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戦後60年に去来したブームたち

音楽のブーム

マンボ・ブーム  Mambo boom

1956年版本誌掲載。以下、

キューバ生れの若いピアニスト、ダマソ・ペレス・プラドがアフリカ土人のリズムを音楽化し、キューバ民謡の中にある言葉をとってマンボと名ずけた。官能的なリズムで、踊りも本能的な身振りを基調にした簡単なもの。戦後日本の新世代にうけてたちまちブームになった。ついにはマンボ・スタイルというモードまで出現、以下、マンボ族、マンボ・ノイローゼなどを引くるめてマンポ・ブームと称する。

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リバイバル・ブーム  revival boom

1962年版本誌掲載。以下、

リバイバルは復活再生といった意味だが、これは流行歌の世界のこと。昭和35年後半からのヒットソングを拾ってみても、ズンドコ節(小林旭)、有難や節(守屋浩)、無情の夢(佐川ミツオ)、小雨の丘(井上ひろし)、など、なるほど戦前に流行した唄の再生版が多い。

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エレキ・ギター・ブーム  electoronic guitar boom

1966年特別号掲載。以下、

ここ1、2年来、ビートルズ、その他リヴァプール・サウンド・グループ、またヴェンチャーズ、アストロノーツなどによって代表されるロック演奏の中心となる電気ギターが、世界中の若人たちによって大歓迎を受け、今や製作が、注文に応じきれぬ程で、わが国でも昭和40年に入って学生間に大流行し、数多くの素人ロック・バンドが生まれた。

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童謡ブーム

1987年版本誌掲載。以下、

「赤い鳥いまよみがえる」と銘うって(財)厚生団と各地の厚生年金会館が合同して2月から名古屋、大阪、北九州、東京、北海道で『童謡ファミリー・コンサート』を開いたところ、各地とも滿員、東京では1万2000通の申込みがあった。日本童謡協会(中田喜直会長)では、7月1日を『童謡の日』ときめた。東京(小さなかけ橋合唱団=会員150名)と仙台(虹のかけ橋合唱団=会員600名)にはママさんたちによる合唱団も生れた。会員は50代が圧倒的。この世代は、ジャズやポップスとは無縁の世代で、「子どものころ、ラジオから流れる童謡を聞くのが何よりの樂しみ。母親のこと、生活のこと、何でも童謡と結びついている世代」といわれるが、ブームは何も懐古趣味ばかりではない。直接的には「気がねなく」「大声で」「みんなといっしょに」歌えるということでもあろう。

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マーラー・ブーム

1988年版本誌掲載。以下、

おびただしい才能が輩出した世紀末ウィーンの文化への関心が高まるなか、グスタフ・マーラー(1860〜1911)の音楽への人気が沸騰している。その人間味あふれる親しみのある内容、「大地の歌」に象徴されるような汎世界的な持ち味、「危機の予感」を常に内面に蔵していることなどが、現代人の共感をさそうのであろう。マーラーと同様ナチ時代に演奏が禁じられた後輩のツェムリンスキーなども復活してきている。

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タンゴブーム

1988年版本誌掲載。以下、

アルゼンチンから来たオルケスタ・ドラゴーネと歌手エンリケ・ドウマスのコンビの演奏会は、追加公演が相次ぎ、全国で59回の演奏会を開いた。昭和10年代、20年代につづく第3次タンゴブームである。

あのすすり泣くようなバンドネオンの調べは、演歌などに似て日本人の好きな短調である。しかも途中でガラリと明るい長調に変ったりする。この転調の妙味がファンの心をしびれさせる。もう1つは、歯切れのいいビート。ザッ、ザッ、ザッとバンドネオンが刻むリズムは安定した4拍子で、リズムの変化に弱いとされている日本人には、この落ちついたリズムは親しみやすい。電気楽器を使わないというのも、エレキ漬けになっている若者たちには新鮮な魅力となっている。

もう1つはエロチシズムの魅力。演奏会にはダンスショーもつく。このからみ合うようなダンスが華麗であると同時に、下品の一歩手前のところで官能的なのである。

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ホコ天ブーム

1990年版本誌掲載。以下、

ホコ天とは、若者が「歩行者天国」を略して呼ぶときの符丁である。日曜日の原宿あたりから代々木公園まで、ほとんど5、6メートルおきにシロウト・バンドが軒を連ね、借物(リース)の電子楽器の音量を目いっぱいあげてパフォーマンスに余念がない。そのまわりには全国津々浦々から集まってきた若者たち(といっても、ほとんどが中学生や高校生)が十重、二十重に人垣をつくって踊り狂っている。人が集まればおのずから“人気者”も出てくるから、最近では「ホコテン出身の歌手」というのもテレビに出演しはじめるようになってきており、必ずしもナメてばかりもいられない。

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インディ・ブーム  indie boom

1990年版本誌掲載。以下、

ミュージック界では、大手のレコード会社(メーカー)を中心に整然たる秩序が形成されているというのがこれまでの常識であったが、ホコ天ブームに象徴されるインデペンデント(独立的=independent)なバンドの流行とともに、“インディ”(indie)と呼ばれるワク外の連中がのしてきている。インデペンデントを短く縮めたのがインディであるが、もともとはアメリカ口語で「映画やテレビなどの独立プロ」を示す言葉であった。ところが最近では、ホコ天で演奏されるような新しいジャンルの音楽もインディと呼ばれているし、またそのような連中の演奏をテープやCD、レコードなどにして売っている店もインディと呼ばれている。すでに日本全国にそのような店が200以上もできているというが、売れ行きも好調なようで、自作自演の曲をテープにして持ち込んできた自主制作盤(インディーズ)の中には、1000本以上も売れるものも決して少なくないという。いわゆる価値観の個性化、多様化、分散化とともに、人々のニーズも実にバラエティに富んできており、多品種少量生産がメイン・ストリームとなってきている折から、「いまなぜホコ天なのか?」とか「インディの流行は何を物語っているのか?」などということを真剣に考えることも大切なのではあるまいか。

そういえば、アメリカでもスピルバーグ監督の新作『インディー・ジョーンズ』(パートIII、最後の聖戦)に空前の人気が集まっているというが、こちらのほうは「インディアナ」からきたもので直接関係はないものの、やはり無精ヒゲのハリソン・フォードやショーン・コネリーを見ていると「ワクから外れた者」に対する何とはない熱い共感がヒシヒシと伝わってくるから不思議だ。

これは、鉄の団結を誇っていた共産圏の内部にヒビ割れを生じさせはじめているエスニック(少数民族)の叛乱や一党独裁の否定、などとも一脈通じるものであり、その最も象徴的なあらわれが中国の天安門流血事件であった、と見てもよいだろう。

要するに、20世紀もあと10年で終りを告げようとしている今日、人類社会はさまざまな試行錯誤を積み重ねた後、遂に「人間が本来あるべき姿」すなわち「自由な個人」に回帰しつつある、ということにほかならない。

したがって、一見、無秩序でアナーキーに思えるさまざまなアピーヴァル(大激動)現象も、結局のところは「より人間的な社会」に収斂していくための1つの過程とみるべきであろう。

インディは、またインディビデュアル(個人=individual)にも通じているのであり、これまで白眼視されてきたミーイズム(自分本位主義)や、アスイズム(自分たち本位主義=赤信号みんなで渡れば怖くない主義)とは本質的に異なっており、民主主義の健全な発展のためには、むしろ必要不可欠のものなのである。

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バンド・ブーム

1990年版本誌掲載。以下、

ロック・バンドの台頭と、これに並行して80年代中頃から盛んになったアマチュア・バンドの活動を含めていわれる。多くのアマチュア・バンドがコンテストやオーディションからプロという流れではなく、東京・代々木公園の歩行者天国(ホコ天)などのパフォーマンスや、TBSテレビの『平成名物イカス・バンド天国(イカ天)』などを通じてアマチュアのまま人気バンドになってしまう現象も起きている。また、シンプルなビート(タテノリ)・バンドばかりでなく、より複雑なビート(ヨコノリ)を持つバンドも人気を集めている。この中にはプロ化するバンドもあるが、プロ志向をもたないバンドも多い。

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オキナワ・ブーム

1992年版本誌掲載。以下、

喜納昌吉、りんけんバンド、知名定男、ネーネーズといった沖縄のミュージシャンが注目を浴び、CMにも彼らの曲が使われることになった。坂本龍一、サザン・オールスターズなどが以前から沖縄音楽を取り上げていたが、今回のブームは、どちらかといえばワールド・ミュージック流行の影響が強いものと思われる。沖縄で注目されたのは、音楽のみではない。グルメ関係でもイタメシ(イタリア料理)に続き、オキメシ(沖縄料理)が話題に。栄養バランスが良く、見た目も新鮮なオキメシは新たな味覚として受け入れられたのだった。

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バンド・ブームの展開

1997年版本誌掲載。以下、

1990年代に入って、一時のフラストレーション発散型バンドや、渋谷系という言葉に代表されたサウンド・コラージュ型グループに変わって、ポップさのなかに消化された日本的気配を持つバンドが人気を集めるようになった。その代表的な存在が、ビートルズ的サウンドテイストをベースに、日常的視点や情感を乗せて大ヒット曲を生み出す、Mr. Children、スピッツ、L←→R、だった。さらに、ロックのルーツを踏まえながら、関西芸能エッセンスを取り入れて、歌謡曲フィールドにも越境するシャ乱Q、ウルフルズの登場も新しい動きとして注目を集めているし、70年代の日本のロックがもっていた革新性や内省的感性を受け継ぐカーネーション、サニーデイ・サービス、ホームレスハートなども注目を浴びている。

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夜会ブームとベテランたち

1997年版本誌掲載。以下、

1990年代になって、新しいミュージシャンの台頭が目立つ一方、70年代のフォーク、ロックを見直す動きも見られる。「CD選書」「音蔵」など各社から出ている旧譜の廉価盤シリーズを「Q盤シリーズ」としてレコード会社共同キャンペーンも行われた。70年代から日本の音楽シーンをリードしてきたベテラン勢にも注目すべき動きが見られる。中島みゆきは89年に演劇性の強い小劇場長期公演『夜会』をスタートさせ、年末恒例人気イベントとして定着させた。山下達郎もデビュー時に在籍したバンドの曲だけを歌うコンサート「シングス・シュガー・ベイブ」を94年に行い、松任谷由実も独身時代の曲を歌う「荒井由実コンサート」を96年に行った。こうしたベテランの意欲的活動は、古いファンだけでなく、若い世代にも影響を与えている。

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ピアソラ・ブーム

1998年版本誌掲載。以下、

ヴァイオリンの鬼オクレーメルが火付け役となって、アルゼンチンの現代タンゴの作曲家でシベンドネオン奏者のアストール・ピアソラ(1921〜92)の音楽に人気が集中した。ピアソラは晩年、現代音楽のクロノス・カルテットらとも競演したが、その革新的であり、なおかつタンゴ特有の哀愁ただよう音楽が、さらに広範のクラシック系演奏家のレパートリーとなってきている。

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三味線ブーム

2002年版本誌掲載。以下、

中学校の教育指導要領が見直され、和楽器の指導が決まった。これに呼応するかのように、三味線音楽が活気を帯びている。長唄三味線の杵屋裕光が六九家を名乗り、ロック三味線を展開するなど動きが活発化している。吉田兄弟のデビューにより脚光を浴びている津軽三味線シーンは、新世代が続々とデビュー。実力主義のジャンルだけに、17歳の新田昌弘から20代の上妻宏光や石川一、超実力派の木下伸市らが相次いでCDを発表し活況を呈している。

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インディー・ブーム

2003年版本誌掲載。以下、

沖縄のロック・バンド、モンゴル800が200万枚ヒットを放ち、インディー=インディペンデント(独立派)・レーベルが注目を集めている。さらにSTANCE PUNKSやロード・オブ・メジャーといったロック・バンドが人気を得ている。ロックだけではなく、ジャズやクラシックなどのジャンルでも、インディーからのCD発売が一般的となっている。

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昭和歌謡ブーム

2003年版本誌掲載。以下、

昭和30〜40年代の歌謡曲〜グループ・サウンズなどの響きを取り込んだJ−ポップの流れが生まれている。昭和歌謡曲を再評価する復刻盤が人気を得る一方で、井上陽水や原由子、福山雅治らの昭和歌謡カバーの動きと、EGO WRAPPIN’やインディー系のクレイジーケンバンドや渚ようこらによる新感覚で昭和歌謡曲を再構築した動きとが一体化している。

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純邦楽ブーム

2003年版本誌掲載。以下、

教育指導要領の見直しで、中学校で和楽器の指導が決まり、和楽器による音楽が注目されている。コンテンポラリー雅楽といえる東儀秀樹をはじめ、吉田兄弟により脚光を浴びた津軽三味線は、民謡の枠を超えた人気を得ている。17歳の新田昌弘から20歳代の上妻宏光、石川一、現在の津軽三味線の流れのきっかけをつくった実力派の木下伸市らが相次いでCDを発表し注目を浴びている。

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カバー曲ブーム

2004年版本誌掲載。以下、

カバーとは、オリジナル(初出)演奏者、歌手により、すでに発売されている楽曲を、ほかの歌手などが演奏・歌うこと。井上陽水によるカバー曲がきっかけに、往年のヒット曲カバーが続いている。倉木麻衣やzard、小柳ゆき、島谷ひとみ、椿、中島美嘉など注目の女性歌手を中心に、山口百恵や美空ひばり、ザ・ピーナッツ、久保田早紀らの1970〜90年代ヒット曲カバーが続き、話題となっている。

インディーズ・シーンでも「贈る言葉」「なごり雪」などのカバー曲がヒットしている。

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