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戦没者はどう慰められているかの用語集
 

枢軸国側でははどう悼むのか(欧州)

国民哀悼の日(ドイツ)

ドイツでは11月の第3日曜日(暦により第2日曜日の場合も)を国民哀悼の日として慰霊行事が行われる。大統領はこの日にノイエ・ヴァッヘ国立中央戦没者追悼所で行われる式典に参加し悼辞を述べる。旧西ドイツ時代はボンにある北墓地追悼所で行われていた。ちなみに第2次大戦の終戦記念日は「解放記念日」として4月末になる。

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ノイエ・ヴァッヘ国立中央戦没者追悼所

ドイツ・ベルリンのウンター・デン・リンデンにある追悼所。建造物自体はプロイセン時代の1818年に衛兵所として建てられたものだが、東西ドイツ統一後の1993年に閣議決定によって国立中央戦没者追悼所となった。ナチス時代は戦没兵士追悼所として、また戦後東ドイツ施政下ではファシズムと軍国主義の犠牲者の碑とされていた。

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ボン北墓地追悼所

旧西ドイツ時代の追悼施設。追悼対象は2度の大戦におけるドイツ人戦没兵士で、約2000の墓がある。ノイエ・ヴァッヘが国立の追悼所として指定されるまでの間、海外から訪れる各国首脳などはこの場所を訪れ、慰霊を行った。

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ビットブルク墓地参拝問題

1985年レーガン大統領訪独の際、ルクセンブルクとの国境に近いビットブルク墓地(コルメス丘顕彰墓地)を公式訪問、戦没者慰霊を行った。第2次大戦終結40周年という節目における「ドイツとの和解」といった意味があったが、この墓地には第1次、第2次大戦のドイツ軍戦没兵士だけでなく、ナチ親衛隊(SS)も埋葬されていることから欧米で批判が起き、問題視されていた。献花式の後、レーガンは和解とホロコーストの忘却につながるものではないことを強調するの演説を行った。

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ドイツの宗教

ドイツは政教分離方針を採用しておらず、ドイツ基本法第7条で宗教教育に関して規定している。宗教団体の教義に従い、カトリック教会およびプロテスタント教会の指導のもとで宗教教育がなされている。また他の選択肢として倫理の教科も認められている。

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祖国の祭壇(イタリア)

第8代サルディーニャ国王にして初代イタリア国王、ビットリオ・エマヌエレ2世。彼を記念して建造されたローマのビットリオ・エマヌエレ2世記念堂に「祖国の祭壇」と呼ばれるものがある。第1次世界大戦の戦没者を悼むために祭壇が造られ、無名戦士の棺が祭壇部分に埋葬された。現在は国防省の管理下。

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ローマ法王  Pope

本誌2003年版収録。以下、

全カトリック(→別項)教会の最高位の聖職、かつバチカン市国の元首。ローマの司教として、使徒の頭ペテロの後継者でありキリストの歴史的代理者であるとされる。原語は、「父」を意味するが、1073年、グレゴリウス7世がローマ司教の特称であるべきことの宣言を行った。現在の法王は1978年に選ばれたポーランド生まれのヨハネ・パウロ2世である。ヨハネ・パウロ2世は近年、東欧、中南米をはじめ積極的な宣教活動を行い、他宗教との宥和政策を進めている。日本カトリック教会の公称では教皇という。

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