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流行語大賞からキーワード
 

中二階

山本一太

「中二階」という言葉の発案者。参議院議員。自由民主党。群馬県選出。当選2回。その名は、やまもといちた、と読む。1958年1月24日群馬県草津町生まれ。実家は温泉旅館。中央大学法学部卒業。米国ジョージタウン大学大学院の国際政治学修士課程を修了。国際協力事業団(JICA)、国連開発計画(UNDP)ニューヨーク本部勤務を経て、95年参議院議員に当選。参議院外交防衛委員会、国際問題に関する調査会理事、自民党外交副部会長、青年局次長、教育・文化・スポーツ関連団体委員長等を務める。「朝まで生テレビ」によく出演し、その顔を広く知られるようになる。

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ポスト小泉

山本一太参議院議員が20名の仲間とともに立ち上げた「新世代総理を創る会」のキャッチフレーズは「中二階を吹っ飛ばせ」。2004年9月、その情報を手に入れた小泉首相はさっそく記者団との懇談会で、内閣改造にからんで「いわゆる中二階世代には、改革の情熱が乏しい。だから自分の後にすんなりおさまれない」という意味の発言をした。「中二階世代」というのは、自民党内でポスト小泉に名前があがっている60代前後の閣僚、幹事長経験者のこと。具体的には平沼赳夫、古賀誠、高村正彦、麻生太郎らを指す。小泉首相がこの言葉を使ったことで、「中二階」という言葉が示すメッセージが白日の下にされされ、「やはりポスト小泉には人材がいない。一気に若返らせないとダメだ」というムードが助長されることになった。

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平沼赳夫

岡山3区選出衆議院議員。自民党亀井派。中二階世代として名指しされる一人。1939年8月3日生まれ。首相を務めた平沼騏一郎の実兄の平沼淑郎のひ孫にあたる。2歳で平沼騏一郎の養子に。妻の曽祖父は徳川慶喜。慶應大学法学部卒業。日東紡績株式会社、中川一郎秘書を経て、80年の衆参ダブル選挙で当選。運輸大臣、通商産業大臣、経済産業大臣等を務める。北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(拉致議連)会長。「志帥会」メンバー。

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古賀誠

衆議院議員。中二階世代として名指しされる一人。1940年8月5日福岡県山門郡生まれ。日本大学商学部卒業。1980年、第36回衆議院議員に当選。運輸大臣、党国会対策委員長等を歴任。「コワモテ軍師」と称された。加藤派の幹部ながら、2000年には「加藤紘一の乱」に際して主流派につき、反乱鎮圧の最大の功労者になった。加藤派内の反加藤グループが新派閥・堀内派を旗揚げするが、その中核的な存在となる。2001年4月まで自由民主党幹事長。財団法人日本遺族会会長。

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高村正彦

山口県第1区選出衆議院議員。中二階世代として名指しされる一人。1942年3月15日生まれ。中央大学法学部卒業。少林寺拳法四段。1980年6月、衆議院議員当選。以降当選8回。経済企画庁長官、外務大臣、法務大臣を務め、2004年9月、藤井孝男、亀井静香らとともに自由民主党総裁選挙の候補者となって小泉候補に挑んだ。小派閥なために推薦議員名簿で苦労。推薦議員は、衆院から谷洋一、林義郎、赤城徳彦、伊藤信太郎、臼井日出男、大島理森、北川知克、七条明、砂田圭佑、野田聖子、村上誠一郎、山本有二、鈴木恒夫、森英介、浜田靖一、平沢勝栄、山口俊一。参院から林芳正、有村治子、山東昭子。2004年6月、衆議院イラク人道復興支援並びに国際テロリズムの防止及びわが国の協力支援活動等に関する特別委員長に。

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麻生太郎

福岡県第8区選出衆議院議員。第2次小泉改造内閣総務大臣。中二階世代として名指しされる一人。1940年9月20日、福岡県飯塚市生まれ。学習院大学政経学部卒業。麻生セメント社長等を経て、1979年衆議院議員に当選。以降当選8回 経済企画庁長官等を経験。2001年4月、自民党総裁選に立候補し、落選。曽曽祖父は明治維新の英雄・大久保利通。曽祖父は牧野伸顕。祖父が吉田茂、という豪勢な家柄の出身で、いわゆる麻生財閥のトップに座る。現在、WJBL(バスケットボール女子日本リーグ機構)総裁も務める。自身もスポーツが得意で、76年のモントリオール五輪に、クレー射撃の日本代表選手として出場したというのが自慢。問題発言・失言が多いのが欠点で、最近では「部落出身者を日本の総理にはできない」と言ったとか言わなかったとか、物議をかもしている。

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志帥会

中二階と呼ばれる一人、平沼赳夫が座長を務める集団。1999年3月18日に発足した自由民主党の政策集団。旧中曽根派グループと、三塚派から分離した亀井静香・平沼赳夫らのグループが合流した。衆参64名の国会議員が参加。会長、亀井静香。名誉会長、江藤隆美。副会長、中曽根弘文と青山丘。志帥会の精神は、そのHPによれば「水は低きところに流れる。人は志高きところに集まる」。中国の「四書」の一つ「孟子」の中に「志は気の帥なり」と記されているのがその名の由来。すなわち、思想が確立しており、かつ精神がしっかりしていれば、おのずから、元気や気力も沸いてきて、目標に向かって邁進することができる、と言う意味で、命名者は平沼赳夫。

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かいかくの詩

「中二階」という言葉の発案者・山本一太は音楽CDの分野でもメジャー・デビューを果たしており、「かいかくの詩」というのはそのタイトル。不況・不安・不満がつのる現状に対して、新しい日本を作ろうとする前向きな姿勢が歌われているという。「改革」を「かいかく」と表記するところなどは、なぜか草の根左翼の香りが漂い、異色の参議院議員にして異色の自民党議員・山本の今後が注目されるゆえんである。

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新世代総理を創る会

「中二階」という言葉の発案者・山本一太ら自民党若手によるグループ。2004年6月発足し、メンバーは、山本のほか、安倍晋三、中谷元、石原伸晃、石破茂、塩崎恭久、野田聖子ら。このグループから次の総裁候補を擁立し、政権を奪取することを狙う。テーマソング「オレたちにまかせろ!」を引っさげ、「音楽は政治を変える」と訴える。山本議員がメインボーカルで、中山泰秀衆議院議員、山際大志郎衆議院議員がコーラス。

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大部屋

俳優や歌手などが出演の準備や休憩をする部屋を楽屋という。劇場にかぎらずTV局などにもこのシステムが踏襲されている。歌舞伎の楽屋には役者、長唄、浄瑠璃、鳴物などの出演者の部屋のほかに、衣装、床山、大道具、小道具を受け持つ裏方の人たちの部屋もある。役者は、名題看板に名前が載る役者になれば、個室の部屋が割り当てられる。一人前の証であり、それまでの大部屋からの出世である。名題下の役者の入る大部屋の楽屋は江戸時代には劇場の中二階にあった。実際は三階だが、幕府は三階建ての劇場を許可していなかった。それで三階を中二階と呼ぶようにしていたという事情がある。つまり中二階役者は大部屋役者ということ。

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姫路市中二階町

兵庫県における製革業の歴史は古く、弥生時代後期に大陸から鞣製技術を伝えられたとされる。江戸時代中期に危機に曝された姫路藩財政は、この革細工物に格好の財源を見出していたようである。当時、すでに地域的な分業が行われており、原皮は、大坂商人を通じて調達され、姫路城下町の中二階町から東二階町にかけては加工部門が展開していた。

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中二階バス

現在、大型観光バスの主流は「中二階バス」とよばれるタイプに移っている。ハイデッカータイプともよばれるそのバスは、従来の一階建てのバスよりも全高を高くすることでさまざまなメリットを作り出している。例えば客席の床が高い位置にあるためにエンジン音やタイヤからの振動などが車内に伝わりにくい、荷物の積載スペースを多く確保できる、客席が高い位置にくるため、窓からの眺めがよい、などがあげられる。

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