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2005流行語大賞からキーワード

フォー

ファイティング・オペラ

2004年にはじまったエンターテイメント型プロレスイベント「ハッスル」。高田総統こと高田延彦率いる「モンスター軍」と、キャプテン・ハッスルこと小川直也率いる「ハッスル軍」の対決を軸にし、キャラクターを際立たせる派手なコスチュームやマイクパフォーマンスなど、過剰なまでの演出で「ファイティング・オペラ」と称される。05年11月、横浜アリーナで2万人の観客を動員して行われたハッスル・マニアは、狂言師の和泉元彌やグラビア・アイドルのインリンの参戦でも話題を呼び、メーンイベントではレイザーラモンHGがハッスル軍として堂々のプロレスデビューを果たした。

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リッキー・マーティン

1971年プエルトリコ生まれ。12歳のときにラテン・アメリカの人気グループ「メヌード」の追加メンバーとしてデビュー。94年からはアメリカで俳優としても活躍し、98年にサッカー・ワールドカップのテーマ曲「カップ・オブ・ライフ」で世界にその名を知られるようになった。ビルボードNO.1ヒット曲「Livin' La Vida Loca」は、郷ひろみが「Gold Finger '99」としてカバーし、こちらも大ヒット。現在では事実上のレイザーラモンHGのテーマ曲にもなっている。

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コープさん

レイザーラモンHGが同志社大学を卒業後に就職したのは、日本で最も規模の大きな生活協同組合「コープこうべ」。生活協同組合とは組合員自らが出資・利用・運営する組織であり、現在、すべての都道府県にある。店舗事業や、近所のグループ単位で発注や商品の受け渡しを行う「協同購入」、グループに参加しなくてもよい「戸別配達」などを軸に、地域に根ざした活動を展開している。神戸市東灘区に本部を置くコープこうべは、1921年に創設され、現在組合員は123万人以上である。阪神間の住む人びとは「生協」「コープ」などと冷たい呼び方はせず、親しみを込めて「コープさん」と呼ぶ。

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ポリス・アカデミー

レイザーラモンHGは、レザーファッションとサングラスがトレードマーク。そのいでたちは、映画「ポリス・アカデミー」のゲイバーから着想したそう。ポリス・アカデミーは1984年に公開されたアメリカのコメディで、警察官の採用制限撤廃に伴って警察学校に集まってきたとんでもない面々がしでかすドタバタ劇。1994年の第7作までシリーズ化され、全7作の興行収入はアメリカ国内だけで2億3000万ドルにものぼった。

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スコット・ホール

1959年、アメリカ・フロリダ州生まれのプロレスラー。84年にプロレスデビュー。デビュー当時はコヨーテと名乗り、その後所属団体を転々とするなか、WWF(現在のWWE)に所属した92年にレイザー・ラモンを名乗り、バッドガイとして活躍。新日本プロレスなど日本のマットにも数多く参戦している。

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同志社プロレス同盟

レイザーラモンHGが所属していたのは、日本で最初に誕生した学生プロレス団体といわれる同志社プロレス同盟(DWA)。相方の出渕誠は立命館大学プロレス同好会(RWF)に在籍しており、学生プロレスの交流戦で知り合った。HGは「ギブアップ住谷」のリングネームで、京都統一ヘビー級チャンピオンにもなっている。

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ホームラン寄席

吉本興業のコンビ「バッファロー吾郎」が関西で行っているイベント。レイザーラモンはこのイベントから本格的なお笑いのキャリアを開始した。

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なかやまきんに君

1978年福岡生まれのタレント。吉本興業所属。レイザーラモンHG人気のきっかけとなったTBS系のテレビ番組「爆笑問題のバク天!」に初登場したのは、なかやまきんに君の友人としてだった。「筋肉漫談」や「筋肉寄席」など筋肉自体が芸。「健康のためなら死んでもいい」がキャッチフレーズで、HGと同じジムに通い、自慢の筋肉を鍛える。

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gay

もともとは「愉快な」「楽しい」「華やかな」がgayの意味であったが、転じて同性愛を指す言葉となった。主に男性の同性愛者を指し、女性の同性愛者を指すときはlesbianを使ったが、現在では男女を問わず使う。

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