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民主党、小沢依存に異存なし?
執筆者 土屋彰久

民主党、小沢依存に異存なし?

辞意撤回騒動

今回の大連立騒動、小沢民主党代表の<連立話持ち帰り→党内大反対→辞意表明→熱烈慰留→辞意撤回>という、ある意味、「相手変われど主変わらず」のセミ一人芝居のドタバタで、一連の騒動はひとまず落着と相成りました。もちろん、節目節目で目立つことは色々とありましたが、それでもやはり何よりも傍目に目立ったのは、小沢代表の辞意表明後に見せた、民主党の慰留の「熱心さ」でした。思い起こせば、以前の年金未納スキャンダルの時にも、当時の小沢“次期代表”は、自身にも未納歴があったことから、代表就任を辞退しているんですよね。しかも、未納騒動の中の一コマといった感じの小ネタで終わり、党内の反応も「辞めれば〜」という雰囲気で、実にあっさりしたものでした。同じ人なんですがね。というか、人格変わっていたらおかしいですよね。ところが、今回はうってかわっての大騒ぎで、「辞めないでー、辞めないでー」の大合唱でした。そんなに辞められちゃ困るのか?他に人材はいないのか?当然、素朴な疑問が湧いてきますよね。いやまあ、また「壊し屋」ぶりを発揮して、党を割って自分らだけ自民党に合流されても困るから、離脱の口実を与えるわけにはいかないとか、色々と複雑な党内事情もあったようですから、辞めないでコールも額面通りには取らない方がいいんですが、それでもちょっと、見苦しいほどの小沢依存ぶりでしたよね。

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壊し屋

いつの頃からか、「壊し屋」の異名を取るようになった小沢代表ですが、とりあえず、その「壊し」の対象が敵ではなく己、具体的には自分の所属する組織だという点は、心得ておいて下さい。ここ、普通の壊し屋さんとは違いますよね。小沢代表の壊し屋人生の始まりは、一応、竹下派からの離脱ですが、この程度で「壊し屋」呼ばわりされては、自民党は壊し屋だらけになってしまいます。次が、誰でも知っている大きな事件の自民党離脱&新生党結成です。ここから始まった日本の政界再編は今でもまだ続いているように、この自民党分裂が日本の戦後政治の一大転換点となったことは、紛れもない事実です。そして、細川非自民連立政権の誕生と共に、自民党一党支配の歴史には終止符が打たれましたから、自民党については、この段階で小沢氏にかなり壊されたと言えましょう。でもまだ、「壊し屋」とは呼ばれませんでした。なぜなら、そのころは壊すだけでなく、同時に新しいものを作ってもいましたし、自民党幹事長時代に頂いた「剛腕」の称号の方が前面に出ていたためです。しかし、非自民連立内部での路線対立を巡って、社会党が連立を離脱したあたりから、隠れていた壊し屋ぶりが表に出てくるようになります。その後、新生党は日本新党、民社党、公明党などと合流して新進党となりましたが、この新進党の運営を巡って小沢の専横ぶりが目立ってきたことに選挙での敗北が追い討ちをかけ、離党者が相次ぐなど新進党は崩壊への坂道を転げ始め、程なく新進党は解散となりました。「剛腕」一筋だった小沢の肩書きに、「壊し屋」が書き添えられるようになったのは、このあたりからです。この新進党解散を経て、小沢は衆院42名、参院12名の手勢を率いて、自由党の党首となります。すると今度は、自自、自自公とかつての古巣、自民党との連立に参加するのですが、元が自公連立のダシに使われたということもあって、自自公連立成立後は冷遇が目立つようになり、連立離脱を決意します。これで、自自公連立は壊れたのですが、自民党の側にも、アナザー「剛腕」の野中幹事長がいたために、自由党に対して強烈な引き抜き工作を仕掛け、衆院の20名、参院の7名を引っこ抜いて、ダミー政党の保守党を結成させ、さらに公明系の議員は公明党に合流したもので、自由党そのものも、党勢は半減するという散々な壊され方をすることになりました。ここまで来ると、もう肩書きの順位も入れ替わって、「壊し屋」第一、「剛腕」第二という感じですよね。そして、その後の選挙も党勢の衰勢を確認するものとなったことから、泡沫政党となって影響力を完全に失ってしまう前にということで、民主党にうまいこと合流し、現在に至るわけです。こうした経歴を見ると、逆に「民主党を壊さずにいれるわけがない」と思ってしまいますよね。

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自民党分裂

小沢「壊し屋」伝説の原点とも言える自民党分裂劇ですが、私は意外と軽い気持ちで始めたものではないかと観測しています。もちろん世の中では、表向きの理由である「政治改革&二大政党制」を真に受けている(芝居をしている)右寄りの人も、小選挙区制移行による「社会党潰し&保守二大政党制」の実現を狙った自民党別働隊にすぎないと見る左寄りの人もいますが、当時から私は、もっと軽い計算で行き当たりばったりで始めたという印象を持っていました。まあ現在は、後者の左寄りの懸念が見事に現実のものとなっている状況なので、結果を見ればその予想で当たりということになるでしょう。それがわかっていて、私はわざわざ違う見解を述べようというのですが、私はこれを非常に単純、だけど意外と盲点な計算による、その意味では「コロンブスの玉子」的な戦略(もしくは思いつき)によるものと見ています。その計算というのは、自民党をベースに政権を獲ろうとすると、値段の高い自民党の議員を一本一本「瓶買い」しなければならず、費用がかさむんですが、自民党という枠を取っ払って派閥単位で考えてみると、値段の安い公明党を丸ごと「樽買い」すれば、はるかに安上がりに大勢力を形成できるんですよね。もちろん、それだけでは政権を獲るほどは集まらないので、ここで田中派時代に親分の下で憶えたキングメーカー戦略が発動されるわけです。「俺の持ってる勢力で、お前を首相にしてやるから仲間になれ」というやつです。

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新進党分解

このような具合で、小沢はまずは細川を首相に担ぎ、次いで羽田(元々、自派閥ですが)を担ぎ、しまいには自民党から海部元首相まで引き抜いてきて、「首相候補」に担ぎました。でも、元を辿れば「俺がなる」のが最初の目的だったはずなのに、蓋を開けてみると、必死の思いで他人を二人も首相にしただけなんですよね。それでさすがに我慢しきれなくなって、「俺がやるぅ」と党首になったんですが、ところがこれが大誤算。選挙で不調が続いて剛腕伝説に翳りが見え始め、求心力が低下してきたところでお山の大将を始めたもので、ジャイアン的腕力で抱き込んでいた幹部クラスのみならず、スネ夫的財力で囲い込んでいた陣笠連中にも見切りをつけられて離党者続出、一抜け二抜けで、新進党は空中分解と相成りました。

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小沢依存

おい、民主党、この間まで小沢なしで当たり前のようにやってきたのに、何だその様は?長年の民主党支持者(仮にいるとすれば)にしてみれば、小沢代表に党内を挙げて「辞めないでー!」とすがるその姿は、嘆かわしいばかりでしょう。ただ、今の世の中、感情よりも勘定というところがありまして、民主党の各議員の皆さんにしても、好き嫌いの話はひとまず置いておいて、ここは小沢にすがるしかないという計算が働いているような感じです。その唯一、とまでは行かないまでも、最大の理由は選挙ですね。「選挙に強い」という小沢神話は、小沢陣営が“カリスマ小沢”プロデュースの一環として、懇意なメディア使って煽ってきたという側面が強く、実際の戦績を見ると、必ずしもはかばかしくはありません。それでも、「与太も言ってりゃ、そのうち当たる」という感じで、参院選での大勝利は、小沢神話に華々しい新たな1ページを書き加える結果となりました。この参院選に関しては、たしかに様々な“風”の助けもありましたが、対する安倍陣営の選挙下手ぶりとの相性がよかったこともあり、小沢陣営の選挙上手ぶりが際立ったこともたしかですね。この選挙では、勝利の行方を左右する鍵となった一人区の大部分を占める農村部で、自民党支持者の実に4分の1から3分1が民主党候補、もしくは推薦の共闘候補に投票したことで、かつてなかったほどのスイング効果(過去記事参照)が発生し、民主党大勝の原動力となりました。これには、たしかに“小沢の顔”が効いたんです。それまでの民主党は、たとえば一区現象(過去記事あるはず)に象徴されるように、都市民の代表という性格が強く、自民党の農村部向けバラマキ戦略をずっと批判してきたように、どちらかと言えば農村部とは敵対的な関係にありました。そのため、都市民へのアピールのためとは言え、民主党にイヂめられてきたという感覚を漠然と持っている農村の人々は、“都市な顔”をしている鳩山や菅では、政策がどうのと口先で何を言おうとも、今ひとつ信用ができず、スイングには踏み切れないという事情がありました。これに対して、元々がズブズブの自民党肌の小沢は、これが見事に“農村な顔”として農家の目には映るもので、これまた逆に、過去に新自由主義路線を高らかに歌い上げていた(だから党名も自由党)ことなどまるで関係なしに、抵抗なく自民党支持層の批判票の受け皿となれたわけです。これは、都市保守層を基盤として党勢を拡大してきた民主党の成り立ちから言って、代役が務まる人間がいないんですね。しかし、この票が取れなければ、次期衆院選で参院選のような大勝の再現が不可能なことは明々白々です。そうなるとやはり、「辞めないでー!」となるわけです。

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レーガン・デモクラット

レーガンとか言っても、もうとっくに過去の人ですし、わかんない人も多いですよね。簡単に説明すると、20年くらい前のアメリカの大統領です。今でも、レーガノミクスという言葉は、サッチャリズムと共に新自由主義の経済政策の代表例として残っているので、それそれ、と言われれば、ああ、とわかる人も少しは増えるかもしれません。現役当時、西部劇俳優出身らしい“威勢のよさ”で、けっこうな人気を集めていまして、大統領選は二度とも安泰だったんですが、その大統領選でのレーガンの強さを支えていた一角に、このレーガン・デモクラットがいました。デモクラット、ここでは民主党支持者という意味です。レーガンは共和党です。大体、話は見えてきましたよね。民主党支持者でありながら、大統領選ではレーガンに投票した人々が、二度の大統領選の帰趨を制する鍵となったんです。なぜかというと、二大政党制の下では、両陣営の勢力は基本的に拮抗していて、その時々の政治状況を反映して若干の強弱が付き、その上で浮動層がどちらに流れ込むかで選挙の行方が決まるものなんですが、この時に片方の支持層がもう片方に流れると、その得票への影響力はきっちり2倍になって選挙結果に反映されるためです。たとえば、普段、お互いに45%の支持層を固め、残り10%の浮動層を取り合っていたとしましょう。ここからどちらかの基礎支持層が5ポイント向こうに移っただけで、10ポイントの差が付き、残りの浮動層を全部獲ってやっとタイ、ということになります。この仕組みがわかったら、次は日本の話です。参院選での民主党の勝利を支えたのは、“小沢の顔”で引き寄せた農村部の自民党支持層だと言いましたよね。これが日本版レーガン・デモクラットです。直訳っぽく当てはめれば「小沢・自民党支持者」。サイテーな訳ですね。では、「小沢の客@自民」とでもしてみましょうか、苦しいですが若干、今風に。

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小沢の客@自民

それではまた、計算です。細かいですけど、これをやってみると、小沢依存の内情が丸わかりになりますんで、是非、グラフでも描きながらやってみて下さい。世論調査の結果は、その時々の情勢によりけっこう上下しますが、ならして見てみると、実は基礎的な支持層というのは、自民党で大体26%程度で、民主党はその半分の13%程度なんです。基礎支持率26%の党が衆院の3分の2近くを占めたり、13%の党が政権獲得を口にすること自体がおかしいというのは、それはそれで正論だと思いますが、ここでの話からはズレるのでまたの機会に譲るとして、改めて、小沢の客@自民に話を戻します。

さて、先の参院選で、農村部でも特に離反の激しかった地域の3分の1という数字を当てはめてみますと、自民党の支持層のうち、9ポイント弱が民主党に移るので、自民26→17強:民主13→22弱となって、基礎票で民主が逆転します。実際の選挙では、この上に浮動層や他党の支持層が乗っかるわけですが、無党派層では、元々、両党の勢力は拮抗しており、野党の支持層は一騎打ちの場合には民主党に大半が流れるので、民主党の優位は揺るぎません。これなんですよね、一にも二にも。民主党は、これがなければ次の衆院選に勝てないのはわかっていますから、とにかく小沢に頼るしかないと。もちろん自民党も、この客を呼び戻すことが至上命題ですから、華はなくともこの層にアピールできる福田にその任を託したわけです。テロ新法がどうのと表では騒いでいても、本当の戦いは、この小沢の客@自民を巡って繰り広げられています。

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高値売り

小沢伝説というと、「剛腕」にしろ「壊し屋」にしろ、なにかと華々しいところだけが目に付きますが、と言うか、華々しいところが目に付くのは当然ちゃあ当然なんですが、その陰に隠れて、高値売りのしたたかさも時折顔を覗かせてきたことも忘れてはいけないでしょう。小沢“高値売り”伝説の第一弾は、なんと言っても自自連立でしょう。当時、自由党と組んだところで、自民党の<衆院では多数・参院では少数>という状況に変化はなく、数字の上では無意味な連立でした。もうちょっと言うと、目的は参院での少数を解決する公明との連立であって、自民党はそのつなぎが欲しかっただけで、早い話が社民党でも何でもよかったんです。でも他の野党は、自社さ政権の失敗から大幅な党勢の後退を招いた社民党のように、あとさき考えると、そうおいそれと誘いに乗るわけには行かないわけでして、自由党が“恩を売ってやる”には、絶好の環境だったんですね。この時に、高値で掴まされたとの思いが自民党の側に残ったことは、念願の自自公連立実現後の冷淡さを見れば、察しは容易につきます。さて次、これまた合流話で、今度は民主党との合併です。当時、民主党はどちらかというと社民党との連携を強めており、合流も視野の遠くには見え始めてもいたんですが、そこに小泉首相の訪朝から拉致問題が突如沸騰し、北朝鮮に近かった社民党がバッシングの嵐でずたぼろになってしまいました。これで、エンガチョ(ヤギッチョ@山形弁)と化した“左側の”社民党から、民主党は慌てて逃げることになり、“右側の”自由党との合流の機運が一気に高まったわけです。こうしてライバルが地雷で吹っ飛んだおかげで、実質“吸収”を名目“合併”にしてもらう、あるいはポストの割り当てで優遇されるなど、合併が流れたら、次の選挙で社民党の現有勢力並みに衰退していたかもしれない際どい立場を、ナイスな高値売りで解消できたというわけです。考えてもみれば、合流時に“売った”<衆員22人参院6人>の自由党で、今では<衆院110人参院109人>の民主党を“買った”わけですから、大した高値売りですよね。これに勝てるのは、新自由クラブを売って自民党を買った河野洋平ぐらいですか。でも、小沢の高値売りは、これで終わりではありませんでした。次の高値売り商談、それが大連立話です。小沢の読みでは、現在の情勢では民主党政権は無理、ならば民主党を売って政権が買えれば儲けものという計算は簡単に成立します。小沢にとって、民主党は一から自分で育てたものではありません。それが仮に(一応、笑)、政権獲得のために買ったものであるとするなら、それを売って政権が買えるなら万々歳でしょう。<1>野党をまとめて政権を獲るのは無理→ならば自自公(オミヤゲ付き)でよし、<2>このままでは自由党は衰退の一途→ならば民主党合流(オミヤゲ付き)でよし、との情勢分析&路線選択でここまで来たわけですから、<3>民主党政権は望み薄→ならば大連立(オミヤゲ付き)でよし、というのは、小沢“高値売り”伝説としては、見事に一貫しています。さすがは「原理原則の男」、スジが通ってるねぇ!

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カリスマ小沢

小沢は、カリスマ扱いされている数少ない政治家の一人です。でも、カリスマっていうのは、プロデュース(セルフも含めますが)なくして出来上がるものではないんですよね、舞台裏の事情を知っている政治学畑の人間から言わせて貰いますと。特に情報技術の発達した現代では、カリスマの形成にメディアの果たす役割は大きいのですが、カリスマの成立において最大の鍵となる要素に“距離”があります。この距離は、物理的なものから精神的なものまで、様々な意味合いでの“距離”を含むものなんですが、メディアは、たとえばその中心であるテレビを例に取ると、それは物理的な距離をカリスマと視聴者の間で保ち、カリスマのプロデュースにとって“不都合な真実”を見えにくくする一方で、カリスマの見た目の能力と視聴者の能力の間の“距離”を繰り返し印象づけるなど、様々な“距離”をコントロールすることにより、程度の差こそあれ、様々なカリスマを作り出していくことができます。さて、それではチーム小沢のカリスマ戦略はどんなものなのか、というのが次の話になってくるわけですが、その一つはおなじみの神話・伝説戦略ですよね。小沢を巡る数々の神話・伝説の流布にメディアの果たした役割はハンパじゃありませんが、その背後にはチーム小沢の周到な戦略があったと私は見ています。しかし、そんなことはどこのチーム、個人もやっていることで、珍しいことでもなんでもありません。それよりも、チーム小沢の戦略として最近際立っているのは、“出さない戦略”の方なんですね、このパフォーマンス全盛の時代の流れとは逆行するかのような。

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出さない戦略

これは、チーム小沢としての戦略です。何を出さないかというと、まずは情報です。記者などに色々聞かれても、簡単には答えない。小沢代表は、辞意表明会見の時に、「メディアが勝手なことを書き飛ばして・・・」といったような恨み言を並べていましたが、日頃から質問にろくに答えずに情報を絞る戦略を採っているんですから、他からのリークで好き勝手なこと書かれたって、自業自得、文句を言う資格はありません。いや、もちろん敵は、チーム小沢のこの戦略を承知の上で、それを逆手にとって仕掛けてきたんですけどね。この件に関しては、チーム小沢、返し技喰らって一本負けです。でも、チーム小沢の“出さない戦略”、これだけで終わりではありません。もう一つ、小沢代表本人を“出さない”という、まさに小泉、安倍と続いた露出過多のパフォーマンス路線とは真逆を行くようなアンチ・パフォーマンス路線です。これ、種明かしをしてみると、何のことはない、“距離“のコントロールの一環です。テレビに出てくる小沢代表の姿を思い出してみると、ほとんどがカンペ見い見いの棒読みですよね。あれは小沢代表の偽らざる実力でしょう。なぜなら、露出を抑えることと上手にしゃべることは別物で、少ない露出機会の中で、わざわざ訥々としゃべるメリットはほとんどない一方で、「無能に見える」など、デメリットは大きいからです。特に、このパフォーマンスの時代に、しかも代表という党の表の顔では、デメリットの方がはるかに上回ります。こうした観測を基に背後に隠れた事実を探って行きますと、ここから先は憶測100%になりますが、どうも世間一般に“小沢の”能力と理解されてそのカリスマ性を支えているものは、実はかなりの割合がチーム小沢の能力で、小沢本人の関与の度合いは非常に低いのではないかという疑いが湧き上がって来ます。自分はかねがね、小泉前首相のスタイルについて、ブレインが入れ替わり立ち替わり中に入る“着ぐるみ”だと言って来ましたが、小沢代表の場合、それに対して歌舞伎役者という印象が強いんですね。台詞すら黒子に読んでもらうのをなぞるという、あのスタイルです。で、もちろん黒子衆がチーム小沢と。そして、歌舞伎役者が黒子の手伝いなしには着替えも上手にできないように、小沢代表もまったく一人でチームの支援が受けられない状態になると、自分一人ではどうしていいかわからなくなるのでは、という気がしています。そうしてみると、この大連立騒動の構造が見えてくるんですよね。大連立話を党に持ち帰った後の党内挙げての反対の大合唱を見ればわかるとおり、あの場面での唯一の正解は、その場で断って帰ってくる、それしかありませんでした。これは、後口で言っているのではありません。その程度の結果も読めないで、政権交代を狙う野党第一党の党首など、本来、務まるものではありません。それを持ち帰る他なかったのは、それを自分では判断できず、党幹部ではなく、チーム小沢に相談しなければならなかったからではないかと、私は見ています。そして、福田首相側はそのことがよくわかっていたから、黒子の助けが使えない一対一の協議を仕掛けたのではないかと。まあ、狙いは何であれ、この騒動で民主党はかなりのダメージを喰らいましたから、ここでも福田首相が一本ですね。

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