、それが堂々とオモテに出てきた流行現象。

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お立ち台

東京芝浦の大型ディスコ「ジュリアナ東京」は1991年にオープンして94年に閉まるが、92年から93年、ジュリアナの〈お立ち台〉が一世を風靡する。ボディコン、Tバック、さらにエスカレートしてボンデージまがいの衣装を着たギャルたちが〈お立ち台〉の上で踊っているといわれた。小道具の羽根扇子は、定番グッズとなり、若者向けの小物屋の店頭を飾った。

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鉄人

テレビの対戦型料理番組「料理の鉄人」(フジ系)が人気。〈美食アカデミー〉が国内外から超一流シェフをキッチンスタジアムに招き、和・フレンチ・中華・イタリアンの鉄人に料理の腕を競わせる。すでにあった「○○の達人」に対して、ここから「○○の鉄人」という表現が登場した。

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聞いてないよォ

テレビ番組で、台本には無いことをやらされそうになったダチョウ倶楽部、「聞いてないよォ」の悲鳴がギャグとなって大当たりした。二流の芸人の悲哀をギャグ化したことが受けたのだが、この不条理な社会では「聞いてないよォ」は使用機会が多かった。

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コンサバ

コンサバティブの略語で、〈保守的な〉という意味。ブナンな定番。「コンサバ的なライフスタイル」が支持される状況の背景には、ギラギラしたバブル時代のファッションからの反動がある。

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ゴーマニズム

「ゴーマンかましてよかですか」で、さまざまな社会問題や疑問に切り込む小林よしのり(当時40歳)の『ゴーマニズム宣言』がヒット。「SPA!」で前年(1992年)から連載が始まった社会批評マンガである。天皇家、差別、オウム真理教などの問題を取り上げ、歯切れのいい批判で人気となる。

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清貧

中野孝次が67歳のときに出版した『清貧の思想』は、50代以上の人たちによく読まれ、ベストセラーとなった。政治家、財界人だけでなく、市井の庶民まで、拝金、物欲の塊と化している風潮に対して、敢然と清貧の美徳を説いた。

中野は、本阿弥光悦、西行法師、吉田兼好、良寛、池大雅、松尾芭蕉などの例を引きながら、日本には昔から「現世での生存は能うかぎり簡素にして心を風雅の世界に遊ばせることを、人間としての最も高尚な生き方とする文化の伝統があった」とする。それが清貧という思想だ。

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ドーハの悲劇

1993年10月28日、カタールのドーハのアルアリ・スタジアム。ワールドカップ・アジア地区最終予選の日本代表。

勝てばワールドカップ出場が決まるイラクとの最終戦。カズこと三浦知良が先制ゴールを奪う。後半、同点とされるも、ゴン中山(雅史)が勝ち越しゴールを決める。史上初のワールドカップ出場へ、あと数秒。だが、ロスタイムの相手ゴールで夢は潰えた。カズは得点王になるも、日本は、本大会出場を逃してしまう。

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