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戦後60年に去来したブームたち

社会のブーム

褒賞ブーム

1956年版本誌掲載。以下、

鳩山内閣成立以来、半年のうちに紺、紅、緑、藍、紫、黄の各綬褒賞を贈られた者593名。1日3人強。このほか土木勲章というのも制定された。まさにブームというより、褒章インフレである。

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セクシー・ブーム

1960年版本誌掲載。以下、

化粧品会社キスミーのCMソングのなかで流行色のピンク色に冠した形容詞。セクシー(sexy)という意味はもともとエロ的なというのであるが、これが大いに受けて、なんでもセクシーという形容詞が冠されるようになった。

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第2次ベビーブーム

1973年版本誌掲載。以下、

戦後復興の産声とともに、昭和22年から24年にかけてベビーブームが到来、毎年260万人以上のベビーが誕生した。その後30年代にかけて下降状態にあったが、厚生省の発表によると46年には再び200万台に接近しており、これから52年にかけて第2次ベビーブームが続くという。46年の推計では、16秒に1人の割で誕生、一方、死亡する方は47秒に1人だそうだから年間百数十万人が自然増加したことになる。この母親の多くは、第1次で生まれたベビーだから、また20数年後に第3次が到来する勘定になるわけだ。

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宝くじブーム

1974年版本誌掲載。以下、

ひところなら、宝くじで人が行列する光景など、めったに見られなかったものだ。それがいまは、売出しと同時に蜿々長蛇の列。東京では大混雑を避けるために、後楽園球場に特設売場を用意するほどになった。昭和47年末には、自治宝くじに加えて復帰祝いの沖縄宝くじも参加、あわせて1等1000万円が4本という超豪華版。大阪では、兄弟3人が連番40枚を買い、1等及び前後賞、前々後々賞あわせて1460万円獲得という珍しい結果も出て、宝くじブームに花を添えた。

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捨子ブーム

1974年版本誌掲載。以下、

昭和20年代に一時はやった捨子事件が、40年代にはいってまた多発しだした。昔のような食糧難の時代ならともかく、この高度成長下のご時世に捨子ブームとは、どうしたことだろう。

一方では性の解放が叫ばれ、セックスは手段であるよりそれ自体目的化してしまう。他方では消費文明が高度化して、いらないもの、じゃまなものは惜しげもなく捨ててしまう。“ついでに”できてしまったような子供はじゃまものでしかないのだ。これは、母性というより人間性喪失のなげかわしい一例である。

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異変ブーム

1974年版本誌掲載。以下、

「沈没」とか「終末」あるいは「破滅」といったことばが、たびたび人の口端にのぼるようになると、やはり人心が乱れるせいか、ちょっとしたことにも不安や危惧を覚えがちだ。東京の街なかへ蛇が出てきたり、赤とんぼが大量に飛来しても、何かの異変ではないかと疑う。ひと春前なら普通のことが、いまだからおかしいというのである。確かに近海でウマヅラハギやオニヒトデが大発生したこともあるが、別に科学で解明できぬ不可思議でもなし、「なんでも異変」の風潮は、かえって真の異変を見逃す失態につながりはしないか。

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遺言ブーム

1975年版本誌掲載。以下、

見苦しい、なさけないといわれながらも、相続につきものなのが遺産争いだ。土地成金の急増、突発事故の激増などが一般化してきたため、争いの内容も深刻になりつつある。そこで、クローズアップされてきたのが、遺言のすすめ。民法では、三種の遺言方式が認められているが、そのうち遺言が正確に執行される保証のある「公正証書遺言」がもっとも人気高。地下高騰を反映してか、首都圏での増加が目立っている。とくに、遺言のない場合の妻の立場が不利な現行民法では、遺言で妻を相続指定者にするのがいちばん確実。この遺言ブームも、案外かげにウーマン・パワーがひそんでいるのかもしれない。

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ふるさとブーム

1975年版本誌掲載。以下、

レンタル農園と同じ発想だが、よりダイレクトに「ふるさと」を訴える商法がちらほらブームになってきた。東京江戸川区では、長野県穂高町と「ふるさと交換協定」を結び、特産品の直売やレジャーの交流を始めた。一方、過疎に悩む福島県三島町でも、ある信託銀行の肩入れで年会費1万円の「特別町民」を募集し、会員に釣りやスキーなどのレジャーのサービスを提供する「ふるさと運動」を開始。どちらも都会人のノスタルジアをくすぐるアイディア。

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カラオケ・ブーム

1983年版本誌掲載。以下、

中年層の欲求不満が爆発してカラオケ・ブームを現出した。開発者はテイチク取締役の麻生川(あそがわ)敏雄氏である。カラオケの機械は、もともと新人歌手の全国キャンペーン用に開発されたもの。伴奏の楽団の同行は費用がかかる。そこで機械に代行させた。昭和40年代後半のことである。中年層のカラオケ・ブームに目をつけてこれを売出したところ、カセット化やボタン式音だしの技術革新などが手伝って、57年には200万台、全世帯の7%にのぼった。30%まで行くのではあるまいかといわれている。熱唱曲は演歌が圧倒的、コンピュータでカラオケ熱唱の採点法まで生まれたが、酔うほどにフィーリングがのり、歌い手、聞き手ともに好評なのに機械の採点は低い。コンピュータはフィーリングまでは採点できないらしい。アメリカにも進出し、これを見たアメリカ人は「スター・イズ・ミー」の自己顕示欲の欲求不満が、ウーマン・リブややホモ・リブなど「ミージェネレーション時代」を現出させているのに、日本人は、カラオケで、これを見事解消発散させていると妙なところで感心しているという。

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新・新宗教ブーム  neo-new-religion boom

1985年版本誌掲載。以下、

幕末から維新にかけてさまざまの「新宗教」が生まれたし、また第2次世界大戦の直後にも現在の新興宗教の主流の座にある教団が次々と生まれた。そして1980年代も後半に入ろうとしている今日「新・新宗教」ともいうべき新しい新興宗教がさかんに活動しはじめており、また世紀末の不安におびえる人々が、若者も含めてかなり沢山集まっている。世論調査の結果をみても「信仰とか信心をもっている」と答える日本人の比率は、戦後一貫して減り続けてきたが、昭和48年ごろから反転し、現在では、3分の1以上の国民が「信仰とか信心をもっている」と答えるところまで“宗教回帰”が進んでいる。また、お墓参りや初詣、お守り、占い…などが、いまや若い世代にまで受け入れられ「“もの”の時代から“こころ”の時代へ」といわれる社会状況を如実に反映している。

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横割りブーム

1986年版本誌掲載。以下、

会社内だけの縦割り社会を超えて、さまざまな職種の人が集まった横割りの勉強会がブームになっている。東京だけで数千グループ、全国では数万にのぼる。昭和60年2月21日、東京・赤坂の東急ホテルで開かれた『勉強会大合同パーティ』には、参加60団体、428人が集まった。会費は1万円、100枚の名刺持参が条件。世話人代表の毎日放送室長・下村澄によると「仕事の繋がりや知識だけでなく、もっと幅の広い人間関係をつくり、異業種の人にあって、知的好奇心を満足させる。お金や名声では買えない人との触れ合いこそ、これからの財産」という。横割り勉強会は、霞が関の官僚の世界では、とくに盛んで、その数は数十とも数百ともいわれている。経済評論家の内橋克人は「バイオテクノロジー(生命工学)が盛んなように、エレクトロニクスの専門家もいまや生物や化学の分野も知らなくてはいけない。“横断情報人間”こそこれからの人間」と説く。

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レトロ・ブーム/復古調ブーム  retoro-boom

1986年版本誌掲載。以下、

もともと“レトロ”(retro)というのはラテン語の接頭辞で、「再びもとへ」とか「逆方向に」(backward)という意味である。たとえば、retroactionならば反作用、retoro-gradationならば後退、ということになる。いま20世紀末、にわかに「1920年代をなつかしむ」とか「19世紀ウィーン」などがブーム現象を見せているのも、「前が見えない時代には後ろを見る」という人間本来の“レトロ心理”が作用しているからであろう。

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第3次宗教ブーム

1987年版本誌掲載。以下、

オカルトブーム、神秘ブーム、密教ブーム、禅ブームなどの語がこのところジャーナリズムによく登場する。いわゆる心の時代の到来を告げる新聞記事やテレビ映像も少なくない。書店では精神世界の本のコーナーが特設されて客を集めている。現代はすでに新宗教の時代は終わって、いまや新・新宗教の時代だという。明治維新前後を第1次、敗戦前後を第2次とすれば、現在は第3次宗教ブームだともいわれる。総称して、宗教回帰の現象と呼ばれているが、しかしこの場合の宗教とは、既成の教団宗教とは限らない。教義・儀礼の体系や教団体制の整った宗教伝統はむしろうっとうしいものとして回避される傾きがある。現世利益への願望や射倖心、もの珍しさに対する遊びや気晴らしなどを動機として、さまざまな宗教事象にいわば無責任に関わりをもち「はしご」をして回る例も多い。宗教の個人化、さらに私化(privatization)と呼ばれる傾向である。今日の無機質的な管理体制社会の中で、個人の内心に安定や充実を見出そうとする現代的な宗教動向の一面である。

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お嬢様ブーム

1987年版本誌掲載。以下、

街角に立って「お嬢様ァ」とどなると、人波の中の若い女性のほとんどがふりかえる──ことほど左様にお嬢様ブームが社会的ムードになっている。この下地はまる金、まるビの社会階層化で、きっかけとなったのは、芦屋令嬢の誘拐事件である。これに女性週刊誌の浩宮の皇孫妃さがしと来日したイギリスのダイアナ妃の人気がブームをあおった。

「お嬢様」は「お嬢さん」とはランクがちがう。その条件は、<1>家柄と住居、代々芦屋とか世田谷とかに住んでいること、<2>活け花、お茶、書道のたしなみがあり、出るところへ出ればキチンとしたことばづかいや礼儀作法を身につけている、<3>好きな色は白やピンク、紺などが、お嬢様ルックなどといわれる、<4>結局は気品、それは育った環境から自然とにじみ出てくるものだろう、<5>職業としては保母さん。これはダイアナ妃、あるいはマラソンの瀬古夫人の前職のせいかもしれない。

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大検ブーム

1989年版本誌掲載。以下、

高校を卒業しなくとも、大学へ進む資格を与える制度で、正式には、大学入学資格検定という。この制度の発足した1951(昭和26)年頃は勤労青少年の受験生が多く、毎年7〜8000名の応募者があった。しかし、高校進学率が上がるにつれて、57年以降、80年まで、出願者は3000名前後にとどまっていた。しかし、高校を中退し、予備校などへ通いながら出願する者がふえ、86年の1万1000名、87年の1万3500名と大検ブームを迎えた。制度上、中学卒業の直後に大検に合格しても、18歳になるまで大学受験はできないが、6・3・3制の枠を破る動向として、今後のなりゆきが注目される。文部省も、88年から、生涯学習局の中で大検の科目削減や名称の変更などの検討を進めている。

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女性生保ブーム

1990年版本誌掲載。以下、

かつては、生保(生命保険)といえば、「一家の大黒柱」である男性が女・子供のためを思ってかけるものと、相場が決まっていた。ところが、生保協会がこのほどまとめた数字によれば、1988(昭和63)年度に業界25社が結んだ新規契約1580万2000件のうち被保険者が女性であるものが792万7000件にものぼり、男性よりも5万2000件も多く、50.2%を占めている。昭和50年ごろの女性の比率は30%前後のものであったが、60年代に入ってからは40%の後半を推移するようになり、昭和63年を境に遂に女性上位時代に入ったわけである。いまや、家庭のサイフのヒモを握る女性こそが一家の大黒柱になってきたのかもしれない。

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OL留学ブーム

1990年版本誌掲載。以下、

海外留学に転じるOLが増えている。東京都渋谷区の留学情報会社・国際文化教育センターの調査によると1980年には全体の24%だったOLからの留学相談が、88年には、39%、6万3000件と飛躍的に増えている。年齢別では25歳から39歳が全体の37%を占め、留学先は英語圏が大部分である。中心になっているのは、有名大学、短大を卒業し、大企業に5年前後勤め、当面結婚の予定のない20歳代半ばから30歳までの女性。こうしたOL留学ブームの背景には、働く女性たちの意識の変化に応えきれない国内企業社会の構造と、国際化の急速な浸透がある。短期間の留学で使いものになる語学力が身につくのか、また、せっかく身につけた語学力や資格を活かせる職場が日本で見つかるのか、問題も多い。

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自己啓発講座ブーム

1991年版本誌掲載。以下、

「精神修養講座」「人格形成セミナー」「能力開発講座」といった名称の自己啓発講座が若者たちの間で人気を集めている。アメリカで開発されたものが多く、「積極的な性格になれる」「感性が磨かれる」といったキャッチ・フレーズで精神の充実をはかるものだが、何分新しいシステムということもあり、契約トラブルによる苦情、相談が続出している。なかには、路上で「無料性格判断」をエサに通行人をキャッチ、半強制的に勧誘し、解約を受け付けないという悪質なものもあるらしい。契約者の大半はサラリーマン、OLで占められるが、それも20歳代が中心。学生、主婦の受講者も少なくないという。

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水族館ブーム

1993年版本誌掲載。以下、

ここ数年、デートスポットとして、水族館がブームとなっている。たしかに昔の暗くてジメジメしたイメージの水族館とは違い、近代的な建物、明るいエントランス、建物周りのエクステリアもハイセンスな施設となっている。なかにはこれが税金で建てた施設かとびっくりするほどの公立水族館もある。

1991(平成3)年10月に品川区が開館した海中トンネルが売り物の「しながわ水族館」。92年になっても休日には1万人もの入場者がおしかける。最寄りの大森海岸駅は大混雑、水族館までの道にある団地は、1000人もの順番待ちの列の目の前にあるため、洗濯物も干せないというが…。このほか、10メートル近いジンベイザメが泳ぐ大阪港の「海遊館」、マグロなど大型回遊魚で有名な東京の「葛西臨海公園水族館」などもデートスポットになっている。

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駅名改称ブーム

1994年版本誌掲載。以下、

JRでは、民営化後40以上もの駅の名称を変更した。岩手温田→ゆだ高原(北上線)、石和→石和温泉(中央線)、湯谷→湯谷温泉(飯田線)など温泉や高原をつけるタイプが多いが、陸中川尻→ほっとゆだ(北上線)などユニークな変更もある。もっぱら観光宣伝や「村おこし」のために行われ、費用は地元が負担している。

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屋台村ブーム

1995年版本誌掲載。以下、

ビルの地下やテントの中に屋台が並ぶ。屋台の前にはたくさんのテーブル席があり、気軽な料金で気軽に一杯やれる。これが屋台村。つまり屋台が集合して、一つの空間を形づくっているわけだ。

屋台の種類もさまざま。やきとり屋、ラーメン屋、おでん屋、本格的な中国料理やフランス料理、懐石料理などもある。ひいき客も多種多様、若いグループあり、中年のいわゆる屋台族あり、土日には幼い子を連れた若い夫婦も楽しむ。むろん一人静かにコップ酒をやる中高年の姿もある。屋台は本来繁華街の路上に存在する引き売りの移動店舗。しかしこれは原則的には道路交通法上違法行為である。東京・銀座では20年前にはおでん・ラーメン、焼き餅などの屋台が40台以上も商っていたが、今は数えるほどになった。東京都内の屋台は、この20年に4分の1に減ったといわれる。横浜の山下公園は、今も屋台がにぎやかに営業している。市によって定着化されたものだが、一代営業権しか認められていない。

屋台は時代の変化に対応できず、消えゆく運命にあるといってもよい。しかし、この手軽さ、庶民性を失うのは惜しいということか、全国的な屋台村のブームである。このブーム、一過性で終ることはなさそうだ。

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手話ブーム

1996年版本誌掲載。以下、

自己表現の一手段としての手話が、OLたちの人気アイテム。きっかけは、豊川悦司(トヨエツ)出演の人気ドラマ「愛していると言ってくれ」。

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築城ブーム

1996年版本誌掲載。以下、

忍城、掛川城、清洲城、豊田城など、正確な復原や新築などを含め、多くの城がつくられ、第3次築城ブームといわれる。昭和初年の第1次、昭和30年代から40年代にかけての第2次ブームに次ぐものといわれ、今回は小さな地方の町が多いのが特徴。一種の町おこしの道具であるが、史料に基づいた正確な復原もあり、町ごとに工夫がみられる。しかし城によって人を呼べる時代は過ぎ去ったようで、思ったほどには町の活性化につながらない。

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第3次ブランドブーム

1997年版本誌掲載。以下、

不況を続ける百貨店の中で高級ブランド品だけが売り上げを伸ばしている。ブランドは効率最優先の中で日本とアメリカが失ったものである。戦争と内乱を繰り返し、祖先の旗印を守り抜いてきたヨーロッパにはブランド、すなわち自分たちの商品に関するアイデンティティーが残っている。機構の一切を日本メーカーに頼った自動車やカメラであっても、ヨーロッパ印をつけるだけでブランドになるのは、彼らが商品アイデンティティーに対して高いコストを支払ってきた結果である。

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