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名誉ある撤退、と言われたいものだ

最近撤退した方々については歴史の判断を待ちたい

ジャガー

イギリスの自動車メーカー。1922年の創業時には小さなサイドカー・メーカーであったが、世界有数の高級自動車メーカーに。99年にフォード社の傘下に入り、2000年にF1に参戦。しかし業績不振とコストの高騰を理由に、04年に撤退し、オーストリアの飲料メーカー、レッドブル社に売却された。

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三菱自動車

三菱自動車は、06年以降の世界ラリー選手権(WRC)参戦休止を発表。パリ・ダカール・ラリーとともに好成績を残していたが、2000(平成12)年のリコール隠しの不祥事以来の経営不振に伴い「三菱自動車再生計画」のもと、本社基盤強化のため、WRCからの撤退を決めた。08年以降の復帰を目標としている。WRCの費用負担の上昇を理由に、強豪のシトロエン、プジョーもともに撤退を決定している。

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ミシュラン

フランスのタイヤ最大手メーカー。2005年12月、06年限りでF1から撤退すると発表した。FIA(国際自動車連盟)が07年からF1のタイヤ・ワンメイク化(F1で使用するタイヤを1メーカーに統一すること)に反発しての決断であった。FIAは単独メーカーにすることによって、F1が公平で安全、安価になると述べ、ミシュランは異なるタイヤで競ってこそのF1であり、車によって最適なタイヤは異なると主張し、互いにネット上でワンメイク化についての是非を公式に述べ合い、タイヤ戦争の様相を呈した。しかしFIAがメーカーを決定する前にミシュラン側が撤退を発表。そして07年からF1のタイヤメーカーは日本のブリヂストンになった。

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オペル

2006(平成18)年5月、オペルが現在の日本国内の在庫を販売終了した時点で撤退することを発表した。ドイツの大手自動車メーカーであったオペルは、1931年に米ゼネラル・モーター社(GM)の子会社となり、信頼性の高い大衆車として欧米で人気を博した。日本では93年に高級輸入車ディーラー・ヤナセが販売を始めると、輸入車なのに200万円程度の比較的安価で購入できるとあって、95年には輸入車販売のトップとなった。しかしGMとヤナセの不協和音や、国内メーカーの安価な小型車の投入、また高級車の低価格ランクの登場などにより96年には年間3万台数以上あった売り上げが、05年にはわずか1800台までに落ち込んでしまった。今後GMはオペルの販売を欧州に絞り、日本国内ではキャデラックとサーブに注力していくという。オペルを買収した31年以来、世界最大の自動車メーカーとして君臨してきたGMだが、相次ぐ買収で乱立するブランドを収拾しきれず、また日本車の攻勢などで現在は経営難のGM。今回のリストラでどれだけ巻き返せるのか注目だ。

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セフォラ

フランス最大のコスメショップ。欧州でも第2位の売り上げを誇っていたが、1997年に世界最大のブランドグループLVMHの小売事業進出の旗手として買収された。同年LVMHは免税店のDFSチェーンも買収し、小売業務を一気に拡大。セフォラは1999年には日本に進出。1号店を銀座にオープンし、東京には渋谷、船橋、池袋、新宿、原宿、大阪には心斎橋に店舗を拡大したが、2001年に日本市場撤退。セフォラは高級感を売りにしたセルフ方式の店であり、高級品は百貨店などで対面販売のカウンセリング方式が主体で、ディスカウントはドラッグストアなどのセルフ方式という住み分けがあった日本コスメ市場とって、セフォラは「黒船」ともいわれたが、画期的であったとはいえ、結局、従来の日本のコスメ購入形態になじめなかったといえる。

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カルフール

世界第2位、欧州第1位のフランスの小売業者。1959年に創業し、63年に巨大なセルフサービス店をパリ郊外にオープンし、ハイパーマーケットの概念を浸透させ、順調に業績を伸ばした。2000年12月千葉の幕張新都心を皮切りに日本市場に参入したが、05年日本市場を撤退し、イオンに売却した。イオンマルシェ株式会社として、06年現在8店舗を展開。カルフールは、日本をはじめベルギー、イギリス、イタリアなどすでに大規模チェーンなど流通市場が充実していた国々からは進出後、撤退したが、中国や台湾、スペインなどでは成功を収めた。2006年3月現在、世界中で6987店舗を持つ。

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Boots

1849年創業のイギリスのドラッグストア。ブート夫妻がハーブ薬を扱う店としてオープンした。98年に三菱商事と合弁会社を設立して日本に進出。銀座の晴海通りと並木通りの角地にオープンしたときは、通りをはさんでマツモトキヨシが銀座に初出店し、日英ドラッグストア対決と言われた。イギリスでのBootsが庶民的であるのに対し、日本の店舗は高級路線で売ったためか、売り上げが伸びずに撤退。銀座にそぐわないとさんざん非難されたマツキヨの勝利となった。1300店舗を展開する英国内ではプライベートブランドの医薬品や化粧品を多く取り扱って売り上げの主力となっているが、日本国内に海外のプライベートブランドの医薬品を持ち込むのは薬事法上難しかったのも原因といわれる。現在Bootsの跡地はCoachの旗艦店舗となっている。

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TBS買収

「放送と通信融合」を旗印に、ソフトバンク、そしてライブドアも失敗したIT企業の大手メディア買収。2005年(平成17)10月に「一文無しになってもいい」とその夢に挑んだ楽天・三木谷も野望をくじかれ、和解という名の撤退に近い格好に落ち着いた。1110億円もの金額をTBS株取得の資金に使った楽天だが、敵対的買収は避けたものの、両社の和解案は放送と通信の「融合」ではなく「連携」。大株主として、今後はTBSの業務改善に関与していく予定。

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