月刊基礎知識
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戦いは深刻じゃなければとびきりのお祭りだ

ワールドカップ(サッカー)

イタリア大会

1934年、ムッソリーニのファシズム政権下に行われた国威発揚のための大会、といわれる。絶対優勝の責務を負ったイタリアは、サッカー協会にも圧力をかけ、審判も買収するなどあらゆる手段を用い、優勝を果たす。しかし、前回優勝のウルグアイが、イタリアがウルグアイ大会をボイコットした報復としてイタリア大会をボイコットしたり、イタリアがアルゼンチンから主力3選手を引き抜き、自国のメンバーに加えたことにアルゼンチンが反発しサブチームで参加するなど、イタリアが初優勝したこの大会は、史上最悪の大会として刻まれた。

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世界の火薬庫

クロアチア共和国は、歴史的に民族・宗教対立から戦争が繰り返されてきたバルカン半島に位置する。1990年から95年にかけてのクロアチア紛争を経て91年にユーゴスラビアから独立し、98年ワールドカップ・フランス大会に初出場。人口450万人足らずの小国家が、国民に誇りを持たるため、新国家として世界へアピールするために並々ならぬ決意での参加であった。結果は3位。それまでユーゴ代表として戦っていた主将ズボニミール・ボバンや得点王に輝いたダボール・シュケルらが自国クロアチア代表として活躍し、初出場の小国の名を世界に知らしめた。なお「世界の火薬庫」の呼び名は激しい紛争の起こる地域を指していわれ、前述のようにバルカン半島、そして中東が定番であったが、近年ではいくつかの書籍に目を通すと北東アジアや北オセチア、インド・パキスタンなどを形容する用語としても使用されているようだ。

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民族浄化  ethnic cleansing / ethnic purification

1993年版本誌掲載。以下、

旧ユーゴスラビア、とくにボスニア・ヘルツェゴビナを舞台に繰り広げられている内戦は、文字どおり「血で血を洗う」感じの凄惨きわまりない死闘の様相を日増しに濃くしつつある。もともとボスニアには、セルビア人、クロアチア人、イスラム教徒の大別して三種類のエスニック(民族)グループが住んでいたが、チトー大統領が六つの共和国と一つの自治州(コソボ)をユーゴスラビアという旗の下に連邦国家としてまとめていたころは、みんな仲よく融和して暮らしていた。ところが、1980年の五月にチトー大統領が死去したころからまたもや歴史的な民族間の対立が顕在化しはじめ、1980年代の末期から90年代の初頭にかけてのとうとうたる社会主義国自由化の波の中で、「バルト三国に続け!」とばかり各共和国で分離・独立の動きが激しくなってきた。そして、1991年6月にスロベニアとクロアチアが遂に独立を宣言、「そうはさせじ」と焦るセルビアが軍隊を送り込んでこれを鎮圧しようとしたため“内戦”に発展した。クロアチアとセルビアの中間にあたかも緩衝地帯のようにして横たわっているのがサラエボを首都とするボスニア・ヘルツェゴビナであるが、やがて戦いの主舞台はそちらのほうに移り、最近ではセルビアばかりではなくクロアチアまでが、この地に対して領土的野心を抱くに至った。こうなると、セルビア人とクロアチア人はキリスト教系であるが、ボスニアの住民の大半はイスラム教徒であるため、どうしても“民族”としての“純血”を求める戦いの様相を深めてくる。セルビア人の父とイスラム教徒の母との間に生まれた混血の小学生が、「私の体からイスラムの血を抜き取ってほしい!」と泣き叫んだ…などという話が日常茶飯の如くに伝えられる昨今、ボスニアでは“エスニック・クレンザー”などと呼ばれる純血主義者たちが残酷きわまりない異民族狩りを繰り返し、本来的にはあり得ようはずもない“エスニック・ピューリティ”(民族的純粋さ)を求めて、ナチスも真っ青の「民族浄化」テロを敢行しているのだ。

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セルビア・モンテネグロ

セルビア共和国とモンテネグロ共和国からなる連合国家。2003年ユーゴスラヴィア連邦共和国から改称された。スポーツが盛んな国であり、水球やバスケットボール、バレーボールは常に世界のトップにランキングされている。サッカーも、旧ユーゴ時代に「東欧のブラジル」と呼ばれた強豪国。しかし「民族浄化」の思想のもとに、異民族の排斥や強制移住で住民の純化をはかる政策をとり、内乱を引き起こしたユーゴに対して国連が制裁を課し、92年からスポーツの国際大会に参加できなくなってしまった。92年の欧州選手権は代表選手が開催国入りしていたにも関わらず帰国を余儀なくされた。94年ワールドカップにも参加できず、国際舞台復帰を許されるまで6年を要し、98年フランス大会ではベスト16に進出した。06年、モンテネグロが独立国家への動きを進めており、ワールドカップ・ドイツ大会が、セルビア・モンテネグロの国名で参加する最初で最後のワールドカップになる。

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テーハンミングック

2003年版本誌掲載。以下、

大韓民国のこと。2002年、日韓共催で行われたサッカーワールドカップでひときわ大きかった応援コール。「テーハンミングック!」の大声援の後押しされた韓国代表は、スペイン代表を破ってベスト4に進出。韓国代表のサポーター「レッド・デビルズ」にちなんで、「Be the Reds」と書かれたTシャツが飛ぶように売れ、韓国国民の合言葉にもなった。

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カメルーン騒動

2003年版本誌掲載。以下、

友好関係が実ってワールドカップ・カメルーン代表チームのキャンプ誘致に成功した大分県中津江村だったが、選手の待遇問題で到着が4日も遅れることに。ところが、辺鄙な村の健闘を面白がって長期取材を断行した久米宏「ニュースステーション」の手伝いもあって悲劇の村は一転全国の注目を浴びる。遅れはしたものの厳しい日程を縫って地元少年チームとの試合など友好に努めるカメルーンチームの姿も好感度アップ。日本でも活躍した英雄エムボマの好物はうどん。

※編集部註:なお、2005年3月、周辺の二つの町と中津江村を含む三つの村が日田市に編入合併したが、住所表示は「大分県日田市中津江村」として残された。現在もカメルーンと交流があり、06年ワールドカップもドイツへの応援ツアーを計画していたが、同国のアフリカ予選敗退で取りやめに。意気消沈のムードが流れるなか、早くも観光施設では「2010年 南アフリカ大会 カメルーンがんばれ」の垂れ幕が掲げられた。交流が途絶えた02年のキャンプ地もあるなか、中津江村の交流は根付いている。

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