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自民党、品位ある言動の戦後史
著者 木村傳兵衛

自民党、品位ある言動の戦後史

貧乏人は麦を食え

1950年、池田勇人蔵相のセリフから。記者会見の席上、「3月危機に中小企業の倒産や税金苦の自殺者が出てもやむをえない」といった暴言を放った池田蔵相、さっそくに衆議院に不信任案が上程された。それは否決されたものの、9か月後の12月、今度は米価問題に関し、「日本人はみな同じものを食べているが、私は所得に応じて、所得の多い人はコメを食う、所得の少い人は麦を多く食うというような、経済の原則に沿ったほうへ持って行きたい」と歴史に残る迷言を放つ。「これでは、貧乏人は麦を食えと言わんばかりじゃないか」と、マスコミは厳しい批判を浴びせた。

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バカヤロー

1953年、吉田茂首相のあまりにも有名な逸話。2月28日の衆議院予算委員会、右派社会党西村栄一議員と口論になった吉田茂首相は「バカヤロー」と叫んだ。野党は懲罰動議を提出。この懲罰動議をめぐって答辞の自由党は分裂まで引き起こした。3月14日吉田内閣不信任案が成立した直後、首相は衆議院を解散、これが「バカヤロー解散」といわれた。「ワンマン宰相」と称された吉田茂だが、有能な官僚を大胆に登用し「軽武装・経済優先」という、のちの日本の基礎となる路線を作り上げた。

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選挙に落ちればタダの人

1963年、自民党副総裁・大野伴睦のことばから。池田勇人首相が衆院を解散したとき、「前代議士諸君、サルは木から落ちてもサルだが、代議士は落ちればタダの人」。これは迷言というより名言として記録されている。言語世界観としては杉村太蔵議員の「ヒラリーマン」と共通しており、似たようなパースペクティブに基づくのかもしれない。衆議院議長も務めた大野伴睦だが「政治は義理と人情だ」なんてセリフも話題になり、「伴ちゃん」の愛称で親しまれたかと思えば、新幹線岐阜羽島駅前には銅像まで立っている。

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自衛隊は人を殺せ

1970年、今東光参議院議員の発言。陸上自衛隊新発田駐屯部隊の隊員が集まっているところでの講演会で、今議員は「自衛隊は軍隊だ。人を殺すためにある。君たちは、だから安心して人を殺せばいい」と檄を飛ばした。今東光は天台宗僧侶にして、1956年に『お吟さま』で直木賞を受賞。1968年には参議院議員選挙に自由民主党から立候補、当選し参議院議員を1期務めた。この発言は国会議員としての憲法遵守義務に違反していると野党からの猛反発を浴びた。

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リンリ・リンリ

1983年、中曽根首相。この年12月の衆参ダブル選挙は「政策テーマのない選挙」に終始した。折からの田中角栄の一審有罪判決を受けて、政策論争の代わりに野党側が持ち出したのが政治倫理問題。街に村に「政治倫理」の叫びがかまびすしく、「リンリ、リンリ」とまるで鈴虫が鳴いているようじゃないかと切り返したのが、中曽根首相。それを誰かが「鈴虫発言」なんぞとおだてたネーミングをするものだから、この人、その後もずっと、何かというと気の利いたフレーズを飛ばしてやろうと乗り出してくる。

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野党支持者は毛ばりに引っかかる魚

1986年、渡辺美智雄通産相のセリフから。「野党は先立つものがなくて、学校建てろ、給料上げろ、年金増やせ、掛け金下げろ、とウソばかり。こんなものに引っ掛かるのは、毛ばりに引っ掛かる魚と同じで、知能指数が高くないと言われてもしかたない」。「ミッチー」の愛称で親しまれた渡辺美智雄は迷言、失言が多く、副総理まで務めたが、ついに首相の座に着くことはなかった。

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知的水準発言

1986年、中曽根首相。「日本はこれだけ高学歴社会になって、相当インテリジェントなソサエティーになってきておる。アメリカでは黒人とかプエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって平均的に見たら(知的水準は)非常にまだ低い」。これが米国の黒人、プエルトリコ人はもちろん、大多数の米国人の反発を招き、人種差別発言として大問題となった。中曽根首相は「日本は単一民族だから高い教育水準を保つことが出来るが、アメリカは多民族社会だから日本に比べてそれが困難という意味」と弁解。今度はアイヌ民族団体から「単一民族発言はアイヌ民族の存在を無視するもの」と抗議が起こった。

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殺人者呼ばわり

1988年、浜田幸一議員。衆院予算委員会で、テレビ放映中継下での共産党議員の質問中、浜田幸一委員長が、宮本顕治共産党議長を殺人者呼ばわりし紛糾、騒然となった。「私が言ってるのは、宮沢賢治君が人を殺したといっただけじゃないですか。何が悪いんですか」。宮本顕治を宮沢賢治とを言い間違えて平気なのもハマコーらしいが、1978年には社会党議員の質問中に「この強姦野郎!」とヤジを飛ばして問題になった。しかし本人は「私が予算委員会でヤジを飛ばした強姦問題にしても、私は、政治家としてうそを言ったことは一回もありません」と開き直った。

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日本も核武装したほうがええかも

1999年、西村真悟防衛政務次官(自由党、当時)が「週刊プレイボーイ」誌上で対談。「日本も核武装したほうがええかもわからんということも国会で検討せなアカンな」「核とは抑止力。強姦してもなんにも罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔になってるやん。けど、罰の抑止力があるからそうならない」と発言。翌週政務次官を辞任した西村だが、「集団的自衛権は強姦されてる女を男が助けるという原理ですわ」といった表現は女性議員たちから猛反発をくらった。なお、この西村真悟議員、2005年11月、弁護士法違反容疑で逮捕され民主党から除名処分と議員辞職勧告を受けている。

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日本は神の国

2000年、森喜朗首相の発言から。神道政治連盟国会議員懇談会(この会の会長は綿貫民輔代議士)の結成30周年記念祝賀会で森総理、「この懇談会は昭和の日の制定や先帝陛下60年の即位式典とか、政府側が若干及び腰になるようなことを前面に出して、日本の国はまさに天皇を中心とする神の国であるということを国民にしっかりと承知していただくという思いで活動をしてきた」と挨拶。この「日本は神の国」発言は大きく報じられ、民主・共産・自由・社民の4党は「憲法違反、憲法否定であり、首相として資格と資質を全く欠く。森内閣は総辞職すべきだ」として、衆院に内閣不信任決議案を提出した。どうやらこれは失言ではなく、本人も「間違ってない」と訂正しなかったところをみると、マジな発言だったようで、そんな人間を国民の代表に選び、総理にまでしてしまった側に間違いがあったとあきらめるべきなのか。

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寝てしまってくれれば

2000年、森喜朗首相の発言から。衆院選に関する事前の世論調査で与党3党が安定多数を確保する勢いであることに関して「無党派層と言われる人たちの判断が最後には選挙を決める」として、そんな無党派層は選挙の日には「寝てしまってくれれば、それでいいんですけども」と本音をもらした。これじゃ、まるで棄権を奨励しているようなもの。要するに(選挙に)勝てばオッケーってことを露骨に、首相みずから民主主義なんぞどうでもいいと表明してしまった好例である。

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レイプは元気

2003年、太田誠一議員の発言から。早稲田大学のサークル「スーパーフリー」の男子学生らが集団レイプを繰り返していた事件が発覚した際、「レイプする人はまだ元気があっていい、正常に近いんじゃないか」と。福岡3区選出の衆議院議員である太田さんによれば、最近の若い男性は、プロポーズする元気のないやつが多くなっている。だからむしろ集団レイプするやつの方が見どころがる、とい言いたかったらしい。太田議員公式サイトには「太田誠一語録」というコーナーがあるが、そこにこの発言は記載されてない。

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不法滞在者は泥棒や人殺しばかり

2003年、江藤隆美の発言から。1995年に江藤は日本の植民地支配について「日本はいいこともした」と言って閣僚辞任に追い込まれているが、その8年後。自民党江藤・亀井派会長として党支部定期大会で講演した江藤、不法滞在の外国人について、「泥棒やら、人殺しやらばかりしているやつらで、いっぱい日本にはいる」と。朝鮮半島の有事で、難民が船で日本海から上陸する事態に備えた治安維持の必要性を訴えるなかでこう言及したのだが、不法滞在者のすべてが凶悪犯罪者という印象を与え、外国人への偏見をあおっている、と強烈な反発を受けた。

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創氏改名は強制していない

2003年、麻生太郎。ポスト小泉つまり次期自由民主党総裁候補の有力者の一人として、名前が挙がっている麻生太郎は大胆な物言いで知られる。創氏改名は日本の植民地下の朝鮮で、朝鮮人固有の姓を日本式の名前に改めさせようとした政策で、1939年に公布されている。東京大学の学園祭で麻生は「あの時代、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと、名前のところにキンとかアンとか書いてあり、『朝鮮人だな』といわれて、仕事がしにくかった。だから名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ」という趣旨の発言をし、創氏改名は強制されたものであるという立場をとる韓国などの大きな反発を招いた。

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