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ジャーナリストは何を心得なければならないか
執筆者 矢崎泰久

ジャーナリストは何を心得なければならないか

ジャーナリスト

実際にジャーナリストとして認められるようになるには、一応の実績を残さなくてはならない。どういうメディアで、何をいかにどう発表するか。それを見た人、読んだ人、知った人に、どう受け止められたか。理解を得られたか、納得してもらえたか、感動を与えることが出来たか。

当然その反対だってある。いくら当人が自信を持って、いずれかのメディアに発表しても、相手にされないことだってある。

自分がジャーナリストかどうかは、簡単なようでもあるが、非常に険しい道であることを最初に自覚しなくてはならない。

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メディア選択

自分が何をどう表現したいか。そのためにはメディアを選択しなければならない。つまり手段としてメディアを決める。マスメディアからミニコミまで様々なメディアが存在するが、自分が取り上げるテーマや方向を十分に伝えうるメディアはどれかを、しっかり見極める必要がある。

活字メディアでは新聞、雑誌、書籍などの違った媒体がある。内容によっては多くのスペースが必要な場合もある。また速報性を伴う内容もある。どこにどう取り上げてもらえるかにも勝負はかかっている。他に電波メディア(テレビ・ラジオ)もあれば、インターネットを中心にした情報メディアもある。広告宣伝(コマーシャル)から街頭のパフォーマンス、ライブハウスまで、発表の場は沢山あり、どれをターゲットにするかで仕事そのもののあり様も変化する。映画(広くは映像)、舞台といったものもジャーナリストの活躍は可能である。標準を絞って懸命のアプローチをするしかない。

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ジャーナリストと日常

日常を大切にする。私たちが生きているのは普通の日常である。その日常を疎かにしないことで、ジャーナリズムそのものの精神も介在している。

何でもない日常に起こるさり気ない事が私たちの生活を支え作ってもいるのである。

ギリシャの哲学者プラトンは「人間の矢は誕生と同時に射られ、日常を飛び続け死に至る」と言った。日常という現在をどう判断するか。それこそがジャーナリストに課せられた大切な視点に他ならない。何の変化もないような日常の中に私たちはさまざまな現象を見る。それを掬いあげて表現する。誰もが見過ごしてしまうことや出来事を提示することによって、改めて顕在化させる。

誰もが持っている日常。その日常に執着する作業はジャーナリストそのものの自己確立とも言えよう。今、自分はどこにいるか、何を見ているか、何がしたいのか。その日常のひとつひとつが、記事として企画としてメディアに投影される。

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批評精神

批評精神を養うべし。

私たち人間社会は文明社会でもある。文明の中で私たちは生活しているし、恩恵も受けている。しかし、文明は安心できない。暴走することがしばしばあるからだ。その文明を批評するのがジャーナリズムの世界である。

戦争も文明がもたらした危機に違いないが、それを批評するジャーナリストの眼によって真実が暴かれる。批評精神のない所には健全な社会は絶対に育つことはない。

批評眼を養うのはどうすればよいか。あらゆることに疑問を持つことから始まると考えたらいい。なぜ、どうして、なにゆえに、といった疑問が出発点となって、事実は解明される。極端に言えば、何でも疑って見ることによって、批評精神は養われるのである。子供は常に大人に質問を投げる。それが成長につながるように、物事の表裏を見極めるには疑問を呈し、批判してようやくわかることも少なくない。自分が確認作業を行うのであり、決して予断を持ってはならない。

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情報収集

最近では情報社会という言葉がのべつ使われている。ふんだんに情報が提供され、しかも入手しやすいシステムが作られている。パソコンの発達によってたいていの事柄が検索可能だし、瞬時に情報を得ることができる。電子辞書によって部厚い書を繙く必要もなくなったし、いちいちノートに記録しなくても済むようになった。

だが情報が正確なものか、誤りがないかを調べることは簡単ではない。個人的な能力や知識の蓄積がなくては情報の分析は決して容易ではない。むしろ間違った情報を鵜呑みにしたばかりに、とんでもない結論を出してしまうことだってあるのである。これは厳に慎まなければならない。

情報の収集は、情報量が豊富でかつ獲得し易ければ安易に信じてはならないものなのである。その為にはいくつもの複数の情報をいろいろな角度から集める努力が大切なのだ。現代最も求められるのは情報の信憑性である。

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表現力

一つの出来事や事実を正確に伝えるためには表現力の育成は不可欠である。この表現力の中には文章力とか伝達力とかも入ってくるのだが、使用するメディアの特性を生かして、なるべくわかり易く伝えるよう努力することが肝要である。

もちろんセンセーショナルに扱うのではなくて、平易な手段によって理解を求める。4W1Hと呼ばれる基本を踏まえて、どんな現象が何故どのようにして起きたかを克明に表わすことが何よりも重要なのである。その表現力を身につけるには、不断の訓練こそが何よりも大切になってくる。

日常的には日記をつける習慣があればいいのだが、小さなノートかメモ帳を持っていて、折に触れて、自分が見たもの、聞いたことなどを書きとめる。そうした作業の繰り返しによって、自己の表現力は自然と鍛錬される。時には言葉に出して、その場の状況または情景を活写するよう心掛けることだろう。

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取材の方法

情報を集める実際の方法は取材によるものが大きい。現場を歩くのも、人に会って話を聞くのも、いずれも取材の方法のひとつである。ニュースソース、つまり情報源というものも目的を持って取材活動を行う場合に欠くことのできない対象であり、取材する側は秘匿義務も合わせて重要な存在となる。

独自の取材行為によって記事が作られることは言うまでもないが、取材活動こそがジャーナリストにとって命綱でもある。取材の甘さやミスによって、記事そのものが矮小化され真実を伝えないケースも少なくない。周到な準備と綿密な調査によって、良質なレポートは誕生するのである。

取材とは何かを知ることによって、はじめてジャーナリストとしての活動の本質が理解できるようになるのである。どのような表現手段を用いるにせよ、完璧な取材なくしては仕事は完遂されることはない。自分の足で歩き、見聞してようやく記事は完成する。

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言論・表現の自由

かつて封建時代を経て軍国主義が支配した日本には、言論・表現の自由などなかった。日常的には検閲が行われ、あらゆる自由は権力側によって束縛されてきたのである。戦後は憲法によって保障され、言論・表現の自由は何とか保たれている。だが実際には極めて危うい状況にあるように思える。ジャーナリストにとっては、これこそが金科玉条であって、絶対に守って行動しなければならない。

民主的な社会では権力側が故意に隠蔽しようとする情報をジャーナリストが暴くことは言論の自由の範疇に属するが、かつて西山事件での「知る権利」の問題など少なからず危機があった。したがって現代社会での情報公開ほど重要なものも他にない。

いかなる言論にも、表現にも制約はあってはならないのだが、うっかり油断すれば、弾圧やタブーが復活する恐怖は体制内に潜んでいる。ジャーナリストは果敢にこれに挑んで行かなければならない。

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時代を読む

世界には人間の歴史が人類発生以来営まれてきている。私たちの住む日本においても同じように歴史の流れは存在し現在に至っている。残念なことに多くの歴史は権力者側によって作られたものであり、戦争の歴史は勝者によって記されてきた。したがって歴史を正確に学ぶことそのものが非常に難しい。それでも歴史そのものは存在し容易に覆すことはできない。もちろん少しずつではあるが修正は可能である。卑近な例としては、日本の皇国史観がある。

しかし、それぞれの国家やそこに生活してきた人々の歴史は厳然としてあるわけで、全否定はできない。しかも学ぶに足る形跡は残されている。古くからある書を繙き、さまざまなデータを検証すれば、発見できるものは少なくない。そこから演繹してみると、突然現代が見えてくることがある。予言者たれと言うつもりはさらさらないが、ジャーナリストは自らが生きている時代を正確に読まなくてはならない。

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反権力の立場

かつて私が『話の特集』という月刊誌を創刊した時に掲げた旗は「反権力・反権威・反体制」であった。もちろん総合雑誌であったが、この3本の柱は30年間掲げ続けた。

ジャーナリストにとって、何よりも大切なことは、常に社会的弱者の側に立つという覚悟ではないかと思う。つまり権力に対してはノーと言い、権威にはチェックを怠らず、そして体制には抗うという姿勢こそがジャーナリストの本分ではないかと信じている。

 にもかかわらず権力者のカタを持ち、権威に卑屈におもねり、体制に平然と加担する。これが日本の大半のジャーナリズムであり、それをジャーナリストと名乗る次元の低い連中が支えている。現在の日本のジャーナリズムが社会的に機能していない現実がそれを如実に物語っている。

ことに酷いのは、メディアとしてのテレビであり広告であり、さらに大資本によって支えられている新聞、出版、コンピューターなどの業界である。故に育つべきジャーナリストも減少している。

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