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復活・リメイクのキーパーソンからキーワード
 

名門復活

水泳や体操以外にも、「名門復活」の現象は起こっている。「かつての栄光」を再び手に入れる喜び。それは当事者たちにとっても、周囲の人間たちにとっても、非常に感動的なドラマとなる。

星野仙一(ほしのせんいち)

1947年生まれ。岡山県出身。明治大学卒業後、ドラフト1位で中日に入団。ドラフト時に巨人サイドが約束をたがえて指名せず、そのために現役時代から、巨人戦には特別な闘志を燃やしていた(現役時代の巨人戦通算対戦成績は35勝31敗)。1974年には沢村賞受賞。87年から中日監督として、チームを2度のリーグ優勝に導く。2001年12月に阪神タイガースの監督就任が決定、2003年9月、同球団は18年ぶりのリーグ優勝に輝いた。2004年以降は監督を勇退。

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ホンダF1

ホンダは1964年に初めてF1に参加。68年までに2勝を上げた。83年に復帰後はウィリアムズ、ロータス、マクラーレン、ティレルと組み86〜91年の6年連続王座を獲得、名実ともに最強エンジンとなった。99年、オールホンダでの復帰を狙ったが、00年、BARへのエンジン供給というかたちに落ち着いた。01年からジョーダンにもエンジンを供給。ふるわない時期が続いたが、2003年3月、メルボルンでのチャンピオンシップ予選でトップ5に2台を送り込み、名門復活と騒がれた。

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清宮克幸(きよみやかつゆき)

1967年、大阪生まれ。高校時代からラグビーをはじめ、高校日本代表に選出。1986年、早稲田大学入学。90年には主将として学生日本一に。卒業後、サントリーに入社するが、2001年引退し、早稲田大学ラグビー蹴球部監督に就任。同年12月、関東大学対抗戦Aで、11年ぶりの優勝。03年1月の全国大学選手権では、13年ぶりの優勝を果たした。

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上田昭夫(うえだあきお)

1952年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。東京海上火災を経てトヨタ自動車に入社。78年ラグビー日本一。84年、トヨタ在籍のまま慶応ラグビー部監督に就任。同年、約30年ぶりに関東ラグビー全勝優勝を果たす。86年には日本選手権優勝、日本一に。87年フジテレビ入社。スポーツキャスターを経て、94年監督として復帰。

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カルロス・ゴーン

1954年、ブラジル生まれ。国籍はフランスとブラジル。フランス最高峰の理工系学府エコール・ポリテクニーク(国立理工科学校)卒業後、エコール・デ・ミーヌ(国立鉱山学校)に進学。ミシュランを経て、ルノーに入社。1999年、ルノーと日産の資本提携により、日産自動車のCOO(最高執行責任者)に就任(現在、社長兼CEO=最高経営責任者)。徹底的な経費削減、人員整理などを盛り込んだ日産リバイバルプラン(NRP)によって危機にあった日産の業績を回復させた(→◆ゴーン・ショック)。

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角川歴彦(かどかわつぐひこ)

1943年生、東京出身。早稲田大学第一政治経済学部卒。1966年角川書店入社。専務取締役、副社長を経て、93年、代表取締役社長に。自ら生み出した雑誌「ザ・テレビジョン」「Tokyo Walker」のヒットなどで、前社長である兄・春樹の全盛期をしのぐ黄金時代を現出。角川グループを、メディアワークスやアスミック・エースエンタテインメントなどを擁する一大コングロマリットに成長させた。2003年4月、角川書店は「角川ホールディングス」に移行し、角川は社長兼CEOに就任。

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日比谷高校

都立の名門高校。1878年に東京府立第一中学校として創立。卒業生には夏目漱石や横山大観、利根川進などがいる。東京大学合格者数では64年の191人を最高に全国トップが続いたが、71年からベスト10転落。学校間の学力格差解消を狙った「学校群」と呼ばれる入試制度が原因といわれる。1998年に就任した河上一雄校長(現在は退任)が名門復活を目指して2001年、独自の入試問題を作成するなどの改革を実行。学区制の撤廃なども相まって、名門復活がなるかどうか注目されている。

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