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流行語大賞からキーワード
 

って言うじゃない・・・○○斬り!・・・残念!

間違いない

流行語大賞ノミネート間違いないとの下馬評も高かったタレント長井秀和のキメ台詞「間違いないっ!」は惜しくもノミネートならず。長井秀和は1970年東京生まれ。大学ではパントマイムサークルを創り、大道芸もやっていた。1992年にデビュー。世の中の女性や芸能人を冷静に毒舌で語る漫談スタイルで2003年なかばから人気を集めた。

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資生堂

資生堂は1872年に海軍病院の薬局長であった福原有信によって銀座で創業された。現在はグループ総従業員数約25,200名という日本のトップ化粧品メーカー。資生堂は、波田陽区が日本テレビ「エンタの神様」(資生堂提供)において、「おしゃれカンケイ」(資生堂の一社提供番組)を汚れ芸人が多数出演していることから「汚れカンケイ」と揶揄したため、スポンサーを降板した。

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ピン芸人

2003〜04年にかけては第4次お笑いブームともいわれ、多くのお笑い芸人ネタ披露番組が登場しているなか、2003年のはなわ、ダンディ坂野らあたりにはじまり、2004年は毒舌系の波田陽区、長井秀和、青木さやか、だいたひかる、演技派の友近、劇団ひとり、自虐系のヒロシ、音や映像を多用した異色の陣内智則など一人で話芸を披露するピン芸人の活躍が目立った。ワンパターンで飽きられるのが早いか、芸能界の隙間をついて地位を確立できるのか今後の行方が見ものである。

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R−1ぐらんぷり

2001年から吉本興業主催で行われている若手漫才コンクール「M−1グランプリ」に続いて2002年から開催された、若手の一人話芸のコンクール。「R」は落語を意味するが、落語に限らず、漫談、一人コントのピン芸人から、普段はコンビを組んでいる芸人も一人で参加できる。「プロアマ問わず、とにかく一人でしゃべっておもしろいこと」が条件。優勝者には賞金500万円(「M−1」は1000万円)。初代チャンピオンはだいたひかる、2003年度チャンピオンはコメディユニット「ザ・プラン9」の浅越ゴエ。波田陽区は03年のR−1グランプリにおいて準決勝敗退。

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大辻司郎

ギター漫談形式で売れている波田陽区。「漫談」という言葉は「語る漫画」という意味で命名され、1923(大正12)年の関東大震災後あたりから使われ始めた。この「漫談」を看板に話芸をはじめたのは大辻司郎といわれる。1896年生まれの大辻司郎は株屋の店員を経て活動弁士になり「勝手知ったる他人の家」「腹に一物、手に荷物」などといった珍妙なフレーズで人気者に。1933年に同じく活動弁士出身の徳川無声、古川ロッパと喜劇団「笑いの王国」を旗揚げし、浅草軽演劇の黄金時代を築いた。1952年日航機「もく星号」墜落事故によって死亡した。

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サムライ・ブーム

2003年、トム・クルーズ主演映画「ラスト・サムライ」が公開され大ヒット。アカデミー賞では、同作で渡辺謙が助演男優賞に、山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」が外国語映画賞にノミネートされ、賞は逃したものの日本人の活躍は話題をさらい、国内でも俄かにサムライ・ブームが起こった。ほかにも「壬生義士伝」「座頭市」「あずみ」や、洋画「KILL BILL」を含め、時代劇が大いに注目された。「ギター侍」として人気を博した波田陽区だが、映画の世界では一足早くサムライ・ブームが起こっていた。

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着流し

波田陽区の衣装はいつも着流し。着流しとは、羽織袴なしで着物と帯だけという略式の着方のことで、今でこそ粋な着こなしと見られているが、士農工商が定められていた時代には、商人は袴をつけることが許されておらず着流しには蔑みの意味も込められていた。しかし商人の経済力が増し、徐々に服装の自由化が進むにつれ、着流し姿が粋とされるようになっていった。

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黒澤明

波田は黒澤映画ファンで着流し衣装も黒澤映画からヒントを得たとか。2003年のNHK大河ドラマ「武蔵」が黒澤映画「七人の侍」の盗作だとして、黒澤明の長男である黒澤久雄さんらが著作権侵害の訴訟を起こしていたが、2004年12月、東京地裁は原告側の全面敗訴とした。

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