月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
言葉遊びシリーズ「気になる日本語」編
執筆者 三木邦裕

言葉遊びシリーズ「気になる日本語」編

箸より重いものを持ったことがない

昔から、良家の坊ちゃん等によく使われる。非力ということでほめ言葉ではなさそうである。しかし、箸より重いものを持ったことがなければ「ご飯」は食べられない。箸の上にご飯を乗せるのであるから、必ず「箸より重いもの」になるからである。そこに物理的誤謬がある。

ページの先頭へ 戻る

風見鶏

よく西洋風(何か古い言葉だな)の家の軒先にある。風の向きを見るものであろう。しかし、北風が吹いているときは、風見鶏は「南」を向いている。つまり、風の方向を見ているのではない。そこで、これでは「風見ず鶏」ということにならないかという点が気になっている。

「あいつは風見鶏だからな」というが、風見鶏は北風が吹けば南を向き、南風が吹けば北を向くので、それは「ひねくれ者」という意味にすればどうかと思うのである。

ページの先頭へ 戻る

己の欲する所

「己の欲する所を人に施せ」と「己の欲せざる所は人に施すことなかれ」。「己の欲する所を人に施せ」というのは、聖書の言葉である。これを聞くと、「レモンとから揚げ」が浮かんでくる。飲みに行き「から揚げ」を注文すると「レモン」が付いてくる。そして、誰にも何も聴かずに「レモンをから揚げにかける」奴がいることを思い出すのである。から揚げにはレモンをかけるものだと思っているのであろうか。自分がいいと思うことは他人もいいと思っているという身近な例である。そういえば、どこかの国では民主主義を押し付けているなあ。

「己の欲せざる所は人に施すことなかれ」は、論語の言葉である。自分が嫌だなと思うことは他人に押し付けるなといっている。私はできればそうしたいと思っている。

ページの先頭へ 戻る

名誉棄損

少し、法律的なことにも触れておこう。新聞では「名誉『棄』損」と「き」について「すてる」という言葉を使っている。刑法230条1項は「名誉毀損」と「き」について「こわす」という字を充てている。名誉を「すてる」ことではなく、「こわす」ことが犯罪となる。従って、「名誉『毀』損」が正しいのではないかと思うのである。

ページの先頭へ 戻る

乗り降りはお早く願います

これは、乗車の際によく聞くであろう。満員電車は嫌なものである。しかし、「人が乗ってから降りる」ことを想像すると、無理ではないかと思う。ここは「人が降りてから乗る」方がベターである。従って、「降り乗りはお早く願います」ではないのかと思うのである。東京の西武線で「降り乗りはお早く願います」とうアナウンスを聞いたことがある。これは今述べたことに気がついた誰か上司の人が変えたのであろう。

ページの先頭へ 戻る

先の副将軍(水戸光圀)

言わずと知れた長寿番組の主人公である。「この紋所が目に入らぬか。このお方をどなたと心得る。恐れ多くも先の副将軍『水戸光圀』公にあらせられるぞ」というのを一度は聞かれたこともあろう。しかし、先の副将軍というのは、前の副将軍ということである。現在の日本で言えば前の副総理である。アメリカでいえば前の副大統領である。

前の副総理や前の副大統領を何人の人が覚えているのだろう。また、前の副将軍がそんなに偉いのだろうか。ものすごく疑問である。

ページの先頭へ 戻る

己に勝つ

私にはこのような器用なことは絶対にできない。勝つ己がいるということはそれに負ける己もいるということである。容易に想像できない。何のことか理解できない。

ページの先頭へ 戻る

スカイラーク

このような名前の「ファミリーレストラン」がある。これは直訳すると「空のひばり」である。私はスカイラークを見るたびに「美空ひばり」を思い出す。これは一種のサブリミナル効果ではなかろうか。

ページの先頭へ 戻る

七転び八起き

これは非常に不思議な言い回しである。七回転ぶと七回しか起き上がれない。「七転び七起き」ではないのか。

ページの先頭へ 戻る

七転八倒

私は以前、「腎臓結石」になったことがある。そのときはまさに「七転八倒」であった。しかし、前の「七転」は分かる。後半の「八倒」が分からない。これは「倒れる」である。「倒れる」ためには、前提として起き上がっていなければならない。あの、腎臓結石の最中、わざわざ起き上がって倒れることができるか。

ページの先頭へ 戻る

二兎を追うものは一兎をも得ず

昔から言われている。しかし、「二兎を追わなければ二兎は得られない」のではないかと思うのである。「二兎を追っているから、一兎をも取り逃がしたではないか」と人は批難する。好きなように生きているのだから別にいいじゃないか。

ページの先頭へ 戻る

ウサギとカメ

この昔話を知らない人はあまりいないのではないかと思う。「油断してはだめだ」という教訓とはなっているが、物事の本質には全然迫っていない。

ウサギとカメが足の早さを競えばウサギが勝つに決まっている。だからカメは駄目だというわけではあるまい。モーツアルトとエジソンが作曲で競争した。モーツアルトが勝ったとしてもエジソンが駄目なわけではないのである。

競争する手段が間違っていることを子供に教えるべきではないと思うのだが…。

ページの先頭へ 戻る

白線の内側

これは電車のホームでよく聞く。「白線」ではなく「黄色い線」ということもある。しかし、内側とはどちら側なのであろうか。線路側かホーム側か。それともあの狭い白線の「内側」につま先立ちをすべきなのか。

概念法学はこうして静かに立ち去っていく。

ページの先頭へ 戻る

有限会社

「有限会社」って何ですか。「有限責任社員」だけで成立している会社です。「株式会社」も有限責任社員だけで成立していますが…。有限会社というのは、「限りある会社」であると答えた人がいた。そうかも知れない。もうすぐ、商法が改正されて有限会社が設立できなくなるらしい

ページの先頭へ 戻る

大は小を兼ねる

何を言いたいのかよく分からないフレーズである。妙に納得することもあるが、世の中には「大は小を兼ねない」ものは沢山ある。例えば、靴、ズボン等身に着けるものを考えれば明らかである。

ページの先頭へ 戻る

八岐大蛇

「岐」は分かれるという意味である。二股に分かれる場合、確かに二つの道があるが、分かれるのは1点である。これは小学生のときに習った「植木算」により確認できる。それでは八つに分かれている大蛇は頭が八つ、尾が八つであるが、分かれているのは「七つの点」である。植木算とこれらの関係はどうなっているのか。これからも植木算を信用していいのですね。

ページの先頭へ 戻る

40にして惑わず

孔子の言葉である。40歳のことを「不惑」ともいう。40歳を超えた人は、10代や20代を思い出して頂きたい。若い頃の方が惑わなかった気がしないか。40歳を超すと様々な世間の垢がついて惑って惑って仕方がないと思うのだが…。やはり孔子は凄いのかな。

ページの先頭へ 戻る

命のせんたく

昔、電気洗濯機が登場した頃、テレビのCMに相撲取りが2人でしぼった洗濯物を洗濯機の手回しにかけ「まだしぼれます」というのがあった。

命はどうしてしぼるのだろう。

ページの先頭へ 戻る

買わなければ当たらない

宝くじの購買意欲を駆り立てる。しかし、「買っても当たらない」のであれば、「買わなければ当たらない」というのは空虚な言葉である。昔、「ホンダラ行進曲」というのがあって、「やってもやってもホンダラホダラタならば、やらずにホンダラホダラタ」という趣旨の歌詞だった。まさに言いえて妙である。「買っても買ってもホンダラホダラタならば、買わずにホンダラホダラタ」だ。

ページの先頭へ 戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS