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外来語の普及から読み解く戦後史〜part.2

著者

木村傳兵衛

「流行史ラボ」主宰。現在史、恋愛史を専攻。著書は『新語・流行語大全』『新語・流行語かるた』など。

新語・流行語大全↓リンク

http://www.jiyu.co.jp/BookDB/books.cgi?kikaku=11012

レジャー(1961年に登場のカタカナ語)  leisure

1961年の日航国内線乗客数は初めて100万人の大台を超え、この年のメーデーにも「本格的レジャーよ、やってこい」というプラカードが立った。夏山も海水浴場も軒並み記録的な人出でにぎわい、爆発的レジャー・ブームの到来となった。なお、この年の流行語には巨人・大鵬・玉子焼きがある。

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巨人・大鵬・玉子焼き

1961年のことば。当時の子どもたちが好きなものといえば、「巨人、大鵬、玉子焼き」。プロ野球で圧倒的な人気を誇る巨人軍は王貞治、長嶋茂雄というONコンビが大活躍。相撲界でも大鵬が双葉山以来と騒がれて入幕し、たった1年6場所で大関に昇進し、少年達のヒーローとなった。

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マイカー(1962年に登場のカタカナ語)  my+car

自家用車。1950年に1600台だった乗用車の生産台数は60年代には約25万台を数えた。車の大衆化を意味する「モータリゼーション」なる新語も登場するほど。なお、この年の流行語には無責任がある。

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無責任

1962年のことば。ハナ肇、植木等らのクレージー・キャッツ主演の映画が連続してヒット。その中で「ニッポン無責任時代」(東宝)から生まれた〈無責任〉ということばが大衆の共感を呼んで大流行。主題歌の「スーダラ節」とともに大いにヒットした。

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バカンス(1963年に登場のカタカナ語)  vacances

繊維メーカーの東レが「バカンス・ルック」と名づけたサマー・ウェアを売りだして、流行語にまで発展した。ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」もヒット。コニー・フランシスの歌う「バケイション」もこの頃のヒット。なお、この年の流行語にはカギッ子がある。

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カギッ子

1963年のことば。共働き夫婦の増大で、子どもは学校へ行くのにも、遊びに出るのにもカギを持っていく。団地族に代表される中産階級の生活像。学校から帰っても温かい家庭がないので、少年非行化の温床になると危惧する向きも。

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ウルトラC(1964年に登場のカタカナ語)  ultra C

体操競技の難易度を表す言葉。東京五輪が生んだ流行語の一つ。男子体操競技、至難の技。山下治広選手はひねりを加えたウルトラC「ヤマシタトビ一回ひねり」を鮮やかに決め、種目別跳馬で金メダルを獲得。「ものすごい」という意味で一般に使われた。なお、この年の流行語には夢の超特急がある。

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夢の超特急

1964年のことば。東京オリンピック開幕を10日後に控えた10月1日、東海道新幹線が開業した。最高時速210キロ、東京・新大阪間を約4時間で突っ走る新幹線は、工事中から「夢の超特急」と呼ばれて国民の注目を浴びた。高度成長時代のシンボルでもあった。

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アイビー(1965年に登場のカタカナ語)  ivy

アイビーリーグの男子学生風のデザイン、石津謙介が主宰するVANのアイビールックは若者のステイタスとして爆発的に広まった。これが〈アイビー族〉と呼ばれるようになった。なお、この年の流行語にはシェーがある。

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シェー

1965年のことば。赤塚不二夫が描いた破天荒なマンガ「おそ松くん」は一挙に人気を集め、登場人物の「イヤミ」がびっくりしたときにあげる叫び声〈シェー〉はそのポーズとともに社会現象になった。

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GS(1966年に登場の略語)  group sounds

エレキ・ギターのサウンドに日本語の歌詞をのせて、この年はスパイダースの「夕陽が泣いている」やワイルドワンズの「想い出の渚」などがヒット。GSブームは3年ほど続いた。なお、この年の流行語には黒い霧がある。

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黒い霧

1966年のことば。自民党・田中彰治代議士の逮捕にはじまり、閣僚、政府与党の大物はおろか、野党の人間から、さらには地方議会、自治体にまでおよび、積年の病弊が一挙に吹き出した。衆議院もついに〈黒い霧解散〉せざるを得なかった。松本清張の『日本の黒い霧』から由来していることば。

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アングラ(1967年に登場のカタカナ語)  underground

アンダーグラウンドの略。そもそもは、地下活動をする反体制的な集団のことを意味していたが、このころから、前衛的なアート、実験的な映画や演劇につけられる形容詞となった。なお、この年の流行語には中流がある。

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中流

1967年のことば。前年の「国民生活白書」が、国民の約半数が自分を中流と意識しているという調査結果を発表した。ここから「一億総中流」という表現が週刊誌や新聞、テレビを賑わせた。

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ノンポリ(1968年に登場のカタカナ語)  non-policy

政治に無関心ないし直接的な運動に関与しない学生を指してノンポリ学生という。「ノン・ポリティカル」(nonpolitical 非政治的な)から。なお、この年の流行語には全共闘がある。

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全共闘

1968年のことば。大学闘争のなかで、闘争を推進するために組織された全学的な闘争組織の一つ。全学共闘会議の略。学生の自治会や自治会の連合体ではなく、全学の学部学生、教職員の個人や集団が結集した横断的な組織だった。

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エコノミック・アニマル(1969年に登場のカタカナ語)  economic animal

経済上の実利を考える動物。主に経済大国にのし上がった日本人の蔑称として使われた。なお、この年の流行語にはオー!モーレツがある。

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オー!モーレツ

1969年のことば。ガソリンスタンドのテレビCMで、モデルの小川ローザの白いミニスカートが風に舞い上がり、「オー!モーレツ」。高度成長でモーレツ社員があふれる時代、マンガの「もーれつア太郎」も人気を集めた。

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ウーマン・リブ(1970年に登場のカタカナ語)  Women's Liberation

女性自身の手による女性解放運動を意味し、1970年8月にニューヨークで1万人をこえる女性のデモが行われ、日本のマスコミがこれを〈ウーマン・リブ〉と名づけた。なお、この年の流行語にはハイジャックがある。

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ハイジャック

1970年のことば。赤軍派を名のる9人組に日航機「よど号」が乗っ取られた。これが日本でのハイジャック(hijack)事件第1号となった。

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ドル・ショック(1971年に登場のカタカナ語)  dollar shock

アメリカのニクソン大統領が突如ドルの金兌換停止を宣言、東京外為市場にはドル売りが殺到、東京証券市場は史上最大の暴落となった。日本だけ1ドル=360円の固定相場は守り切れず、「円」は暫定的に変動相場制に移行した。なお、この年の流行語には脱サラがある。

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脱サラ

1971年のことば。高度成長にも慣れ、会社勤めでは自分に向いた仕事もできず、それに見合う収入ももらっていない、と考えるサラリーマンが増えてきた。別の会社に移ってもどうせ同じことだから、このさいいっそ独立して好きな仕事をしようというのが脱サラリーマン、脱サラ。

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ワーカホリック(1972年に登場のカタカナ語)  workaholic

ワーク(仕事)とアルコホリック(アル中患者)の合成語。アメリカのW・オーツ博士が造語して日本にも伝わった。家族や休暇を犠牲にしても、仕事第一主義に生きる、いわば仕事中毒患者。なお、この年の流行語には列島改造論がある。

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列島改造論

1972年のことば。田中角栄候補が自民党総裁選にあたって発表した内政政策が〈日本列島改造論〉。新幹線と高速道路をはりめぐらし、大都市近郊の大工場を地方に移転、都市の過密化・地方の過疎化の緩和を図ろうというものであった。

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パニック(1973年に登場のカタカナ語)  panic

石油ショックにともなって、政府はマイカーの自粛や電力消費10%削減など、「省エネ」を呼びかけ、一方で国民の間に起こったのは「買いだめパニック」。ハリウッド製のパニック映画もヒットがつづいた。なお、この年の流行語にはじっとガマンの子であったがある。

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じっとガマンの子であった

1973年のことば。テレビCMで笑福亭仁鶴演じる「子連れ狼」が3分間で出来るレトルト・カレーを子役に作ってやるときのセリフ。「3分間待つのだぞ」のセリフとともに流行語になった。

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ストリーキング(1974年に登場のカタカナ語)  streaking

全裸で街頭を疾走するパフォーマンスで、この年アメリカから起こり、全世界的に流行の兆しを見せた。日本でも、たとえば銀座の歩行者天国に出現した。なお、この年の流行語には巨人軍は永久に不滅ですがある。

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巨人軍は永久に不滅です

1974年のことば。17年間、プロ野球・巨人軍で活躍したミスター・ジャイアンツ長嶋茂雄選手が10月14日の後楽園での試合を最後に「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残して現役を引退。

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シルバーシート(1975年に登場のカタカナ語)  silver seat

東京の国鉄中央線が1973年に老人や身体不自由者の優先席を導入したが、75年、運輸省の通達にともない私鉄、地下鉄がこれに続いた。なお、この年の流行語にはサラ金がある。

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サラ金

1975年のことば。サラリーマン金融の略。無担保、即融資のキャッチフレーズで、すぐカネを借りられる手軽な街の金融機関として業者乱立の高成長を続け、不況に苦しむ零細企業の経営資金にまで利用が広がった。

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