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袋小路派の政治経済学*第7講[治安編](後編)
執筆者 土屋 彰久

袋小路派の政治経済学*第7講[治安編](後編)

秋田連続児童殺人事件

秋田の(ある意味、「連続」)児童殺人事件、実は第一被害者の彩香ちゃんの母親、S被告が、彩香ちゃん殺害の加害者であったという、地元でもネットでも早くから根強く囁かれ続けてきた、一応、「驚愕の新事実」が明らかになり、メディアは大いに盛り上がっています。豪憲君の失踪から、この事件をしゃぶり続けてきたメディアの皆さん、後になるほど、期待通り(予定通り?)に大きな新ネタが出てくるというオイシイ展開に、最初からその気で撮り貯めておいたS被告のビデオを流しまくり、「ホクホクの体」といった感じです。一方、事件の推移を固唾を呑んで見守ってきた一般視聴者の皆さんも、「具体的な動機に基づく関係者の犯行であるらしい=自分達の子が第三の被害者になりうるような性質の犯罪ではない」ということが明らかになる中、「また、幼子が変質者の犠牲に?」という当初の不安が解消されたようで、かなりお気楽な観客モードに移行して事件報道を楽しんでいるように見受けられます。裁判員制度の導入を控え、世論調査を見る限りは、裁判員は敬遠したいというのが多数派のようですが、こういう時は、「二人殺したから死刑だろ」とか、「いや、一人は自分の子だから死刑まではないだろう」とか、世の中ににわか裁判長が増えますよね。私の見立てですか?一部で言われている最悪のストーリー、すなわち「犯罪被害者給付金と保険金欲しさに我が子を殺し、さらにそれを目撃した第二被害者を口封じのために殺害した」という話が、事実として認定されたと仮定して量刑を予想するとですね・・・やはり、それでも無期懲役でしょうかね、予想は。この予想に関しては、まったく私情は入っていません。単純な計算です。車の定員なんかで、子どもは3人で大人2人に数えるじゃないですか、それと同じです。実際、法律の世界でも子どもの命は大人の命より軽く扱われておりまして、二人くらいなら大人一人と同程度という感じなんですよ。かつての「子が親を殺したら、死刑または無期のみ」という規定は、違憲判決を受けていたこともあって、廃止されましたが、実際の判決の流れを見ると、「子が親を殺すと重く、親が子を殺すと軽い」という傾向が顕著に見て取れます。

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治安格差

治安格差は、普段から目に見えたり体に感じたりするものの、諦め半分であまり問題視されていない格差の典型です。つまり、認識はされているんですが、文句をつけたところで、良くなるどころか、むしろ嫌がらせを受けかねないために、国民の皆さんは意識下に押し込めているということです。治安格差には、マクロ、ミクロ、様々な格差が存在します。マクロ、ミクロと言っても、分け方は大まかですが、都道府県毎の数値などはマクロ、個人の生活実感などはミクロといった感じで考えてもらえればいいと思います。また、どの側面から見るかによって、「治安」の意味合いはけっこう大きく変わってくるということも、踏まえておく方がいいでしょう。たとえば、それを典型的に表しているのが犯罪の発生率と検挙率の関係です。治安の維持をその任務とする警察にとって、その働きぶりの第一の拠り所は犯罪検挙率ですが、実際に犯罪の被害に遭う一般国民にとっては、犯罪発生率の方が切実な問題です。これは、極端な話になぞらえてみればよくわかります。ある村では、年間100件の殺人事件が発生し、その全てが検挙されており、その隣の村では、年間、1件の窃盗事件が発生したが未解決のまま、という場合、あなたはどちらに住みますか?という話です。

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マクロの治安格差

マクロの治安格差と言えば、わかりやすいのは都市と地方の人口あたりの警察官数の格差です。都市部に警察官が多く配置されているのは、一つは人口が多いためですが、それは「人口あたりの警察官数」には影響は与えません。直接の原因となっているのは、都市部における人口あたりの犯罪発生率の高さという、もう一つの要因の方です。ただ、実際の数字は、必ずしもきれいに並んでいるわけでもありません。2004年度における人口10万人あたりの警察官数を見ると、東京はダントツの345人、最低ランクの40番台には、わが故郷山形も含めて、東北から4県(わが第二の故郷、44番の「南東北」茨城を入れると5県)が入っていて、なるほど、という感じなのですが、141人で栄光のビリに輝いたのは、なんと、さいたま都(せめてものリップ・サービス)なんです。ついでにブービーは長野でして、どうも日本の警察は、海がないとイヤみたいです。あと、西からは唯一、三重が41番に入っています。さてさて、大都会さいたまを抱えるさいたま都が、後背地の東北よりも下に来るとはどういうことかと誰でも思いますが、答えはかなり簡単でして、要するに東京に取られているんです。また、逆に、一桁番台には、京都、大阪といった昔からの都が並んでいますが、201人で4番の山口や199人で6番の長崎なども飛び込んで来ています。ただ、番付より数値を見れば、4番と47番の差より、4番と1番の差の方がはるかに大きいことがわかりますよね。要は、警察も東京一極集中だということです。一方の、犯罪発生率(同じく10万人あたりの認知件数)で見ると、825件と最低の秋田を始めとして、東北はやはり40番台に4県がランクイン、のどかですね。一方、一桁番台には、2901件でトップの大阪や2894件と僅差で2位の愛知の他に、東京を8位にまで押し下げるために割を食ったのか、関東からさらに3県が入っています。そして、残りは京都、兵庫、福岡と、順当に大都市を抱えた府県が入っています。

なんか、数字の話はこのくらいにしたいところですが、これがないと締まらないので、最後にもう一つ、犯罪検挙率です。この数字もまた、色々な事情もあって、けっこうばらつきがあるのですが、まず全体が26.1%と・・・おい、ひどいぞ、犯罪者の4分の3が野放しかよ、という数字です、いきなり。で、栄光の1位は、60.9%の長崎県、これ、ダントツでして、2位ではもう50を切っているのですが、それでも秋田、48.0%。やるじゃないか秋田。そうだ、今回の児童連続殺人事件(秋田連続児童殺人事件)だって、しっかり捕まえてるぞ、二人目の被害者が出てっから、一人目の扱いが事故から事件に格上げになったけど、それでも犯人さえ捕まえれば検挙率にはプラスだぞ。その他にも、一桁番台の県は地方に散らばっていまして、おなじみの東北に加え、ここまでは目立たなかった九州からも、トップの長崎をはじめとして3県が入っています。さてさて、では最悪の犯罪府(予断入りまくり)はどこかな、と見てみると、やはり大方の予想に違わず大阪です、16.2%。その他、40番台には、けっこう近畿、東海から入ってくるんですが、首都圏はどうかと見てみると、さいたまが17.9%でブービー、千葉が41番なんですが、東京はそしらぬ顔で21番(31.5%)です。食われてます、さいたま、東京に。東京は、さいたまから警察官を吸い上げ、犯罪者を吹き込んでいると、数字は雄弁に語っています。「さいたま都」などと持ち上げてみましたが、ここではさいたまは「東京の割を食う地方」の象徴的存在です。ただ、さいたまの側にも責任はあります。さいたまと言うと、投票率の低さでも、全国トップクラス(衆院選比例区で見ると、前回は5位、前々回は1位)です。無投票というのは、与党への投票に続いて、現状への満足を表す投票としてカウントされるので、さいたまの皆さんは、このような現状に大いに満足していると解釈することもできるわけです。

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ミクロの治安格差

ミクロの治安格差は、実際の犯罪被害の経験や身近な犯罪被害の伝聞などにより、個人が日常生活の中で感じる身の回りの治安に関する不安感の格差として表れてきます。ミクロの治安というのは、かなり個人的なレベルでの、攻撃(犯罪)と防御(抑止)のバランスで決まってきます。このバランスの出発点は、戸締まりなどの個人レベルの基本的な防衛と交番・派出所を中心とした地域レベルの警察の活動によって作られる「防御の壁」から始まります。この壁が鉄壁の守りとなっていれば、治安は完全に防御に傾き、犯罪はほとんど発生しません。一方、攻める側の犯罪者としては、この壁に穴やひび割れがあれば、そこをこっそりと抜け、あるいは、壁が低ければ乗り越えたり、薄ければ力ずくでぶち抜いたりといった具合に、虎視眈々と弱点を探し出し、そこを狙ってきます。ここからが、あの手この手で壁を越えようとする犯罪者と、それを防ごうとする住民とのせめぎ合いの始まりです。ここで、本来なら警察が住民の強い味方になってくれるはずなんですが、実際のところは、警官というのは、ほんと、いなくていい時、所にはいくらもいて、切符切ったりしてるくせに、いて欲しい時、所にはめったにいることがないんですね。実際、交番にさえ空き交番が増えているし、警官のいる交番に駆け込んで助けを求めても、追い返されてそのままなぶり殺されてしまったような話もあります。そうなると、本来は税金を払って警察から治安を買っているはずが、やらずぶったくりもいいとこで、身の安全は自分で守るしかないということになるわけです。ここで、個人の所得格差がミクロレベルの治安格差となって表れます。治安という最も基本的な国家サービスが、国民にそれでもまあ平等に提供されたのは遙か昔の話となってしまいました。今では、治安という国家サービスは、実質的に提供されていないと言ってもいいくらいです。だから、身の安全は金で買うしかないということになります。たとえば都心の会社に勤めるOL(旧称BG)の場合、普通に近郊に住んで電車で通勤する限り、痴漢の被害は避けられません。しかし、金があれば、会社に歩いて行ける、あるいは空いてる路線で通える所に家を買ったり借りたりできます。電車通いは、帰りの夜道の一人歩きも危険ですが、これも駅からすぐの所に家があれば問題ないですし、タクシーその他の乗り物も金があれば使えます。でも、金があると泥棒や誘拐犯に狙われるのではないか、って話も当然ありますよね。あります。だから、警備会社の業績は、ずーっと右肩上がりで来てるんです。小泉政権の下で進んだ治安崩壊では、犯罪者だけでなく、警備会社も大いに儲けました。本来、警察がまともに働いていれば、商売上がったりなはずなんですが、実態はその逆だということが、こういうところからもよくわかります。

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犯罪検挙率/犯罪発生率

犯罪を摘発するのは警察の仕事ですが、犯罪を予防するのは政府の仕事です。何を言いたいのかというと、住民は発生率の低下を求めているのに、警察は検挙率の向上を目指しているという、この微妙なズレの理由がそこにあるということです。この二つは、けっして矛盾するものではないので、検挙率が向上すれば発生率も低下しますから、警察は褒められ、住民は喜び、ということになります。しかし逆に、両方が悪化に向かうと、このズレが存在を主張し始めます。つまり、犯罪が増加して検挙率が低下すると、警察が犯罪の予防よりも摘発に力を入れるために、犯罪被害の拡大になかなか歯止めがかからないということです。ただ、そこで警察だけを責めるのも間違いである、ということも理解していただきたいので、犯罪を予防するのは政府の仕事だと言っているわけです。政府は犯罪を予防するために、刑事行政全般を執り行いますが、警察行政はその一部でしかありません。もちろん犯罪摘発の最前線ですから、刑事行政の中で一番目立つ所ではありますが、それで全部ではありません。警察に犯罪を摘発させて犯罪の発生を抑制するというのは、刑事行政の基本中の基本ですが、やはりそれが全部ではありません。犯罪発生の土壌をなくしていくという地道な政策努力もまた、不可欠です。しかし現在のように、不況と貧富の格差拡大というダブルパンチの政策によって、犯罪の発生は促進される一方で、全国で30万人の自衛官を抱えながらも、警察予算は絞りっぱなしで空き交番が大量発生するような状況に置かれて、警察だけに責任を被せられてもそれは無理というものです。そうなれば、警察も当然ながら、住民を守るより組織を守るという内向きな自衛の方向に走らざるをえません。

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検挙率偽装

政府内に蔓延している、目先の数字さえ整えればいいという空気が、行政各部にも順調に流れていっているようで、警察もここのところなりふり構わぬ検挙率向上作戦を展開しています。検挙率というのは、摘発件数を発生件数で割って算出されますが、この発生件数は、現実の発生件数ではなく「認知件数」、つまり、警察が自分で調べたり、被害届を受けたりして認知した件数となります。警察では昔から、いわゆる点数主義のノルマ方式による摘発件数のアップと、被害届握りつぶしによる認知件数の抑制による検挙率の粉飾が行われてきましたが、それだけでは間に合わなくなったので、最近は「自転車狩り」や「オタク狩り」によって、検挙率の偽装に血道を上げています。ちなみに、私自身はバイクの盗難未遂(壊された)で、被害届握りつぶしに遭った他、最近は通勤途中に、よく自転車狩りの被害に遭っています。

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自転車狩り

都会の夜道で若い男が乗った自転車を捕まえて職質するのは、昔から、警官の点数稼ぎの定番でした。これ、点数を稼ぐ上で、それなりの合理性があります。まず、都会は明るいので無灯火で走っていることがほとんどですから、それが表向きの職質の口実となります。次いで、都会で起こる自転車ドロは、酔っぱらいが家まで歩いて帰るのが面倒くさいということで、駅前で手頃な自転車を拝借するというのが多いんですね。そこで、夜中に若い男を狙うと、歩留まりがよいというわけです。ところが、最近はこれを昼間もやるようになりました。なぜ昼間もやるかというと、罪状が違うんです。昔と違って、ほとんど消費雑貨の値段になった自転車ですが、今でも警察の都合に合わせて「たいそうな財産」ということにされています。このような「たいそうな財産」は、拾ったら警察に届けなければなりません。届けずに「勝手に」乗っていると、たとえ事実上は町の粗大ゴミを片づけて再生・活用しと、素晴らしいことをやっていたとしても、法律上は「占有離脱物横領罪」になってしまうんです。人の入れ替わりが激しい都会では、引っ越しの時など、自転車をそのまま置いて行ったり、駅前に捨て置いて行ったりすることがけっこうあるので、それを見つけた貧乏な若者が、これ幸いと頂いて行くことも多いです。この時に、きちんと手続きを踏んでいれば問題ないのですが、貧乏な若者がそれだけの法律知識を持っていることはまずないので、警察がその気になれば即アウトとなります。それでも、この層は基本的に「無害な形式犯」ですので、個々の警官が点数稼ぎのネタにすることはあっても、組織を挙げて検挙率偽装のネタにすることはあまりありませんでした。ところが、現場の苦労を知らない上層部が、世の中の偽装の風に煽られて、低迷を続ける検挙率をなんとか細工して上げようなどと考えたもので、号令一下、全国規模で自転車狩りが始まったわけです。この間も、警官と押し問答しましたが、ひどいものでした。「わざわざ、朝の出勤で急いでいる時間にやることはないだろう」と私。「朝の方がよく捕まるので、出勤の時間帯を狙ってやっているのでご理解を」と相手の警官、しかもニヤつきながら。想定問答集通りの受け答えができたのが嬉しかったようです。リアルな殺意を感じましたよ、マジで。

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オタク狩り

これは、秋葉原であったことなんですが、これ、本当に「被害者なき犯罪」というか、ターゲットにされたオタクの皆さんに、身を守るだけの法律知識があればよかったのですが、それがないばかりに「犯罪者」に仕立て上げられて、検挙率偽装のエサにされてしまったという話です。罪状は「銃刀法違反」、もしくは「軽犯罪法違反」です。何が引っかかるかというと、買った商品の開封用に持っていることが多い、カッターナイフなんです。え?なんで?と思いますよね。これ、刃を全部出すと、形式的には「所持、または携帯が許されない刃物」の規格を満たしてしまうんです。もちろん、「正当な理由」があれば違法ではないのですが、最初から相手の無知と気の弱さにつけ込んで、調書一枚でっち上げてチョンのつもりでやっているわけですから、そんなこと教えてくれません。さらに、反抗的な態度を取れば、待ってましたとばかりに公務執行妨害のおまけも付いてきます。こうして、秋葉のオタク君達も自分達の殻から強引に引っ張り出されて、検挙率偽装運動に協力させられてしまったわけです。

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警察私営化

このような状況では、「なんでも民営化」の新自由主義路線に乗っかって、警察民営化の話が出てきてもおかしくありません。実際、刑務所の運営(正確には法務省の管轄で警察ではないが)では、民間委託の計画が着々と進められていますし、駐車違反の切符切りは、すでに民間委託が始まっています。そもそも、認知件数という大幅に割り引いた数字を基にしても、検挙率が25%前後なわけですから、逆に、そのためにこそ国民は税金を払ってきたということを考えれば、現在でも75%は野放しの犯罪が、さらに25%野放しになるだけで、税金がゼロになるなら、政府はなくしてしまったっていいという話にもなりかねません。実際、貧乏人の家にコソ泥が入ったって、警察は真面目に捜査してくれませんし、金持ちの家なら、警備会社を使っている家なら大抵の家で、税金の方が警備会社への払いをはるかに上回っています。まあ、実際に警察がなくなると、犯罪の発生率が跳ね上がってしまうので、これは数字のお遊びなんですけどね。しかし、現実に目をやると、警察は民営化を論じる以前に、すでに私営化されているような状況にあります。まあ、詳細は硬軟様々ある警察の内幕暴露本を見ていただければわかります。本来は、自分達の給料の負担者である国民の生活の安全を守るために働くのが警察のあるべき姿なんですが、現実には、「警察一家」と呼ばれる、天下り先のファミリー企業なども含めた巨大な組織の利権を守ることが第一となっている実態があります。

バイクに乗る人は、警察のこのような側面を最もよく知っています。バイクは、様々な理由から、盗難やいたずら(窃盗未遂)の被害に遭いやすいのですが、警察はまず滅多に犯人を捕まえてきません。それでは、何をしているのかというと、日夜白バイを走らせて、軽微な違反に言いがかりをつけては切符切りに励んでいます。バイクは、これまた様々な理由から、白バイに狙われるんです。無茶な運転をしているならわかりますが、車の流れに乗っての本当に軽微な形式的違反がほとんどです。これをやられると、毎度のことながらはらわたが煮えくりかえります。「俺のバイクを盗んだ犯人は捕まえないで、どうして俺を先に捕まえるんだ!」という叫びは、心にとどまらず口を突いて出てきます。でも、その答えは簡単、その方が楽で儲かるからです。実際のところ、バイク人口は車の10分の1程度で、しかも法律知識も政治意識も乏しければ、社会的影響力も小さい若年層に偏っているために、どれほど過酷に扱っても平気ということで、このような目に遭っています。これが、今の警察の本性です。税金から給料もらっているんだから、普通に仕事をしてくれ、それがイヤなら警察に就職しようなどと考えないでくれ、と本当に思いますが、皆さん、どうです? でも、税金の使い方に不満があるなら、我々は税金と引き替えに渡される選挙の時に一票に不満を込めるしかありません。それができなければ、治安行政は、やらずぶったくりが続いていくということになります。ま、自分の身は自分で守ろう、でも、税金はたっぷり払ってね、という話です。

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駐車規制厳格化

ひどいことになってます。私も原付を歩道の植え込みの横に停めておいて切符切られました。ほとんど通行の妨げにならないところで、しかも自転車二台分程度のスペースです。もちろん、以前は、まず滅多にありませんでした。これは、別に自分の個人的な恨みとして言っているのではありません。私自身は、厄年でぎっくり腰をやってから、バイクに乗る機会も減ったので、実害はそれほどでもありません。でも、日本経済にとっての実害はハンパじゃないですね。私は、自転車もバイクも車もみっちり乗ってきたので、以前の「形式的違法駐車」が蔓延していた頃の実害−実益バランスというのが、肌でわかっています。いや、それは私に限らず、仕事で路上にいることの多い人はほとんどでしょう。たしかに、常態化した違法駐車が著名渋滞地の渋滞の原因となっているような、明らかに実害が上回っているようなケースもありますが、大抵のドライバーは、“違法の認識があるからこそ”一層、交通の妨げにならないように努力して車を止めるのが普通で、車を運転する身になってみれば、多少、道幅は狭まっても、気楽に車が止められる実益の方がはるかに勝っていました。特に、運送業を始めとして、ものを運ぶのが商売では、一際ですね。このように多くのドライバーが恩恵に浴していた、「マナーを守れば気軽に止められる駐車文化」の実益を奪って登場した、駐車規制厳格化政策ですが、実際に町を走ってみても、その実益を感じることはほとんどありません。私の家の近所の著名渋滞地なんて、新規制施行から一ヶ月もしない内に、また前と同じ状態に戻ってしまっていました。結局、全国のドライバーは、不便と罰金という大幅な実害を被っているわけなんですが、そのかわりにどこに実益が生じたかというと、この新規制に伴って新規発生した「駐車監視業界」と警察が大半を独占しています。これ、実は第三の囲い込みという側面を持っているんですね。

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第三の囲い込み

囲い込みというのは、元々、イギリスで羊毛需要の増加に呼応して、地主が力ずくで共同耕作地から零細農を排除して柵で囲い込み、牧場を拡大したのが始まりです。第一の囲い込みというのは、この牧羊を目的とした囲い込みですが、その後に起こった第二の囲い込みは、穀物を中心とした農作物の生産拡大を目的としたもので、農業技術の進歩や議会の後押しを受けたことなどもあって、より大規模に進められた結果、耕作地を失う零細農が大発生しました。この二度の囲い込みに共通するのは、経済的強者が力ずくで共同耕作地を零細農から取り上げているという点です。この構図、そっくり駐車規制厳格化と重なるんですね。道路が公共のものだというのはわかります。でも、その道路を国民が適度に無料で利用するというのは、国民全体の利益にもつながるものであって、ある意味、道路なしでは経済が成り立たない今日の社会において、道路はかつての「共同耕作地」に似た存在でもあるんですね。そして実際、路上駐車なしで、日本の物流は回りません。道路は公共のものだというお題目を唱えたからと言って、「あなたも私も交通自由・駐車自由」が、「あなたも私も交通自由・駐車不自由」にならなければいけないということはありません。単に駐車が不自由=有料になっているだけ、その金が、道路を「バカ高駐車料金の駐車場」として囲い込んだ警察とそのファミリー企業が大半を占める駐車監視業界に吸い上げられているだけなんです。何のことはない、警察がその権力に任せて、実質的に「国民の無料共同駐車場」として機能していた道路の左端の地帯を、実質的に「ファミリー企業が管理する駐車場」として囲い込んだというのが、この駐車規制厳格化の実態です。これも、警察の私営化を放置してきたことの弊害です。

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