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流行語大賞2006からキーワード〜part.1

品格

藤原正彦

1943年旧満州生まれ。東京大学理学部数学科卒、大学院修士課程修了。コロラド大学助教授などを経て、お茶の水女子大学理学部教授に。数学者、エッセイストとしても活躍し、78年「若き数学者のアメリカ」で日本エッセイストクラブ賞を受賞。06年「国家の品格」がベストセラーに。

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新田次郎

藤原正彦の父で本名・藤原寛人(1912-1980年)。小説家。1932年に中央気象台(現気象庁)に勤務、1937年まで富士観測所交代勤務員として冬の富士山頂で過ごし、その経験を生かして書いた「強力伝」を51年に発表。56年同作品で直木賞を受賞。63年から気象庁測器課長として富士山レーダードーム建設を担当し、66年、文筆活動に専念するため退職した。富士山を愛し、数多く残した一連の山岳小説と小説「武田信玄」によって73年、吉川英治賞を受賞。

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藤原てい

1918年生まれの作家。新田次郎の妻であり、藤原正彦の母。1943年に夫ともに満州にわたり、敗戦後、仕事がまだ残っているという夫を一時残し、子ども3人を連れて満州から引き上げた。その壮絶な引き揚げの体験から帰国後病の床についたとき、遺言の覚悟で引き揚げ体験を書き、1949年に「流れる星は生きている」として発刊されると大ベストセラーとなり、映画化もされた。

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博士の愛した数式

小川洋子が藤原正彦の「天才の栄光と挫折−数学者列伝」からインスピレーションを得、藤原正彦へのインタビューを行ったのち書いたというベストセラー小説。記憶が80分しかもたない老数学者とそこで働く家政婦とその息子の物語。映画化に際しては、藤原正彦への出演依頼も殺到したという。

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お茶の水女子大学

東京都文京区にある文教育学部、理学部、生活科学部からなる1875年創立の大学。少人数での高度な専門教育が特徴。藤原正彦は理学部数学科の教授を務める。卒業生には作家の川上弘美、松尾由美、漫画家の柴門ふみ、フジテレビアナウンサーの中村仁美など。

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武士道

藤原正彦は「論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神」と説き、大学の読書ゼミナールでも新渡戸稲造を読ませる。新渡戸稲造の「武士道」は、2003年のハリウッド映画「ラスト・サムライ」の撮影前に、トム・クルーズが読んだということから一大ブームにもなった。もともと新渡戸稲造が1900年に英語で書いたものが各国で訳された世界のベストセラーである。

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西方浄土

藤原正彦の出身校である東京都立西高等学校の「西」は、西にあるからではなく、仏教用語の「西方浄土」から取られた。西方浄土は西方の遥か彼方、彼岸にあるとされる極楽浄土のこと。

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「想像力がなかったのでは」

姉歯秀次元建築士が構造計算書を偽造し、地震で倒壊する恐れのあるマンション、ホテルが各地で建設された。これにより姉歯元建築士や木村建設の木村盛好社長、販売会社ヒューザーの小嶋進社長、指定確認検査機関であったイーホームズの藤田東吾社長らが逮捕された。事件が公になるにつれ、全国的に構造計算の点検がなされ、耐震強度が不足しているマンションが次々と発覚。姉歯被告に懲役5年、罰金180万円の実刑を言い渡した川口裁判長の「購入者が一生に一度の買い物として毎日の生活を送ることに対する想像力がなかったのでは」という言に表されたように、個人の利潤のために、それぞれが本来の役割をゆがめた事によって起こった品格が問われる事件であった。

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横綱審議委員会

強いだけでなく品格も備えなくてはいけないのが横綱。横綱昇進の際は、相撲に造詣の深い有識者の集まりである横綱審議委員会の決定を経ており、横審から品格を問題にされたケースがある。2006年1月九州場所では、横綱朝青龍関が稀勢の里戦の際、奇襲戦法である「けたぐり」を使ったことについて、「やるべきでない。品格にかける」との注文がつけられた。

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おやじの品格

若者なんか大っきらいだ!女房を怖れるな!子どもに媚びるな!と、おやじ世代によるおやじ世代のための辛口エッセイ。著者は、慶應義塾大学卒業後、出版社に勤務し、月刊誌編集長を務めたが、脱サラ。以後20年来、主夫として家事全般をこなしているフリージャーナリストの嶋中労。

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