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シーズン到来!!プロスポーツのキーパーソンからキーワード
 

サッカーアテネ五輪代表

谷間の世代

現在のA代表の中心メンバーで、欧州を中心に世界で活躍しているかつてのシドニー代表組が「黄金世代(中田英、稲本、中村、高原など)」と呼ばれたのに対し、アテネ代表組は世界大会での実績不足などから「谷間の世代」と呼ばれる。しかしA代表にも招集された石川(東京FC)、松井(京都)、大久保(C大阪)らの評価は高く、「谷間」のレッテル貼りには抵抗もある。

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浦和レッドダイヤモンズ(浦和レッズ)

1951年創立、三菱自動車を親会社とするJチーム。本拠地はさいたま市。「Jのお荷物クラブ」と呼ばれた時期もある浦和レッズだが、2003年にはナビスコカップを制して初タイトルを獲得するなど、最近の躍進は著しいものがある。アテネ五輪代表にも最多の4人を送り込んでいる(田中達也・鈴木啓太・山瀬功治・田中マルクス闘莉王)。

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国見高校

1949年長崎県立島原高等学枚定時制神代分校として開校(神代中学校併置)。1967年島原高校より独立、国見高校として発足。島原半島の最北に位置し、雲仙、有明海などの自然に恵まれた国見はサッカーの町。街灯までサッカーボールの形をしているほど。高校サッカーの強豪校として有名で、アテネ代表にも平山相太(04年卒・筑波大)、大久保嘉人(01年卒・C大阪)、徳永悠平(02年卒・早大)らがいる。

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ウィルス性腸炎

五輪最終予選のUAEラウンドでは大半の選手が腹痛や下痢などの症状に悩まされ、ウィルス性腸炎が疑われた。そんな状況の中、日本代表は2勝1分けの好成績を残し日本ラウンドへ有利な状況を作り上げた。UAE戦後、常日頃冷静で感情をあまり表に出さないことで知られる山本昌邦監督は選手の頑張りに思わず涙した。

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山本昌邦

1958年4月4日生まれ。静岡県沼津市出身。日大三島高−国士舘−ヤマハ。ユース代表・日本代表などで活躍。引退後はユース世代の代表コーチ、監督を歴任。ジュビロ磐田のヘッドコーチを経て、トルシエジャパンではコーチとして選手とのパイプ役に。トルシエ成功の陰にあったのはダバディの補佐だけではなく、山本の目立たぬ労があったためともっぱら。03年1月1日より五輪代表監督専任。

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帰化選手

DFの要として活躍しながら、最終予選日本ラウンド対バーレーン戦で不運にも負傷退場した闘莉王(トゥーリオ・浦和)。本名(日本名)はマルクス闘莉王ユウジムルザニ田中。1981年4月24日、ブラジル・サンパウロ郊外パルミイラ・ド・エステ生まれ。16歳で来日、千葉・渋谷幕張高卒。祖父の出身地である広島へ入団。水戸へのレンタルを経て浦和へ。サッカー界では珍しくない帰化選手、これまでにもネルソン吉村に始まってジョージ与那城、宮澤ミッシェル、ラモス瑠偉、呂比須ワグナー、三都主アレサンドロらがいる。

ちなみに元日本代表監督トルシエは現在カタール代表監督として2006年のワールドカップを目指しているが、縁もゆかりもないブラジル人3選手を帰化させようとして物議を醸した。お騒がせキャラは相変わらずのようで・・・。

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