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戦後60年に去来したブームたち

文化のブーム

ポルノ・ブーム

1973年版本誌掲載。以下、

ポルノはPornographyの略で、ギリシャ語の「娼婦の書いたもの」というのが原語。好色、エロチックな文学、絵画、写真などが総称してポルノといわれている。北欧あたりに発する性の解放運動が、ほどなく先進国を席捲して、日本にもポルノ旋風が押寄せてきた。

「エマニュエル夫人」などのポルノ文学が翻訳され、サンドラ・ジュリアンに代表されるポルノ女優が主演するポルノ映画も輸入された。とくに映画への影響はすさまじく、いわゆるエロダクションの専売だったピンク映画を、東映、日活などの大手が手がけるようになった。それがあまりにエスカレートしたため、ついに警視庁は日活のポルノ映画を摘発、これらをパスさせた映倫も取調べを受けるハメになった。ただし、こうした手入れは時代に逆行するとの批判も強く、ポルノ・ブームは当分続きそうだ。

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夢二ブーム

1976年版本誌掲載。以下、

竹久夢二は大正期の画家で、抒情的な画をかいた。近年、夢二が見直されてデパートで開かれる夢二展は若い人が殺到して大変な人気。大正期は富国強兵策がゆきづまり、ヒズミを生み出した共通の背景があると説く人もいるが、殺風景な世相の中で、抒情を求める心理と、懐旧趣味が合したものらしい。

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ヴィスコンティ・ブーム

1983年版本誌掲載。以下、

イタリアのルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)監督(1906〜76)とその作品のブームが、この数年の日本の文化界を席捲している。78年の「家族の肖像」日本公開にはじまり、「イノセント」「ルードウィヒ・神々の黄昏」のヒット、そして処女作「郵便配達はニ度ベルを鳴らす」と第3作「ベリッシマ」の初公開、「山猫」「若者のすべて」のノー・カット完全版上映、とつづいた作品上映ブーム。

加えて「ヴィスコンティ集成」「ヴィスコンティ・フィルムアルバム」「ヴィスコンティのスター群像」「ルードヴィヒ/ヴィスコンティ」などの単行本が出版され、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」以下の主要作品のシナリオが翻訳出版されつつある、という壮観である。

さらに「ヴィスコンティとその芸術」と題するヴィスコンティ映画の衣装や資料の展示会が開催されたり、作品の連続上映がおこなわれたり、ヴィスコンティ映画の衣装や資料の展示会が開催されたり、ヴィスコンティ映画の音楽を集成したLPが発売されたりした。篠山紀信撮影による「ヴィスコンティの遺香」という写真集も、日本で出版された。

ミラノの貴族の家に生まれたヨーロッパの古典文化の伝統を受けつぐ芸術家であると同時に、マルキシズムの洗礼を受けた新しい世界観の持主でもある彼の映画は、軽量芸術家ばかりが存在する現代に、確固たる威容を誇る高峰、という感がある。それがヴィスコンティ・ブームを支えているもの、といえよう。さらに唯一の日本未公開作「熊座の淡き星影」公開をはじめ、旧作がなお何本かリバイバル上映されることになっている。

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ブニュエル・ブーム

1985年版本誌掲載。以下、

スペイン生まれの、シュールレアリストである、異能の映画作家ルイス・ブニュエル(Louis Bunuel 1900〜83)のブームが、日本で起りつつある。まずこの巨匠の、日本未公開の作品19本を含む29本の映画が「ルイス・ブニュエル全集」のタイトルで特別上映されたのをはじめ、「銀河」「欲望のあいまいな対象」という2本の未公開作品が劇場上映された。さらに「ブニュエル代表作連続ロードショー」というタイトルのもと、「ブルジョワジーの密かな愉しみ」「自由の幻想」「哀しみのトリスターナ」など6本の旧作のリバイバル上映がおこなわれた。シナリオ共作者のジャン=クロード・カリエールが来日したり、ブニュエルの自伝「映画、わが自由の幻想」が翻訳出版されたりもした。終世、世の因習と帰省概念に挑戦的な映画作りをつづけた、この巨人監督の映像表現の威力が、無気力安定の時代にある日本に痛撃を与えた結果の、ブームの到来かもしれない。

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小津映画ブーム

1984年版本誌掲載。以下、

今は亡き小津安二郎監督(1903〜1963)の映画は、海外での評価が高まって神格化され、日本でも東京・京橋のフィルムセンターで作品が上映される時には、何時間も前から行列ができる盛況となる。高橋治の「絢爛たる影絵−小津安二郎」、蓮実重彦の「監督小津安二郎」といった本が出版されたり、シナリオ集も連続刊行されはじめた。小津映画関係者へのインタビューや、旧作の名場面などで構成された映画、井上和男監督の「生きてはみたけれど」も、製作され、作品再上映もおこなわれた。欧米の映画とはイメージの異なる、独自の日本的な映画作りと、端正で厳格なその技法は、現代の観客の目には、かえって、比類なく新鮮なものにさえ、うつる。小津映画の魅力の秘密である。

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日本映画の国際映画祭受賞ブーム

1984年版本誌掲載。以下、

1983年カンヌ国際映画祭で、今村昌平監督の「楢山節考」がグランプリを受賞、ついでカナダのモントリオール国際映画祭で、佐藤純弥監督の日・中合作映画「未完の対局」がグランプリを受賞した。この他にも、イタリアの世界ミステリー映画祭で、桃井かおりが「疑惑」で最優秀女優賞を受賞。スイスのロカルノ国際映画祭で、松田優作が「家族ゲーム」で特別奨励賞を受賞。さらに、モスクワ国際映画祭で、加藤嘉が「ふるさと」で主演男優賞を受賞し、「未完の対局」と同じモントリオール映画祭では、田中裕子が「天城越え」で最優秀女優賞を受賞している。マニラ国際映画祭では、仲代達矢が「鬼龍院花子の生涯」で主演男優賞を受賞。昭和26年にヴェネチア国際映画祭で、黒沢明監督の「羅生門」がグランプリを受賞して起った時以来の、日本映画の国際映画祭受賞ブームである。その底流には、どうやら世界の映画界の、アジアの映画への関心の高まりが、ありそうである。

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「バットマン」ブーム

1990年版本誌掲載。以下、

1989年6月に本国公開されたアメリカ映画「バットマン」が、記録破りの大ヒットとなり、「バットマン」ブームを生み出している。1930年代にコミックスの主人公として誕生、ラジオやテレビでも、ドラマ化されてきたヒーローがカラー・ワイド画面時代の映画に新しくよみがえった。主人公をマイケル・キートン、悪玉ジョーカーをジャック・ニコルスンが演じ、監督は「ビートルジュース」のティム・バートン。

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2ブーム

1991年版本誌掲載。以下、 

アメリカ映画のヒット作品の新作続篇であることを証明する、「2」という数字がタイトルに入った映画の製作が、ここ何年も盛んで、ブームになっている。近作をあげただけでも「リーサル・ウェポン2/炎の約束」「ザ・フライ2/2世誕生」「ゴーストバスターズ2」「ロボコップ2」「グレムリン2/新・種・誕・生」「ダイ・ハード2」「48時間PART2/帰って来たふたり」という壮観である。日本にも「マルサの女2」があったし、アメリカには「バック・トゥ・ザ.フューチャーPART3」「ゴッドファーザー3」という、「3」物さえある。「ロッキー」や「ランボー」も連作がつづいている。新しい映画に挑戦するより、気心のしれた面白かった映画の続篇を、という傾向は今や世界的なようだ。

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若手歌舞伎ブーム

1993年版本誌掲載。以下、

このところ歌舞伎の興行的な活況が目立っているが、それを支えているのは若手俳優についた若い女性ファンの急増である。30代半ばの中村勘九郎がレギュラー出演したテレビのトーク番組が若い世代の関心を集め、同じ30代の坂東八十助やまだ20代の中村橋之助もテレビドラマで広く知られるようになり、橋之助の兄の若女形、中村児太郎の人気も加わって、新しいブームを招いた。ヤング向けの情報誌が歌舞伎特集を組んだり、別冊の鑑賞案内を出したりしたことも歌舞伎熱を高めている。

1990(平成2)年8月、歌舞伎座はそれまでの年中行事だったSKD(松竹歌劇団)の公演を打ち切り、納涼花形歌舞伎に切り換えたところ、予想外の大入りになり、翌91年にも引き継がれた。歌舞伎の夏興行は、怪談物や「本水」を使ったりして見た目の涼しい演目を並べることが多いが、92年8月には常識を破って丸本歌舞伎の大作『義経千本桜』の昼夜通し上演に踏み切った。ブームであればこその企画で、若手俳優に大役を勉強させ、若い観客にも古典歌舞伎の見方を学んでもらおうというねらいである。いがみの權太の勘九郎、忠信の八十助は初役で、平知盛の橋之助、静御前、典侍局、お里を児太郎改め中村福助が演じた。前売り初日には歌舞伎座前に朝から若いファンの行列ができ、電話予約も殺到したというのも、人気の高さを示している。

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江戸ブーム

1994年版本誌掲載。以下、

バブル経済の崩壊と並行するように、江戸の文化に対する関心がたかまった。学問的な次元での再検討というより、サラリーマンや学生が親近感を寄せている。東京の「江戸東京博物館」は開館早々から多数の入館者を集め、田中優子著『江戸の創造力』をはじめとする江戸文化の研究書が多数の読者をひきつけている。

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アジア美術ブーム

1996年版本誌掲載。以下、

もっぱら欧米の動向にばかり目を向けてきた日本の現代美術界だが、この2、3年、急にアジアに対する関心が高まっている。中国や韓国のみならず、東南アジアの国々の展覧会も頻繁に開催され、アーチスト同士の交流も盛んになってきた。

インドネシアの民衆文化を踏まえたヘリ・ドノのユーモラスなインスタレーション、中国の方力鈞(ファン・リジュン)の絵画のシニカルなリアリズムなど、各国の若い世代のアーチストの作品の強固なアイデンティティが、文化的多元主義の思潮の中で、大きな反響を呼んでいるといってもよいだろう。

もちろんこのブームの背景には、開館(1979年)以来、一貫してアジア美術の紹介に取り組んできた福岡市美術館や国際交流基金アジアセンターの地道な努力を見逃すこはできない。しかし国によっては経済進出の補完としての文化戦略だとして警戒する声もある。ブームを都合のよいアジア美術の蚕食に終わらせてはなるまい。

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時代劇映画のブーム?

2000年版本誌掲載。以下、

篠田正浩監督が司馬遼太郎の原作を映画化した大作「梟の城」。大島渚監督が同じく司馬遼太郎の原作を映画化した「御法度」。黒澤明監督の遺作シナリオを、その助監督だった小泉尭史監督と元黒澤組スタッフが映画化した「雨あがる」。そして、かつて黒澤明・市川崑・木下恵介・小林正樹ら四騎の会の監督たちが共作したシナリオを、市川崑監督が改めて映画化する「どら平太」と、日本映画に久しぶりに話題の時代劇映画がそろった。日本を覆う世紀末的閉塞感を、日本的アクション映画である時代劇で打破しようとする傾向から生じたブームか?ただし4本の作品に共通する強い志向は別に見られない。

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岡本太郎ブーム

2001年版本誌掲載。以下、

岡本太郎が没したのは1996(平成8)年だが、このところ強烈な個性で知られたこの前衛画家の再評価、というよりはむしろ岡本太郎ブームともいうべき現象が起きている。生前に本人から贈与された作品を中心にした川崎市の岡本太郎美術館の開館(2000年)が話題になったばかりではなく、『ユリイカ』など多くの雑誌が特集を組み、また著作も相次いで復刊された。前衛芸術の論客であると同時に、縄文論をはじめとする日本の伝統的な文化への考察が、破天荒な人間性の魅力とあいまって、広範な関心をよんでいるのであろう。若い世代のアーティストたちが、自らの原点として「太陽の塔」などの作品に改めて注目しているという事実も興味深い。

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