月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
こんな時代もありましたの用語集
 

情報化時代と言われてはや30年

情報禍時代

1973年版本誌収録。以下、

皮肉な人たちは現代を「情報化時代」ではなく「情報禍時代」と名づけている。情報の量がむやみにふえるだけでなく、情報の質に対するコントロールがほとんどされない。エロも左翼思想も何もかもすべて野放しの状態で大量に放出されているのが現代で、これはもはや「情報化」ではなく「情報禍」だというのである。したがって「文化」も、いまや「文禍」になりつつあるという人も出てくるわけだ。

情報の氾濫が工業後社会(ポスト・インダストリアル・ソサエティー)の本質だとするなら、質量ともにノーコントロールの情報がわれわれをおおうものと覚悟しておいたほうがよい。その覚悟のうえに立ってわれわれは情報化社会を情報禍社会にしない方法を講ずるべきだと思うのである。

いちばん簡単なのは情報のない地域に逃避することであるが、これは現代の日本では不可能である。こんな時代には情報を役に立てる方法を考えるほかはない。現代人は情報を拒否できない世界に生きているのである。ということになると残された道はただ1つ、情報を選択することだけだ。自分にとって役立つ情報を選んで残りを捨てる行為しかほかにしようがない。そのためには情報に対する抵抗力を作っておく必要がある。

情報の量に迷わされたり、拒否反応を起こす体質では情報化時代は乗り切れないのである。しかし要は情報禍に立ち向かい、自分を情報化することである。現代を情報禍と考える人は敗北者になる。悠然と立ち向かって情報に飲まれず飲み込む人間になるべきだ。

ページの先頭へ 戻る

テクネトロニック時代/技術電子時代

1973年版本誌収録。以下、

テクノロジー(技術)とエレクトロニクス(電子工学)が、社会構造や習慣、人間の価値観などに大きな影響を及ぼす時代のことでビグネフ・ブレジンスキー米コロンビア大教授が造った新しい言葉。これまで、アメリカをはじめとする先進工業社会では、技術は生産能力の向上を主目的としているが、コンピュータを中心とした技術が、生産性向上だけでなくあらゆる面に大きな影響力を持つ新しい脱工業社会へはいりつつある。プレジンスキー教授は、この脱工業社会の時代をテクネトロニック時代と呼ぶよう提唱している。

ページの先頭へ 戻る

ワープロ1人1台時代

1985年版本誌収録。以下、

ワードプロセッサーはますます普及し、昭和59年度は出荷が17万代を越す勢い。最も多くの使用者が女性と中高年だという。女性は持前の指先のしなやかさを生かした使いかた。中高年では著述家や書くことの好きな方に愛好者が多い。ワープロの効用が次第に認められ、一方で、携帯型ワープロの普及が始まったので、いよいよ1人1台時代が来るかと想像する向きもある。だが、まず文字志向が高まるかどうかが最大の問題である。ワープロが家庭にテレビのように入れば、まさに文房具である。

ページの先頭へ 戻る

情報本位時代

1986年版収録。以下、

人類社会は、長い間「金本位制度」に象徴される“もの”を価値観の尺度とした時代に生きてきたが、最近はそのスタンダードが“情報”にシフトし、「情報本位時代」に入ってきたのではないかという考え方。要するに、これからは“もの”ではなく、“情報”の量と質が勝負を決するというわけである。

ページの先頭へ 戻る

メガビット時代

1986年版収録。以下、

超LSIの商品として、64kbDRAMの時代はたちまち通り越し、間もなく256kb時代に入ると誰もが思い、とくに日米半導体摩擦のいわれる中で、すでに日本の主な半導体企業はほぼ準備が終わっている、というのが通念になっていた。そして、ここしばらくは256kbの時代が続いて、5〜6年先に、その4倍の1mbの時代が来ると思われていた。しかし、集積回路のプロセス技術、設計技術などの進歩に伴って、もっと早く1mbに進むことが可能なことが見えてきた。すでに、主な半導体企業では、その試作開発を終えて、サンプル出荷に入れる状況にある。

ページの先頭へ 戻る

「意識通信」の時代

1994年版本誌収録。以下、

国際日本文化研究センターの森岡正博助手が現代の電子メディアから生じた新しいコミニュケーションをとらえて「意識通信」の時代と命名した。例えば電話は遠隔地への情報伝達の道具から話を楽しむものとして使われるようになった。とくに若い世代の電話に対する意識は変わってきた。総理府の調査では電話使用の目的は、30代以上では通信・連絡が第1位だが、20代ではおしゃべりに使うのが一位の65%となっている。パソコン通信にしても、情報を得る目的から電子掲示板的利用、画面を通した会話に使われる傾向が強くなってきた。森岡氏によれば、これまでは大量の情報を早く伝えることに意義があり、こうした社会が情報化社会といわれてきたが、電子メディアの時代に育った若者は、情報の正確な伝達より、情報ネットワークがつくり出す「架空の世界」の中で他人と触れ合うこと自体を求めるようになってきたという。「新たな情報社会とは電子メディアが生み出す架空世界の中で、人々がさまざまなタイプの人間関係を増幅させてゆくような社会」と指摘し、重要視されるのは「情報伝達の正確さや効率性ではなく、メッセージを他者と交わせてゆくときの、その〈味わい〉や〈濃密さ〉であろう」と位置づけている。

ページの先頭へ 戻る

パソコン新時代

1997年版本誌収録。以下、

パソコンの利用台数は、年々増加しているが、最近は飛躍的に伸びている。日本電子工業振興協会の調査によると、1995(平成7)年度の国内と輸出向けのパソコン出荷台数は、過去最高の691万9000台(前年度比55%増)となった。プリンターやデスクなどパソコン関連の売り上げも35%増加、これらパソコン産業は2兆2000億円を突破、パソコン普及によるネットワーク社会は、新しい時代を迎えたといえる。

パソコンの普及は、ウィンドウズ95など操作しやすいソフトが登場したこと、インターネットへの関心が強まったこと、価格が下がったこと、パソコン操作にアニメ・キャラクターやカラオケソフトを入れたり、ソフト機能をふやしたことなどがあげられる。国内向けは70%増の570万台、輸出向けは7%増の122万台で、パソコン本体の出荷額は、43%増加の1兆6299億円だった。96年度の出荷予定台数は867万台。アメリカでは、機能別に簡素化した500ドルパソコンが注目をあつめたが、日本でも日本電算機が5万円パソコンを発売、話題となった。インターネットの利用に機能をしぼったボタン操作だけの簡単な機器で、テレビに接続すればインターネットのホームページ(情報提供ページ)の閲覧のほか文書作成、電子メールの受発信もできる。アメリカの500ドルパソコン競争に参入した形で、日本もいよいよ機能別利用時代を迎えたといえる。音声や手ぶりで操作できるものや外国語の翻訳もできるパソコンも開発中で、簡単操作の機器をめぐり、メーカーは加熱レースを展開している。ユーザー側の対応もさまざまだ。全戸にパソコンを設置してインターネットにもアクセスできるパソコン・マンションも福岡市に建設され、発売された。パソコン専用のスペースをつくり、最新型パソコンを置き、ISDN回線が設けられ、インターネット、パソコン通信、オンラインショッピングもできるマルチメディア型マンションで、3LDKと4LDKタイプがある。富山県山田村では458全世帯にパソコンを備え、電子メールで回覧板を回す全村ネットワーク化を目ざしている。こうしたパソコンの流行にともなって、さまざまな問題もおきている。パソコン犯罪がふえた点である。とくにソフトの違法コピーが激増、たとえば愛知県警が摘発した例では、17都府県で海賊版フロッピーディスク六万枚が押収されている。摘発されたほとんどが会社員、主婦、学生らで、アルバイト感覚で製造、販売した違法コピーは17億円に相当するという。コンピュータソフトは著作権法で保護され、複製や無許可のレンタルは禁止されている。しかし、おなじものが瞬時にコピーできるため海賊版は跡を断たず、アメリカのソフトウェア著作権保護団体の調べでは、日本国内のソフトのうち7割が違法ソフトで、メーカーがこうむる年間損害額は1000億円以上という。1日中パソコンに向かっているネット中毒現象もアメリカで問題になり、検索・電話料金の増加による経済破綻も指摘されている。

ページの先頭へ 戻る

IT革命

2001年版本誌収録。以下、

情報技術(IT)分野での革命が、世界経済の新たな成長を担うとともに、国家・社会・企業等の組織を変えていく現象。1990年代後半に、アメリカでのパソコンの世帯普及率は5割、インターネット接続率は3割(日本は各2割、15%)に達し、経済成長の3分の1はIT関連産業が担っている。先進地域での経済拡大はIT産業によるところが大きい。コンピュータの高性能化、低価格化と通信の大容量化、高速化を2つの柱とするIT革命はインターネット利用を急速に普及させ、電子商取引の比重を大きく高め、企業間および企業−消費者間の直接取引を増やしている。IT革命の結果、企業間競争が激しくなり、新規ベンチャー企業の参入が容易になり、交通・通信システムや在宅勤務など勤務形態も変わりつつある。世界的な情報波及により民主化は進むが、その反面、IT革命の波に乗る少数者とこれに乗り遅れる多数者間の情報格差(デジタル・デバイド)は拡大する。IT革命のもたらす光と影については九州・沖縄サミットでも注目され、「沖縄憲章」はこの問題を扱っている。

ページの先頭へ 戻る

GHz(ギガヘルツ)の時代

2001年版本誌収録。以下、

CPUは、クロック周波数に合わせて一定のテンポで計算などの作業を行っている。従来、クロック周波数はMHz(メガヘルツ)という単位で表されてきた。これは100万ヘルツという意味で、例えば800メガヘルツなら1秒間に8億回のタイミングをとっている。クロック周波数は、パソコン高性能化の目安となるため、次々と引き上げられてきた。そして2000(平成12)年には、ついにAMD社とインテル社から1000メガヘルツ=1ギガヘルツ(GHz ギガヘルツ)のCPUが発売された。ギガはメガの1000倍で、10億という意味である。最近では、クロック周波数が1.4GHzとか2GHzといった表記を目にする機会も増えてきた。

ページの先頭へ 戻る

プラズマ(PDP)・液晶などTV薄型時代へ

2003年版本誌収録。以下、

ブラウン管がしだいに消え、薄型テレビ時代に交代しつつある。1897年ドイツの物理学者K・F・ブラウンが発明した電子画像表示装置ブラウン管は、1世紀間隆盛を極め、テレビ受像機の象徴的存在だったが、PDP(プラズマ・ディスプレイ・パネル plasma display panel)や液晶などの薄型テレビに歴史的交代が近づいた。

PDPはアメリカ生まれの日本育ち。アメリカで諦めたプラズマ開発を富士通とNHKが続行、多様な画面サイズの商品を発売、1インチ1万円という戦略的な価格設定から普及しだした。特殊ガスに電圧をかけたときに生じる放電現象を利用して表示する方式であり、国内市場ではメーカー各社がさまざまな画面サイズのテレビ受像機を発売している。

現在まで主に業務用の高価格商品のみだったが、家庭用の32型や37型の普及が進み、国内ばかりか、ヨーロッパ、香港、シンガポールに続いて北米、中国市場にも投入、PDPの世界需要が見込まれている。だが、PDPも液晶もブラウン管のような長寿は望めない。それは、早くも折りたためる有機ELやカーボンナノによる薄く柔軟な「ナノテク・ディスプレイ」が控えているからだ。

ページの先頭へ 戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS