月刊基礎知識
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戦後60年に去来したブームたち

エンタなブーム

パンダブーム

1974年版本誌掲載。以下、

昭和47年、田中首相の訪中で日中の国交回復が実現したが、それを記念して中国から贈られた2頭のパンダに、ものみ高い日本人は大騒ぎ。上野動物園は連日延々、長蛇の行列だし、ぬいぐるみは飛ぶように売れるといったぐあいで、ちょっとしたパンダブームだ。ニクソン訪中のおりも中国からアメリカへパンダが贈られ、友好のシンボルみたいな存在になっている。白と黒のツートンカラーをもつこの愛嬌ものは、正式にはジャイアントパンダといい、アライグマ科のパンダとは別科という説もある。中国四川省などの高地にすむきわめて珍しい動物である。

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コロンボ・ブーム

1975年版本誌掲載。以下、

NHKがプロ野球の雨傘番組として放映している「刑事コロンボ」が、いま大人気だ。片目が義眼だというピーター・フォークが演ずる刑事コロンボは名探偵のイメージとはまるでほど遠い、よれよれのコートにもじゃもじゃ頭のかっこうで登場する。ストーリーは、推理小説でいう倒叙形式で進められ、罪を犯した犯人をコロンボがどう追いつめていくかが興味の焦点になっている。どうしてこんなショボクレた男に人気が集まるかふしぎ、とする向きもある。

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百恵ブーム

1976年版本誌掲載。以下、

歌手の山口百恵の人気は、同じ年齢のライバルの桜田淳子のそれを大きく抜き去った感がある。どちらも子供から中年まで、幅広い人気をもっているが、山口百恵の方が、たとえば東大生の間に「処女を守る会」ができたといううわさがあったりして、より熱狂的なファンが多いのである。

歌手が映画に出るのも人気のバロメーターのひとつだが、山口百恵は一足先に正月映画の「伊豆の踊り子」に出演して、まずまずの出来と言われた。清純な女学生タイプのイメージをいっそう押し出して、当分はブームが続きそう。

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恐怖映画ブーム

1982年版本誌掲載。以下、

あるいは英語を使ってホラー(horror)映画とも呼ぶ。恐怖と戦慄を売り物にする、スリラーあるいはオカルト映画と境を接する種の映画であるが、最近のアメリカではそのブーム現象が見られ、「スキャナーズ」(日本未公開)が記録的な収益を上げている。わが国でも「オーメン」(3部作)、「ハロウィン」、「ファンハウス」、とりわけキュブリック監督の「シャイニング」などホラー映画はそれぞれ好成績を上げているが、アメリカでは批評家や市民団体の間に、その残酷さや暴力場面に対する反発も高まってきていて、中にはこの種の映画の真の狙いは、「女性たるものはボーイフレンドに性的要求をされたら従いなさい。さもないと、後になってボーイフレンドにつきまとわれひどい目に遭わされますよ」と、女性にたいする抑圧恐喝にあると主張する論者も出てきている。事実そういう内容の作品もあるだろうが、大部分は異常な変質的な刺激によって観客の好奇心を誘い、商業的ヒットを狙うという単純な動機によるものと見ていいであろう。しかしながら、ヒットの心理として管理社会の閉塞状況の日常性からの脱出という潜在的願望も指摘することができるであろう。

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ファミコン・ブーム

1987年版本誌掲載。以下、

任天堂のファミリー・コンピュータを中心としたテレビゲームが子どもたちをとらえ、ファミコンの本体は、昭和58年7月の発売から3年後の61年6月までに795万台、ソフトの中でスーパーマリオ・ブラザーズは、発売後9カ月の61年6月、400万の売行きを示した。

香川県を対象とした調査によれば、小学生のファミコン所有率は男子77%、女子45%に達している。また、立川市の調査でも子どもたちの大好きな遊びの1位がテレビゲーム、以下、テレビ、マンガの順位だった。ファミコンはテレビゲーム機の代金が高い上にソフトのカセットを求める費用もばかにできない。それにテレビ・ゲームに長時間熱中し視力の低下や生活習慣の崩れなどを招きやすい。そうした懸念から、愛知県の眼科医会が、子どもの目を保護するために遊びにあたっての基準を作るよう提案したなどの動きが表面化した。通産省でも、61年3月、業界の指導に乗り出し、メーカーによっては「1時間やったら15分休む」などの注意書きをつけるようになった。

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石原裕次郎ブーム

1988年版本誌掲載。以下、

昭和62年7月17日午後4時26分、スター石原裕次郎が、東京・信濃町の慶応病院で、52歳の若さで肝細胞ガンのため死去、日本全国に時ならぬ裕次郎フィーバーが発生した。テレビ各局は、ニュースやワイドショーで彼の死を特集し、特別番組を作り、彼の歌を流し、「嵐を呼ぶ男」「紅の翼」などの主演映画を、ぞくぞくと放映。新聞や週刊誌、月刊誌は裕次郎特集を組み、彼の顔を表紙にした雑誌の別冊特集版が次々と刊行され、裕次郎写真集が復刻されるという壮観であった。昭和30年代の初め、カラー・ワイド化されはじめたばかりの日本映画の画面に、新しい時代のシンボルのようなスタートして向日性の輝きを持って登場して以来、時代時代のピークを生き、テレビ映画シリーズ「太陽にほえろ!」「大都会」「西部警察」などで息長く大衆のアイドルだった彼の、他のスターのとてもおよばぬ、魅力と人気の根強さを実証した現象である。

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TANBA(たんば)ブーム

1988年版本誌掲載。以下、

若者たちの間で、日本のカルト・スターとして人気なのが、俳優の丹波哲郎だ。一部では知られていたことだが、長年独自に「死後の世界」の研究を重ねている彼は、その成果を次々と単行本化、ビデオ化していた。最近、これらの労作が注目を集めるようになり本業以外でのテレビ出演も多くなっているというわけだ。なにしろ彼の場合、信者といった特定層だけでなく、ティーンズたちにまで広く知られていることが強みとなっている。そんなわけで、「TANBA」という言葉が、丹波氏を離れて「死後の世界」や超自然現象を表現するに至り、歌や「タンバ・ゲーム」なんて商品までが飛び出している。死後の世界を明るく描き出す彼の意見とキャラクターが、若い世代と微妙にマッチしたのだろうか? 物まねの対象にされるほどの親しまれようである。

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信玄ブーム

1989年版本誌掲載。以下、

NHKの大河ドラマ「武田信玄」が人気を沸かした。大河ドラマの視聴率は1964(昭和39)年の「赤穂浪士」がこれまでの最高で53%だったが、信玄は87年の独眼竜政宗の47.8%を越えて49.2%で第2位になっている。八ヶ岳のふもと山梨県小淵沢町に押しかけた観光客は150万人、これは松林に出現したオープンセット武田信玄館が目玉である。人気の秘密はロケ場面を生かした雄大なシーン、これまで大河ドラマの中でも出色のものだ。第二は主役の中井貴一の起用は別として脇役に小川真由美、菅原文太、宍戸錠、本郷功次郎などを揃えていることだが、若尾文子の語りも評判になっている。バーのかんばんになると、マダムが「今宵はこれまでにしとうございます」というのが流行っている。

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ドラクエIIIブーム

1989年版本誌掲載。以下、

任天堂が発売したゲームソフトで、1988(昭和63)年2月10日の発売日には100万個が売り切れ、学校を休んで買いにきた400人近い中高校生が補導された。ファミコンは、83年の44万台から、84年168万台、85年368万台、86年390万台と売れ行きを伸ばしたが、ドラクエIIIにしても、2週間もすると、ゲームそのものにあきてしまう。それだけにテレビゲームが子どもの間に定着するかどうかは、メーカーがどれくらい魅力的なソフトを開発していけるかにかかっているように思える。

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ウルトラマン再ブーム

1990年版本誌掲載。以下、

アメリカではコミックのヒーロー、バットマンが映画で復活したが、日本でも22年前に誕生したテレビドラマのヒーロー、ウルトラマンの人気が再燃した。

番組が再放送され、ウルトラマン自身もカップ麺のCM 、企業のポスターやパンフレットなどに次々に登場(なんと防衛庁までがスポンサーになった)。おもちゃの世界でも、ウルトラマン、ウルトラセブンといったウルトラマンシリーズのヒーローや、彼らが退治した怪獣のキャラクター商品が人気となっている。22年前リアルタイムで番組を見ていた子どもたちも、すでに親になる時代。どうやら自分の子どもたちに、懐かしさも手伝って買い与えている、という事情があるらしい。

とはいえ今の子どもたちの間でも、ウルトラマンの人気はなかなかのもの。夏休み、東京・池袋で開催された「ウルトラマン・フェスティバル」へは、毎日6000人以上もの親子連れが訪れ、ブームの盛り上がりを証明した。

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格闘技ブーム

1992年版本誌掲載。以下、

一時停滞していた感のあったプロレスが東京ドームの興行では6万人を集めるほどの加熱ぶり。全日本プロレス、新日本プロレスなど、女子プロレスを含めると、なんと11もの団体がひしめき合うほどである。新興団体では、大仁田厚率いるFMWが「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」など過激な試合で注目を浴び、メガネ業界の大手企業が設立したSWSは、相撲のように部屋別制度を導入して八百長説を払拭。従来とは違った角度からプロレスの魅力を追求している。

プロレス以外でも、肉体と肉体がぶつかりあう格闘技が注目の的に。とくに相撲は藤島部屋の貴花田、若花田の兄弟というスターが登場し、一躍若者の人気スポーツとなった。雑誌『アンアン』の表紙には貴花田が登場するなど、若い女性の興味も競馬、パチンコから格闘技へと移行した感がある。

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ヌード写真集ブーム

1994年版本誌掲載。以下、

1991(平成3)年秋にタレント宮沢りえの写真集『SANTA FE』が発売され、女性からも好意的に受け入れられる現象が見られた。その後、女優のヌード写真集が相次いで出版され、一般にヌードへの抵抗が少なくなりヘアが見えることにも受容的になってきた。しかし、女性はあくまで表現する男性のオブジェとして男性のセクシュアリティに仕える役割を果たすだけだとするフェミニストの立場からの批判がある。一方、92年秋に出版されたアメリカのロック歌手マドンナの写真集『SEX』は、同性愛、集団セックス、SMなどの様々な性描写を大胆に描き、男性の視線を逆手にとって表現の主体としての女性像を示した。

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「金田一少年」ブーム再び

1997年版本誌掲載。以下、

人気ミステリー漫画「金田一少年の事件簿」(金成陽三郎原作、さとうふみや漫画、「週刊少年マガジン」連載)が、1995(平成8)年春にテレビ・ドラマ化され、コミックとドラマの人気の相乗効果によって「金田一少年」ブームが巻き起こった。96年春には、再びテレビ・ドラマ化されて登場、小・中・高校生のミステリー・ブームを発生させる契機となった。「金田一少年」をノベライゼーションしたミステリー小説(天樹征丸・作)もベストセラーとなった。またミステリー漫画「名探偵コナン」(青山剛昌、「週刊少年サンデー」連載)のコミックとアニメ番組も人気を集めている。

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ポケモン・ブーム

1999年版本誌掲載。以下、

1996(平成8)年から98年にかけて、ポケモン・ブームが爆発的に発生し、幼児から小学生までの子どもたちの心を強くとらえた。ある意味で、97年から98年にかけての子ども文化はポケモン一色に彩られたといっても過言ではない。

ポケモンは、任天堂の携帯用ゲーム機ゲームボーイの人気ソフト「ポケットモンスター」の略称。草原や森や池に隠されている151種の珍妙なモンスターを順に捕まえて、飼いならし、相互を戦わせたりしながら成長させ、自分のモンスター図鑑をつくっていくというゲーム。液晶画面の中のキャラクターを通して、昆虫採集とペット飼育と切手収集の楽しさを遊ぶというもの。このゲームは、小学館の『月刊コロコロコミック』や学年誌とのタイアップによって人気を広げ、さらに97年4月からはテレビアニメ化されて、テレビ東京系列より放映。その主題歌もCD化され、劇場映画化など、多面的なメディア・ミックスによってメガヒットを続けている。

このような人気の過熱化の中で、97年12月16日、ポケモンのアニメ番組を見ていた多くの子どもたちが、光過敏性発作を起こして入院するという事件が発生し、そのためアニメ番組は98年3月まで放映中止を余儀なくされた。このような事件にもかかわらず、ポケモン人気は衰えることなく、子どもたちは、ゲームボーイだけでなく、カードゲーム、バトル鉛筆、バトめん(バトルめんこ)、さらに、64ビットゲーム機N64用のソフト「ポケモンスタジアム」などによって、多様なポケモン遊びを楽しんだ。またマスコット人形、文房具、菓子・食品(ふりかけやカレー)など多様なキャラクターグッズも売れに売れた。とくに、ポケモンのなかで子どもの人気ナンバーワンのピカチュウは、その可愛らしさゆえに、女児や幼児にも圧倒的に支持され、現在子どもたちのビッグなアイドル・キャラクターとして大活躍している。

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安部晴明ブーム再来

2002年版本誌掲載。以下、

平安中期の陰陽師、安倍晴明(あべのせいめい 921〜1005(延喜21〜寛弘2)年(推定))ブームは、2001(平成13)年に入って再燃された。陰陽道(おんみょうどう)は森羅万象を陰陽(日月)や五行(木・火・土・金・水)の組合せで説明する呪術の一種。古代から江戸末期まで物忌みや方違へ(かたたがえ)など宮廷人の日常生活を支配した。晴明は幼少から陰陽道を学び、藤原道長の摂関家などで重用され、一条天皇の祭祓や占いに従事し、その信望によって安倍一族を陰陽道の名門に立て直した。夢枕獏原作、岡野玲子画のコミック「陰陽師」は第5回手塚治虫文化賞(マンガ大賞)を受賞し、NHKではドラマとなり、映画も公開された。京都市上京区の晴明神社は若い女性でにぎわっている。クールで問題解決能力に富んだ晴明への憧れとともに、現代社会の底にもある「鬼の棲む闇」から救われたいという癒しへの願望がこのブームを支えているともいわれる。

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昼ドラ・ブーム

2003年版本誌掲載。以下、

夜の連続ドラマが低調ななかで、昼の時間帯の帯ドラマ(月〜金ベルトの放送)、いわゆる昼ドラが人気を集めている。2001(平成13)年夏の「キッズ・ウォー3」(TBS系)や、「大好き!五つ子3」(同)は10%台の視聴率を記録。共に、02年秋にパート4を放送。また、02年春の「真珠夫人」(フジテレビ系)もヒット。後続の「新・愛の嵐」(同)に人気を引き継いだ。テレビドラマの基本、ホームドラマとメロドラマに徹していることが、時代へのメッセージとなっている観がある。

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「源氏」ブーム

2003年版本誌掲載。以下、

2001(平成13)年は紫式部が「源氏物語」を著して1000年にあたったことからマスメディアがもてはやし、ブームが加速した。

演劇界では歌舞伎座が「源氏物語」を上演し、宝塚が「あさきゆめみし」を歌劇化、これまでにない観客層をほりおこした。映画界では「千年の恋 ひかる源氏物語」が上映された。最近では、漫画(小泉吉宏「大掴源氏物語まろ、ん?」)や週刊「ビジュアル源氏物語」も刊行され、ビジュアルな方向へと広がっている。

1996(平成8)年から始まった広くて息の長いブームの根底には1997年に刊行された瀬戸内寂聴の「源氏物語」(全10巻)がある。

「寂聴源氏」には男性に振りまわされる従来の女性像とは違う主体性をもった新しい女性像がうちだされている。

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窪塚洋介ブーム

2003年版本誌掲載。以下、

「GO」で2001(平成13)年度の日本映画の主演男優賞と新人男優賞を独占した窪塚洋介が、新しいタイプの若者スターとして、ブームを巻き起こしている。「Laundry(ランドリー)」「ピンポン」、1シーンだけ出演した「刑務所の中」、「凶気の桜」と、出演映画が次々と目白押しに公開される。頭をツルツルに剃り上げたり、変わった言動で物議をかもしたり、異色のスターぶりだ。

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