月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
中心と周縁、絶対と相対などなどについてあらためて考える用語集
 

非中心化の潮流

非中心化

本誌1974年版収録

マスコミに登場した新語。意味の主要点は、従来の西欧思考を中軸とした近代合理主義が破綻した現代では、ヨーロッパ文化を「中心視」しない、すべきでないという「非中心化」の文化思想が世界の大勢を制しつつあるのではないか、という主張にある。動機の役割を果した思想家としてレヴィ=ストロースが挙げられ、また「非中心化」という表現を最初に使用した哲学者としてフランスのミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズなども精力的な支持者だと評価されている。つまり、人類の諸文化に価値的な優劣をつけず、その各々の独自性を差異のうちに保持し共存させ、もって文化全体の向上を志向せよという「相対化」理論の一変種と見ればよい。哲学思想としてみればヨーロッパ合理主義、とくに資本の利潤合理主義による画一的世界制覇にたいする抵抗であるから、一応「反合理主義」と刻印できなくはない。が、その本質は、あくまでブルジョア「合理性」の制覇への反発であり、決して「反理性」主義ではない。この主張が、マルクス主義とはむしろ友好的でありうる理由である。が、その差異点もまた明瞭だ。第二次世界大戦後、地球大の規模で提起され始めた黒人問題、南北問題を、マルクス主義は、原則として民族自決や階級的連帯という政治的視角から処理しようとするにたいして、この「非中心化」思想の提唱者たちは、同じ問題にたいして専ら民族文化の多様性と相対的独自性の承認という文化的視角からアプローチしようとする。マルクス主義の亜流において顕著な下部構造の偏重傾向にたいする一種の反省として受取るべきであろう。文化の健全な発展は、上下両構造の調和的な相関関係以外に培養基をもたないからである。また「非中心化」は世界文化としてのヨーロッパ文化へ抵抗する姿で、絶対性の溶解作用を進めているものである。

ページの先頭へ 戻る

脱中心化

本誌2003年版収録

ミシェル・フーコーの用語で、神・理性・人間といった中心におかれてきたものの価値を否定すること。これはフーコーが「人間」という概念の死を宣告したこと、長いあいだ抑圧されてきた狂気・非理性というものに意味を認めたことと関係している。また政治・社会的な面では中央集権という中心的なものの拒否と関連する。脱構築・リゾームとも密接につながっている。

ページの先頭へ 戻る

中心と周縁

本誌1987年版収録

元来は民族学の概念で、なんらかの共同体の中心の部分が固定化し安定しているとき、周縁の部分で異人(ストレンジャー)の侵入といった、秩序を混乱させるできごとが生じたばあい、それによって逆にその共同体の全体が活性化されていく。中心と周縁は、このようにもともとは部分的・周縁的な役割しか持えなかったものが、全体の構造の変化をもたらすという状況を示すために使われる用語である。

ページの先頭へ 戻る

周辺人(限界人;境界人)  marginal man

本誌1972年版収録

アメリカにおける黒人、移民、二世は外国からみればアメリカ人であるが、内部では本来のアメリカ人集団と異なったそれぞれの集団に所属し、異なった文化様式、生活様式、価値基準、または言語をもっている。かかる2つの相互に異質的な2集団に共に所属する人々を周辺人という。20歳前後の青年が、大人でもなく子供でもないとの意味で周辺人と呼ばれるのは、やや概念の拡張であるが、周辺人には特殊な不満、不安、劣等感があり、同時にそれを裏がえしたような誇張、奇矯、強がり、自己顕示があり、こうした周辺人的特性と傾向は青年期にも指摘されうるといわれる。

ページの先頭へ 戻る

多中心時代

本誌1966年版収録

第2次大戦後西側陣営ではアメリカの指導権が核兵器の独占とドルの威力を背景に確立され、東側陣営ではソ連を中心に共産圏の一枚岩的団結が誇示された。だが核兵器の独占が破れ、ドルの威力も昔日の比でなくなった今日、西側陣営ではフランスを先頭に各国が、軍事、経済、政治各部面で独自の道を進み、東側陣営では中ソ論争、東ヨーロッパの自主性回復などによって、ソ連が権威をもって共産世界を代表しうる時代は去った。このようにアメリカとソ連を東西の両代表とする両極化の状態から、世界にはいくつもの中心ができるようになったのが1963年ころからの変化で、これを多中心時代と名づけ、この傾向を多極化という。

ページの先頭へ 戻る

多数中心主義  Policentrism

本誌1957年版収録

トリアッチの論文のなかでいいだされたことで、これまでの国際労働運動は主としてソ連の共産党、わけてもスターリンを中心にして指導されていたが、こんどは各国ができるだけ自主的に運動をやり、運動の中心をソ連にかぎるという体制を改めようという主張。

ページの先頭へ 戻る

ポリセントリズム  polycentrism

本誌1990年版収録

「多極主義」ともいう。第2次世界大戦後、国際共産主義運動が、ソ連を中心に東欧諸国および中国などを合めて、一枚岩的団結を維持していたのに対し、とくに、1960年代に入って、各国の共産党がそれぞれに自主的に運動を展開するようになった傾向をさす。その基礎には、ソ連の国力の他の社会主義諸国に対する圧倒的優越が、東欧諸国や中国の国力の向上により是正されたこと、ソ連邦における非スターリン化と諸国の民族的自覚が発展したことなどがある。70年代にはいり、西欧諸国共産党のモスクワ離れが、目立つようになる。

ページの先頭へ 戻る

「民主集中制」の放棄

本誌1991年版収録

1989年3月、イタリア共産党の党大会が開かれたが、党中央の強い指導力の源となっている「民主集中制」の放棄に踏み切り、党内民主化を進める一方、「市民的権利の重視」を前面に打ち出し、西欧社会民主主義路線への傾斜をいっそう鮮明にした。

ページの先頭へ 戻る

過度経済力集中排除・過度経済力集中排除法(1951)

本誌1951年版収録

経済民主化政策の一環として、自由競争を促進するために行われる。独占企業の分割で、独占禁止法が、独占禁止の予防的な役割を果すのに反し、集中排除は既存の独占企業を解体することによって、独占禁止の地ならし的役割を果すものである。過度経済力集中排除法は略称集中排除法ともいい、昭和22(1947)年12月連合軍の日本経済民主化政策の一環として制定された。これに基き、企業連合、企業合同、企業結合、会社、組合、個人企業其の他形態のいかんを問わずおよそ営利を目的とする私企業で独占的影響力を持ち、又はもつ可能性あるものはすべて分割されることになり、325社が該当するものとして指定されたが、翌23年9月にいたって、総司令部より緩和の指示があり、公共の利益に反せず且つ競争の制限を行わなかった事実のあるものは解除されることになった。

ページの先頭へ 戻る

過度経済力集中排除法(集排法)(1971)

本誌1971年版収録

昭和22(1947)年、占領軍の命令で制定された法律で、財閥解体、独占禁止のため、戦時を通じて適度に膨張した企業の分割と再編成を実施しようとしたもの。特殊会社整理委員会がその担当機関。23年以降同委員会によって指定を受けた企業は三百数十社にのぼったが、日本経済の細分化と弱体化を招くという理由でしだいに緩和され、指定解除が行なわれて、けっきょく再編成の指令を受けたのは、日本製鉄の八幡製鉄と富士製鉄(当時は北日本製鉄)ヘの分割、王子製紙と三菱重工業の各3社分割など、28社にとどまった。また銀行はすべて指定をまぬがれたので、初めの目標から見ればきわめて微温的な措置に終わり、銀行資本中心の大企業の復活がみられるようになった。

ページの先頭へ 戻る

分散システム

本誌2000年版収録

 複数の独立したシステムで全体システムを構成すること。ネットワーク、コンピュータのコスト・パフォーマンスの向上、開放型システム環境の進展で、OAシステムは分散方式によることが容易になった。個別システム相互の連携により、互いに協調し全体としても統合が可能であり、しかも個別システムは自律的な運営が可能となり、異種領域との接触が新しい状況を生む。最近の携帯型情報端末の普及は、分散化をさらに進展させ、新しい経営方式を生む。分散化した単位がネットワーキングにより全体としての統一を実現することが可能で、これを協調分散システムとする。

ページの先頭へ 戻る

分散と統合  decentralization and integration

本誌1990年版収録

これから始まる90年代、そしてそれに連なる21世紀へのメガ・トレンドは、あらゆる意味において、疑いもなく「より人間的な社会」(モア・ヒューメイン・ソサエティ)をめざすディセントラライゼーション(非中央集権化)の時代、すなわち”分散の時代”なのである。一時、息をひそめていた「地方の時代」も「ホコ天の復権」同様に再び勢いづくであろうし、会社の経営形態ひとつにしても”分社”化の傾向がますます強まり、SBU(スモール・ビジネス・ユニット)と呼ばれるイントラプルヌーリアル(大企業の中における小集団の競合的併立)な活動がますますさかんになってくるに違いない。そして、シリコン・バレーの没落とともに「もはや役割は終わった」とされていた、ベンチヤー・ビジネスも投資の増加とともに、ふたたび新しい活力をみせはじめてくるであろう。いまや、かつてのアメリカよりももっと活発な形でアントルプルヌールシップ(entrepreneurship=旺盛なる企業家精神)が発揮されつつある”旧大陸”(ヨーロッパ)の動向を見ていると、そのような新しい潮流がますますハッキリと実感されてくる。創業10年にして世界を制覇しつつあるイタリアの多国籍企業ベネトン社や「民間企業でも宇宙に挑戦できるはずだ」という信念のもとに自前のロケットを打ち上げてみせたフランスのアリアンスペース社など、ヨーロッパのアントルプルヌール(ベンチャー企業)の成功例を挙げれば枚挙にいとまがない。そして、そのような動きが、1993年1月1日に予定されている”欧州統合”へと収斂していることはいまや誰の目にも明らかであるが、このことは、また私たちにもう一つの明白なる事実を教えてくれる。すなわち、21世紀をめざす人類の営みは、一方で”分散”化(ディセントラライゼーション)しながら、他方で”統合”(インテグレーション)化してゆくという、アンティノミー(二律背反)の過程をたどりながら、着実に人間化の方向に突き進んでいるという事実である。分散と統合−このすぐれてホロニックな言葉が、来るべき大世紀末の人間の歴史を変える合言葉となりつつあるのだ。

ページの先頭へ 戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS