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古典の夏と数字のお話
執筆 白鳥 敬

古典の夏と数字のお話

夏は夜

今から1000年くらい前、清少納言は、『枕草子』に「夏は夜」と書きました。夏は夜がいい、趣がある、という意味でしょう。確かに蒸し暑い一日が終わり、夜になると少し涼しく感じます。もっとも都会では、夜になるとかえって蒸し暑く感じるような気もしますが・・・

これは、気温が少し下がると飽和水蒸気量も下がるので、湿度が上がるでせいです。気温35℃の飽和水蒸気量は1立方メートルあたり39.2g、これが、30℃になると30.4gですから、湿度は3割ほど上昇します。

ただ、風があれば、すこし涼しく感じます。平安時代の建物は風通しがいいですから、夏でも夜になるときっと気持ちのよい風が吹いてきたのでしょう。

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月のころはさらなり

「夏は夜」のあと「月のころはさらなり」と続きます。いい月がでているときはもっとよい、ということです。いい月というのは、日が暮れてあたりが暗くなった頃に、東の空にかかっている月でしょうか。夜半を過ぎなければ出てこない上弦の月や、日が暮れるとすぐに西空に沈んでしまう三日月では、「いい月」とは言えません。

ところで、夏の満月の高さ(南中高度)は冬に比べて低いことに気がついてますか。例えば、冬の満月は見上げるような高さで青白く煌々と輝いていますが、夏の満月は、南の地平線を這うように(というとちょっと大げさですが・・・)移動していきます。これは、地球の自転軸が23.5度傾いているため、北半球が夏のとき、夜の側の黄道(太陽の通り道)が日本からは、低い位置に見えるためです。また、月の通り道(白道)は、黄道と約5.9度ずれていますから、黄道と白道の位置関係によっては黄道の位置よりもさらに低く(あるいは高く)見える場合があります。月の南中高度は、季節だけでなく、月齢によっても変化します。

清少納言は、南の空の低いところに見える満月を見て何を想っていたのでしょうか。

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蛍の多く飛びちがいたり

夏は夜がよくて、月が出ていればなおよし。そのうえ蛍が飛び交っていると最高だわ、と清少納言さんは書いています。蛍は、たくさん入り乱れて飛んでいるのがいいけど、「一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし」と、はかなげなイメージを称賛することも忘れていません。なかなかサービス精神旺盛な人のようです。

蛍の光は、光を発するときに熱を出さないので冷光(れいこう)と呼ばれています。熱がでないということはエネルギー変換効率が非常に高いということです。だいたい、人間のつくる機械はなんでも、エネルギーを取り出すときに熱を出してエネルギーの多くを失ってしまいます。

蛍は、ルシフェリンという発光物質がルシフェラーゼという酵素の働きにより酸素と化合するときに光を発します。その波長は560nm。nmは1mの10億分の1。黄緑色の可視光の波長です。その明るさは、3mm離れたところで約3ルクス。満月の夜の明るさが、0.2ルクスから1ルクスくらいですから、蛍のすぐそばでは、満月の夜よりも明るいということです。

また、蛍で面白いのは、光り方のリズムに方言があるということです。関西から西の蛍は、関東の蛍に比べると明滅の間隔が短いのだそうです。

清少納言の見た蛍は、やはり関西弁だったのでしょうか。

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雨など降るも、をかし

夏と言えば、夕立。朝から暑い陽射しが照りつけていたかと思えば、午後になって急にもくもくと黒い雲が全天を覆いだし、やがてざぁっと大粒の雨が降り出します。暑く乾燥した地面の上に雨があたると、少し気温が下がり、涼しく感じますね。

突然の雨に驚いて、慌てて建物の中や、軒下に逃げ込む様子は、昔も今も変わらない日常の風景なのでしょう。

雨を表す記号といえば天気図記号が有名です。雨は●ですね。ちなみに曇りは◎、快晴は○。実は天気を表すのに、もう一つの記号があります。それは、電文(テレタイプ)で送られる気象通報です。例えば、航空用のMETARと呼ばれる通報式では、雨はRA、驟雨(しゅうう)はSHRAです。雨というのは、普通にシトシトふる雨のことで、驟雨というのは、シャワーのようにシャーと強く降る雨のことです。これにさらに、+や−がつきます。+SHRAは、強い驟雨。SHRAは普通の驟雨。−SHRAは弱い驟雨です。+の基準は、雨の瞬間強度が15.0mm/h以上、弱は3.0mm/h未満をいいます。

ま、こんな記号や基準を知らなくても、雨が降れば家の中に逃げ込めばいいだけなのですが・・・

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夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを

古今和歌集に掲載されている清原深養父(きよはらのふかやぶ)の歌で、次のように続きます。「雲のいづこに月やどるらむ」。

夏の夜は、まだ宵だと思っているうちに明けてしまうが、こんな短い時間では、月は西の地平線まで着いていないだろう、いったい、あの雲のどのへんに月が隠れているのやら、という意味で、夏の夜の短さを詠んだ歌です。

ほんと、夏の夜は短いです。みなさんよくご存知のように、一年でいちばん夜が短いのは、夏至の頃です。6月22日頃ですね。例えば、2004年の夏至は6月21日で、この日の東京の日の出時刻は、4時45分、日没時刻は19時00分、昼の長さは、14時間35分でした。1日のうち、昼の時間が約61%です。

夏の寝苦しい夜は、親しい友と、あるいは恋人と語り明かしているうちに、夜があけてしまうのです。もう少し夜が長かったならなぁ。月はいったいどこへ行ってしまったのか。深養父の気持ちがよくわかりますねえ。

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夏の月

「夏の月」とくれば、「御油より出でて赤坂や」とつなぎたくなります。ご存知松尾芭蕉の名句です。御油とは、愛知県豊川市にある地名で、東海道五十三次の宿の一つ。一つ西の赤坂宿までは約16町(1町は約109mだから、約1.7km)と、東海道の宿のうち最も距離の短い場所として有名です。

芭蕉のこの句は、夏の夜の短さを詠んだもので、夏の夜の月は、御油からでて西北の方向にある赤坂に沈むのだろうか、歩いても30分もかからぬ短い間の夏の夜であることよ、といった感じでしょうか。

もっとも、御油や赤坂は、今でいう風俗街としても有名だったみたいで、美しい女に気をとられているうちに、もう朝になってしまったのか。ほんとに夏の夜は短いことよ、というところが本音かもしれませんね。

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たなばたつめ(織女)と 今宵逢ふらしも

たなばたは万葉集の時代から歌に詠まれています。「天の川/かじ(楫)の音聞こゆ/彦星とたなばたつめ(織女)と/今宵逢ふらしも」。これは柿本人麻呂の歌です。天の川を見ていると、織姫に逢うために、天の川に船を出した彦星の楫(舵)を漕ぐ音が聞こえてくるようだ、という意味です。

夏の夜は、遅くやってきて、夜が更けるまで楽しむ。そんな行事のひとつが七夕でしょう。夏は日が沈んでからも、西空が濃紺に染まりながらもわずかに明るさを残している時間が長いのです。日が沈むとさっと暗くなってしまう秋の夕暮れと違うところです。

日没の後の薄明かりのある状態を薄明といいますが、これは三つに分けられています。日没の後、太陽が地平線の下6度に達するまでを「市民薄明」といいます。続いて、地平線下12度になるまでを「航海薄明」といいます。航海薄明までは、地平線と星が両方とも見えています。続いて太陽が地平線下18度になるまでを「天文薄明」といいます。天文薄明が終わると、空が真っ暗になり、肉眼で見える最も暗い星である6等星まで見ることができます。つまり、天文薄明が終われば、暗い星の集まりである天の川がきれいに見えるということです。

夏は、天文薄明が終わるまでの時間が、1年のうちで最も長いのです。だから、夏の宵は、楽しくてうきうきするのですね。

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名月を

「名月をとってくれろと泣く子かな」。小林一茶の句です。夏が終わり仲秋の名月を詠んだ句でしょうか。ともかく満月は立派です。ほんとに真ん丸で美しく輝いています。もし、地球に月という衛星がなかったら、世の文学の半分は生まれなかったかもしれません。ま、それはともかく、古来、人類は月を見て、月にいろんな思いを馳せてきました。うさぎが餅つきをしているとか、カニが見えるとか。

月の模様は、主に表面の地形によって明暗が分かれて見えます。明るい部分は、山脈などの切り立った高い部分です。この山の斜面に太陽の光が当たって反射するので明るく見えます。暗く見える部分は、海と呼ばれている部分で、実際は水があるわけではありませんが、平原が続いている場所です。

小さな望遠鏡でも、月にはたくさんクレーターや山脈があるのがわかります。明るく輝くコペルニクスクレーターやティコクレーター、高さ6500mもある月世界最高峰のアペニン山脈、半分欠けたクレーターである虹の入り江など、月の観光名所は数々あります。

ところで、月は、いつも同じ面を地球に向けて公転していますから、月の裏側が見えないはずです。でも、実際は、ちょっとだけ裏側を見ることができるのです。月は、公転軌道と自転軸のずれの影響で、ちょっとだけ地球に対する向きがずれることがあります。この首振りを秤動(ひょうどう)といい、このおかげで、地球から月の表面の50%ではなく約59%を見ることができるのです。

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月は東に

とくれば「日は西に」ですね。「菜の花や月は東に日は西に」。蕪村の句です。夏の句ではありませんが、月の出と日没を同時に読みこんだ豪快な句ですね。月と太陽が同時に見えてるわけですから、満月の1日か2日前の夕暮れどきでしょう。

満月であれば、太陽と月は180度離れていますから、西空と東空に地平線か水平線が見える場所なら、西の地平線に太陽が沈むと同時に、東の地平線から月が昇ってくるという光景を見るチャンスがあるかもしれません。

ただ、「日の出」「日の入り」と「月の出」「月の入り」は若干違います。太陽の場合は、太陽の上辺が地平線にかかったときの時刻を言いますが、月の場合は、月の中心が地平線にかかった時刻をいいます。惑星の場合も同じです。

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風の音にぞ おどろかれぬる

藤原敏行の「秋きぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」という有名な歌があります。夏の終わり、まだ蒸し暑い日が続いているが、さっと風が吹くと、涼く感じるのには驚いた。目にははっきり見えないけど、秋はもうそこまで来ているのだなあ。そういった夏の終わりをうたった歌です。

夏の終わりは、いつの時代も、甘美で感傷的なものです。ひと夏の恋というではありませんか。

夏から秋に移るときとは、上空のジェット気流が南に下がり始めるときです。日本ふきんまで張り出していた亜熱帯の空気を持つ太平洋高気圧が勢力を弱め、北の冷たく乾燥した気団がじわじわと南に下がってきます。こんなとき、ちょっと北よりの風が吹くと、ああ、涼しくなったなあ、と感じるのです。

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