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アテネ・オリンピックのキーパーソンからキーワード
 

山本博  やまもと・ひろし

1962年10月31日生まれ。神奈川県出身のアーチェリー選手。

オリンピックラウンド方式

弓(洋弓とも呼ばれる)で矢を放ち、点数が表示された標的を射てその合計得点を競うアーチェリー。ルールにはターゲット、フィールドなどがあるが、アテネオリンピック決勝は12本の矢を使用。屋外の平坦なグラウンドに70mの距離で置かれた122cmの標的を狙い、合計得点を競うというオリンピックラウンド方式で争われた。山本博は中学時代にアーチェリーに出会い、1984年大学3年生の時に初出場したロス・オリンピックで個人銅メダル。2004年アテネでは20年ぶりに銀メダルを獲得した。

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大宮開成高等学校

埼玉県さいたま市大宮区の私立高校。1942(昭和17)年、「大宮洋裁女学校」として創設され、現在は目標大学別に6つのコースが設定された普通科(男女共学)と家政科(女子のみ)の2科が設置されている。トレーニングジムを備えた総合体育館をはじめ、充実したスポーツ施設を持ち、アーチェリーや卓球などの部活動では全国レベルの実力を誇る。山本博は同校の保健体育教師で、アーチェリー部顧問。アテネ大会後、全校生徒の前で銀メダル獲得の報告会を行い、喝采をあびた。

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ゴールデンレトリーバー

狩猟犬として改良された英国原産の大型犬。成犬の体高は50〜60cm、体重は30kg前後になる。2000年から飼い始めた山本家の愛犬「トランプ」もゴールデンレトリーバーで、山本博はトレーニング代わりに散歩に連れていったり、競技器具にトランプのプリクラを貼るなど溺愛している。自身の公式ホームページは「トランプの家」というタイトルで、アーチェリーの記録のほか、トランプの成長記録なども掲載している。

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プリクラ

「プリント倶楽部」の略称。1995年、ゲームメーカーのセガとアトラスが共同開発した業界初の写真シール撮影機。その手軽さと交換の楽しさなどから女子高生を中心に大ヒット。人気アイドルとの写真や観光地などご当地ものの写真が撮れる機種も登場している。プリ帳(プリクラで撮ったシールをコレクションするための手帳)、プリクラ交換を目的としたネット掲示板、プリクラに関する「裏技」情報の流布など、プリクラをめぐる文化は未だ衰えることを知らない。

山本博はアテネ・オリンピック大会時、試合で使うスコープ(標的を射た矢の位置を確認するもの)に息子・純太郎くんのプリクラを貼り、「純太郎のヒーローになりたい」と頑張った。

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ニンジャ(NINJA)

カワサキモータース社製スポーツモデルオートバイの一種。もともとは1984年、北米向けに生産されたGPZ900Rを発売する際に名づけられた通称で、その後他の車種にも使用されるようになった。日本では現在でもニンジャといえばGPZ900Rを指すことが多い。1985年公開の映画「トップガン」で主人公役のトム・クルーズが使用したバイクとしても有名。ニンジャという通称は欧米ではメーカー名のカワサキの名より知られているとか。山本博は92年製GPZ900RA9を所有しているとのこと。

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中年の星

アーチェリーは年齢に関係なく楽しめるスポーツと言われているが、世界レベルで競技する選手は10代〜20代後半が多く、アテネで山本と対峙し、金メダルを獲得したイタリアのガリアッツォも21歳の青年だった。山本博は41歳と日本選手団の中でも最年長の「中年選手」。シドニー・オリンピックでは代表落ちし、引退も考えたというが、アテネでは、ロス・オリンピック(銅)以来となる20年ぶりのメダル(銀)を獲得。自らを「中年の星」と称し、流行語ともなった。

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ゆず

北川悠仁、岩沢厚治の2人からなる男性デュオ。1996(平成8)年に結成し、横浜市伊勢佐木町での路上ライブから活動をスタートさせた。98年「夏色」でメジャーデビューを果たす。アコースティックギター、ハーモニカなどで奏でられる素朴でどこか暖かい音色と、さわやかな歌詞が人気を呼んでいる。2004年発売の「栄光の架け橋」はNHKアテネ・オリンピックのテーマソング。日本テレビ系の音楽バラエティ番組「アリゾナの魔法」出演時にゆずの希望で山本博との共演が実現。アーチェリー対決を行った。

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千羽鶴

一般的には、病気平癒や平和への祈りをこめて折った折鶴を千羽、糸でつないだものを指す。「千羽」は「たくさん」の意で、必ずしも千羽である必要はないという説も。山本博は普段、勤務先の大宮開成高校でアーチェリー部の指導をしながら自身の練習もしている。「純粋にうまくなりたいと懸命に練習する生徒たちの姿に教えられることも多い」と話し、時には生徒たちにフォームを見てもらうこともあるという彼は人気者で、アテネ出発前には生徒たちが活躍を祈って作った千羽鶴が手渡された。

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「風が見えるようになった」

老眼は、ピント合わせの力(調整力)が低下し、ぱっと視線を変えたときにものが見えにくくなる現象。40歳ごろから急速に進むという。山本博は5年ほど前から老眼や乱視が進み、2.0あった視力が1.5に低下したというが、それによって逆に「風が見えるようになった」そう。見えなくても過去の経験がその場に必要なフォームを作らせてくれるので、競技中はわずかな感覚の狂いを避けるため、眼鏡もコンタクトも使用しなかったという。

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