月刊基礎知識
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戦後60年に去来したブームたち

文芸・出版のブーム

円本ブーム

1973年版本誌掲載。以下、

円切上げに関する問題を解説した本の出版ブームのこと。一般向け解説書から専門書まで、その出版点数はうなぎ上りで、書店はどこも円本コーナーを設けるという昭和46年夏以来の世情。円切上げの問題は、アメリカとの経済関係の悪化、日本の外貨準備高の急増などの環境の中で最大の問題である。民間企業としてもいざという時にあわてないためにも、知識の吸収と体制づくりに懸命の様子である。

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日本人論ブーム

1973年版本誌掲載。以下、

明治維新以来日本人は、とかく舶来ものに弱く、西欧尊重の傾向から脱しきれなかった。しかし、今次大戦後世界有数の経済大国になってから、国の内外で日本(あるいは日本人)に対する関心が高まった。フランスのジャーナリストは「ル・ジャポン」、イザヤ・ベンダサンは「日本人とユダヤ人」を書き、アメリカの商務省まで「日本株式会社」なる分析報告書を出すしまつ。河崎一郎駐アルゼンチン大使が在任中に書いた「素顔の日本」あたりがブームのはしりといえようか。

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山頭火ブーム

1973年版本誌掲載。以下、

種田山頭火は、大正から昭和にかけての放浪俳人。山口県の名家に生まれながら、父子そろっての放蕩無頼に家は倒産し、山頭火は30代半ばにして自然を友とする生活にはいった。山頭火の句は萩原井泉水の提唱した非定型の自由律俳句で、季語や語法にとらわれず、自由奔放に自然をうたったものだ。いわゆる体制に順応することができず、ドロップアウトして自然に回帰した山頭火の脱社会姿勢が、どこか現代人の共感を呼ぶらしく、全集もの、研究書がドッと巷に流れ、ブームの観をなしている。

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宗教本ブーム

1974年版本誌掲載。以下、

物質的に恵まれながら、精神的な安らぎの求めにくい世相を反映してなのか、このところ宗教関係の本がよく売れている。「正法眼蔵」のような高級難解なものも部数が伸びているし、「般若心経」「観音経」の入門書や「不動心」などの一般的な解説書が、ペーパーバックスでベストセラーに近い売れ行きを示しているという。こうした簡便な宗教本の特長は従来のように作家や評論家が書いたものではなく、宗教家自身が書いている点にある。大衆と宗教の接近が進んできたあらわれだろう。

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文庫本ブーム

1974年版本誌掲載。以下、

昭和初年発刊の岩波文庫に始まって、新潮文庫、改造文庫、春陽堂文庫、角川文庫など、その消長はさておき、文庫本は文芸の大衆伝播を大きな使命として、連綿と人気を保ち続けてきた。

ここ数年はとくに売れ行きが伸び、出版社、書店のドル箱的存在になってきた。もちろん軽便なことも売れる要素のひとつだが、物価上昇にともなう単行本の値上がりが大きな原因といえる。出版社側でも、薄利多売がきく商品として力を入れ始め、すでに講談社が文庫本に切り込みをかけてきたし、中央公論社その他もまた戦線に加わった。

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ネコ・ブーム

1980年版本誌掲載。以下、

ネコ飼う人が急に増えたというのではなく、ネコについての出版物がブーム気味。昭和53年後半だけで10冊以上のネコの新刊書が出され雑誌まで創刊された。高価な洋ネコでなくありふれたネコを可愛がる人が読者のようだとは編集者の見方だが、これもペットばやりの一種。世の中が平和で余裕を生じた反映と見られるが、猛獣を飼って近所に迷惑をかけるのに比べてネコキチは平和主義である。

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外骨ブーム

1986年版本誌掲載。以下、

明治・大正・昭和に3代にわたり活躍した反骨のジャーナリスト宮武外骨(1867〜1955)が没後30年、ブームを引き起し、著作の復刻、評伝など出版が相継いでいる。赤瀬川原平・吉野孝雄編『宮武外骨・滑稽新聞』(全6巻)吉野編『宮武外骨 予は危険人物なりや』、赤瀬川著『学術小説・外骨という人物がいた』ほか吉野・谷沢永一編『宮武外骨著作集』(全8巻)も出る。

宮武は明治20年に『頓智協会雑誌』を創刊したのを皮切りに『滑稽新聞』『日刊新聞不二』『面白半分』など生涯の刊行点数は170点を越え、中には創刊即廃刊が10誌以上もある。いずれも個人経営である。時の権力に対し、警抜な表現で揶揄し続け、23歳の時、発布直後の帝国憲法のパロディを発表し不敬罪で初入獄、以来筆禍事件で4回入獄、罰金・発禁29回に及んだ。晩年は東大法学部の明治新聞雑誌文庫の基礎を築き収集と保存に努力した。

外骨ブームの背景は現代が滑稽新聞の読まれた明治40年代と良く似ている(吉野)という説もあるが、再評価されつつあるのは、ジャーナリストとしての鋭さ、とくに現代のジャーナリストが失っているその“毒”だろう(毎日新聞・天野勝文)という。

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定型詩ブーム

1989年版本誌掲載。以下、

高浜虚子が主唱した「俳句は花鳥諷詠詩である」という言葉は、季題を中心として四季の風物(人間も自然の一部)を詠むこと。

俳句雑誌「ホトトギス」の主宰者稲畑汀子らは虚子忌にあたる1987(昭和62)年4月8日、「花鳥諷詠」を旗印に、伝統俳句を正しく世に伝え、現代にふさわしい有季定型の新しい花鳥諷詠詩を創造するため、「日本伝統俳句協会」を設立した。

86年に第32回角川短歌賞を受賞した俵万智の歌集「サラダ記念日」(河出書房新社)が版を重ね、定型詩ブームを引き起こした。こうした最近の俳句・短歌界の活況を、奇を狙った句、新しく見えるだけの句の反乱ととらえる同協会が今後いかなる運動を展開していくか、また、同じ有季定型の伝統に従う俳人協会との関係の中で、どのような新味が打ち出されるのか、注目される。

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ばななブーム

1990年版本誌掲載。以下、

吉本ばなな(評論家・吉本隆明の次女。本名石原真秀子、24歳)の既刊4作品のすべてがベストセラー上位にランクされている。「キッチン」(デビュー作、1988年1月。海燕新人文学賞、泉鏡花賞)、「うたかた サンクチュアリ」(8月)、「悲しい予感」(12月)、「TUGUMI つぐみ」(89年3月)4冊の総発行部数(89年5月現在)は約260万部(デビューより1年半足らず)。山本周五郎賞を受賞(5月)した「TUGUMI つぐみ」にあっては刊行よりわずか2カ月で70万部を売りつくし、なお、1日平均1万部以上という驚異的な売れ行きを示している。「ばなな現象」として話題になる所以である。読者の大半は10代から20代の女性層。テンポのよい会話、サラッとしたわかりやすい文章などで、現代の孤独な若者の心をとらえてはなさない。「これまでが“夜”とすれば今度は“昼”のトーン」だと言う少女コミックを連想させるばなな文学がどう変化していくのか、なりゆきが注目される。

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恋愛論ブーム

1992年版本誌掲載。以下、

柴門ふみ『恋愛論』、二谷友里恵『愛される理由』などが売れている。吉本ばなな、村上春樹らのやさしさをテーマにした純愛路線の本もベストセラー。松任谷由美の「純愛」を売り物にしたアルバムもブームに一役買った。

一方、『デートコース案内』『あなたにぴったりの相手』等のマニュアルブックが恋愛のゲーム化を象徴している。

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漱石ブーム

1992年版本誌掲載。以下、

漱石が今また脚光を浴びている。水村美苗が『続 明暗』を出版し、話題を集めた。書店の店頭でも漱石が目だつ。岩波書店が『岩波文庫漱石作品集』(23冊22点)を一括刊行。角川書店、筑摩書房でもそれぞれ『夏目漱石作品集』(角川文庫、15編)、『文庫版夏目漱石全集』(ちくま文庫、全10巻)を発刊、いずれも好評だと言う。

論文集では『漱石作品論集成』(12巻、別巻1)が刊行された。研究書となると、大岡昇平『小説家夏目漱石』をはじめ、小林一郎『夏目漱石の研究』、小倉脩三『夏目漱石‐ウイリアム・ジェームス受容の周辺』、石崎等『漱石の方法』など、枚挙にいとまがない。

死後70年余たった今日、漱石への関心は高まるばかりである。

こうした漱石ブームの背景には豊かな社会における人間関係の希薄化、もしくはエゴに傷ついた人間模様がある。必ずしも幸福ではなかった漱石、そうした漱石への共感が今日の漱石ブームを支えているようだ。

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寺山修司ブーム

1994年版本誌掲載。以下、

寺山修司没後10年の節目を迎えた今年〔1993(平成5)年〕、若者を中心に再評価の機運が高まり、命日の5月4日をはさんで、追悼の催しが数多くもたれた。詩人、前衛歌人、小説家、演出家、劇作家、映画監督、評論家など、多面体と称された故人にふさわしく、それは多岐にわたった。

異端の存在だった寺山が注目されだしたのは「7回忌」あたりから。再評価を印象づけたのは「寺山修司」(文庫版「ちくま日本文学全集」)の発売(91年)即完売のあたりから。追憶イベントでは池袋西武の「新・寺山修司展」が注目された。詩人谷川俊太郎を始め、生前かかわりのあった200人が集まり、「寺山とは何だったのか」が話しあわれた。出版関係では詩歌集中心の「寺山修司コレクション」(思潮社)、小説や随筆を主にした「寺山修司コレクション」(河出書房新社)、「寺山修司全シナリオ」(フィルムアート社)などが目立った。出版関係の調整役は「今できる範囲でキチッと整理し、長く読んでもらうための足掛かり」を作りたい、と言っている。

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「大」の付く本ブーム

1996年版本誌掲載。以下、

永六輔の「大往生」にはじまり、「大教訓」に「大航海」「大真実」に「日本経済の大逆流」。OLモノの清水ちなみの監修書は「大失恋」「大結婚」「大不倫」。気持ちは分かるが、不倫まで「大」を付けてどうする? メディアの現場では、柳の下のドジョウが半ばシステムになりつつある。最初の「大」はなんだったか、見分ける眼が必要。

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宮沢賢治ブーム

1997年版本誌掲載。以下、

1996(平成8)年は賢治生誕100周年にあたる。映画、舞台、出版物の刊行、記念イベントなど賢治ブームを引き起こしている。映画では賢治役の声で、同じ岩手県出身の歌手新沼謙治が出演して話題になった長編アニメ「賢治のトランク」(共同映画)のほか、「宮沢賢治――その愛」(松竹)、「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」(東映)。舞台では児童演劇の定番ともいえる「よだかの星」「セロ弾きのゴーシュ」「風の又三郎」などのほか、「銀河鉄道の夜」(真夏座)「宛名のない手紙」(劇団昴)なども上演された。出版では記念の刊行ラッシュが続き、40点以上におよんでいる。研究者に注目されたのが「新校本 宮沢賢治全集」(全16巻、筑摩書房)。賢治の膨大な書き込みや推敲、改作を照合、校正。その結果、これまで「難解」と言われていた作品が一部わかりやすくなったものもある。文芸誌では「文学」(岩波書店)が特集を組み、改作、改稿した自筆原稿をどう解釈するかがテーマになっていた。こうした試みを通し、童話作家、農業指導者、化学者、宗教家、理想郷(イーハトーブ)を描いた詩人賢治のより新しい、より魅力的な全体像の確立が望まれる。

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大江健三郎ブーム

1999年版本誌掲載。以下、

1994年のノーベル文学賞は大江健三郎に授与された。受賞が決定した翌日、大手出版物取次には始業前から注文が殺到し、在庫していた大江の著作50点・1万部の全てがたちまち底をついたという。こうした「劇的な動きは初めて」で、川端康成が受賞した時もこれほどではなかったらしい。「劇的な動き」は最新作「燃えあがる緑の木」の売れ行きにも影響。また、増版、復刊にも顕著。新潮社では「個人的な体験」新装本を2万部増刷した。講談社でも、「万延元年のフットボール」「芽むしり仔撃ち」など9点を復刊。また、大江作品は20点余り英・仏などで訳されているが、受賞後米・独・スペインなどから新たな翻訳申し込みがあり、韓国では著作集が刊行されるという。難解さが定評の大江文学だが、こうした「劇的な動き」が純文学の活性化、ひいては「アジア文学の発言権」の増大へつながることが期待されている。

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金子みすゞブーム

2002年版本誌掲載。以下、

大正後期の童謡界に異彩を放ったみすゞ(1903〜30年、26歳の若さで自ら命を絶った)が注目されている。2001(平成13)年5月、東京・芸術座で斉藤由貴主演の「空のかあさま」が上演され、7月には田中美里主演の映画「みすゞ」が封切られ、そして8月には松たか子主演のテレビドラマ「明るいほうへ明るいほうへ・童謡詩人金子みすゞ」が放映された。さらに、12月には福岡市の博多座で地元劇団の中尾祐子主演の「金子みすゞ物語」が上演された。また生地山口県仙崎では生誕100年記念事業として、2003(平成15)年にはみすゞ記念館の建設が計画されている。1982(昭和57)年遺稿集が発見され、現在よみがえった珠玉の詩編は生きとし生けるものへの優しさにあふれている。

02年からすべての小学生が国語の教科書を通してみすゞの作品と出会う。

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日本語ブーム

2003年版本誌掲載。以下、

「日本語」「国語」を冠した本が売れている。「日本人なら知っておきたい日本語」「三色ボールペンで読む日本語」「日本語 語源の楽しみ」「理想の国語教科書」など。なかには専門コーナーを設けている書店もある。

このブームに火をつけたのは2001(平成13)年に出版された斉藤孝著の「声に出して読みたい日本語」で、120万部を売り上げたという。「方丈記」などの古典文学から夏目漱石の小説まで、触りの部分がルビ付きで紹介されている。最初は、中・高年から「『懐しい』という反響」がほとんどだったが、徐々に各年齢層に広まった。

斉藤は「名文を『技』として体にたたきこむことが後で財産」になるというが、それだけで「言語によるコミュニケーションが円滑になる」とは思えないという批判もある。

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