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戦没者はどう慰められているかの用語集
 

連合国側はどう悼むのか(アメリカ)

アーリントン墓地  Arlington National Cemetery

アメリカでは毎年5月の戦没将兵追悼記念日に戦没者追悼式が行われ、大統領はアーリントン国立墓地にある無名戦士の墓に献花を行う。2度の大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争の戦死者が葬られており、陸軍によって24時間体制で管理されている。J.F.ケネディもここに眠っている。日本の要人としては2001(平成13)年に田中眞紀子外相、小泉首相が同墓地を訪れ、献花している。

ちなみにこのアーリントン墓地はバージニア州にあるが、アーリントン競馬場(ここで武豊騎手が海外初勝利を挙げた)はイリノイ州・アーリントンハイツに、ザ・ボールパーク・イン・アーリントン(大リーグ・レンジャースの本拠地)はテキサス州のアーリントンにある。ややこしいので注意が必要。

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戦没者墓地

アメリカには退役軍人省、または内務省の管轄する国立墓地は100以上存在する。そのほか海外にも24の墓地があり(フランス11、ベルギー3、イギリス・イタリア各2、オランダ・ルクセンブルグ・パナマ・フィリピン・メキシコ・チュニジア各1)、戦没者追悼記念日にはそれぞれの地において追悼式典が行われる。

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戦没将兵記念日/メモリアル・デー

デコレーション・デーとも。アメリカでは毎年5月の最終月曜日が、この戦没将兵追悼記念日にあたる。ニューヨーク州ウオータールー村の薬剤師ヘンリー・ウェレスの提唱により、南北戦争の戦死者を追悼したのが始まりとされる。

1868年5月5日にローガン将軍によりデコレーション・デーが公式に宣言され、以後5月30日に追悼式が行われるようになった。82年にはメモリアル・デーと改められ、1971年には5月の最終月曜日をメモリアル・デーとすることが決定された。

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キリスト教  Christianity

本誌2003年版収録。以下、

イエスを神の子キリストと信ずる宗教。西暦紀元直後のパレスチナに、預言者たちが待望したメシア(救世主)が出現したと信ずる集団が登場した。メシアとして崇拝されたのは、人々の病を治し、当時のユダヤ教のあり方を厳しく批判した若き宗教家イエスだった。この初期キリスト教の中心信仰は、はりつけによって死んだ後、復活した神の子キリストによる救いということであった。キリスト教の教えは、このように救いをもたらすものであるために、福音(悦ばしき知らせ)とよばれる。

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ピューリタン(清教徒)  Puritan

本誌2003年版収録。以下、

16世紀後半、英国国教会の宗教的圧迫に反対し、また同時に、社会の腐敗堕落を嘆いて、プロテスタントの精神を徹底させようとした人々をいう。教会や社会を清浄にしようと図ったところから、この名がある。1602年に独立教会を創立したが、英国国教会から迫害されたので、信教の自由を求め、一部はオランダに逃げ、メイフラワー号に乗ってアメリカ大陸に渡った。ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)とよばれる人たちである。彼らはあらゆる辛苦に耐え、開拓を行い、アメリカ合衆国建国の基礎をつくった。感謝祭(Thanksgiving Day)は、この人々の労働をたたえることに始まったといわれる。

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ユダヤ教  Judaism

本誌2003年版収録。以下、

広義では、古代から現在に至るまでのユダヤ民族(イスラエル民族)の宗教の総称。天地の創造者である唯一神アドナイ「わが主」を奉じて、この神が、ユダヤ民族を自らの選民にしたと信ずる。その聖典は律法(キリスト教の旧約聖書と重複)や、タルムード(口伝=注解の集成)などを含み、その厳格な遵守を要求する。ユダヤ民族は、西暦70年のエルサレム神殿の破壊を最後に、国を失って世界各地に四散したが、ラビとよぶ律法の教師たちに指導され、シナゴーグ(会堂)を中心にして、現在までその伝統を保ってきた。全世界に約1800万人の信者がいる。

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宗教右翼  religious right

本誌2003年版収録。以下、

現在のアメリカの保守主義的潮流を支える主要な政治勢力のひとつ。聖書を神の言葉そのものとして信じるキリスト教原理主義者(ファンダメンタリスト)を中心とした、キリスト教的諸価値の実現を政治に求めるキリスト教徒たちをさす。1989年に設立された「クリスチャン・コアリション」は、宗教右翼の政治組織であり、その草の根活動は、共和党躍進を支える原動力のひとつになった。その年来の主張は、「公立学校でのお祈りの復活」「中絶・同性愛反対」「家族の価値の復権」「銃規制反対」などで、共和党右派の議員によって代弁されてきた。98年の中間選挙で、共和党が上下両院で多数を維持できるか否かは、共和党が宗教右翼との友好関係を維持しうるか否かにかかっていたといえよう。

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新保守主義/ネオコン  neo-conservatism

本誌1986年版収録。以下抜粋、

1970年代の後半以降、アメリカにおいて支配的になった政治潮流。・・・保守主義を台頭させた主な要因は、60年代に著しく進行した平等化に対する反動であろう。急激な平等化の結果は、家族の解体、犯罪の増加、教育の混乱などをもたらした。こうした現象に眉をひそめる人々は、伝統的価値の尊重される社会を求めて、保守主義的主張に共鳴することになったといってよい。・・・アメリカの新保守主義の特徴としては、(1)自由放任主義、(2)キリスト教との密接な関係、があげられよう。・・・アメリカの保守主義は徹頭徹尾自由主義的であり、政府の干渉をできるだけ排して自由競争や自由市場の原則を貫くことに熱心である。具体的には減税、政府規模の縮小、福祉の見直し、統制撤廃などが要求されることになる。第2のキリスト教との関連は、平等化の進行によって節度を失いつつある社会に、伝統的な価値や規律を復活させるため、キリスト教への信仰を強めようとする形で現れる。特にエバンジェリカル派やキリスト教原理主義者(ファンダメンタリスト)が大きな役割を果たしている。いわゆるネオコンが系譜として新保守主義につながることはいうまでもない。(タイトルの「ネオコン」および最後の一文は編集部追加)

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