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阪神タイガースが強い、名古屋だけ好景気…ということに
―― 大阪と名古屋その他を考えるの用語集
 

大阪・名古屋むかしの失敗

名古屋五輪招致(1981)

本誌1981年版収録

名古屋市と愛知、岐阜、三重の3県は1988年の第24回オリンピックを名古屋市を中心に3県の施設で開催するため、79年から招致運動を開始した。有力な対立候補と見られたロンドンとブリュッセルが80年中に財政的な理由で辞退したので、残る競争相手はメルボルンとリオデジャネイロとなり、名古屋有利の見方が強まってきた。開催地は81年8月IOC総会で決定する。

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名古屋五輪招致(失敗・1982)

本誌1982年版収録

名古屋市と愛知、岐阜、三重の3県は1988年の第24回オリンピックを名古屋市を中心に3県の施設で開催するため、79年から招致運動を開始した。有力な対立候補と見られたメルボルンが財政的な理由で辞退したので残る競争相手はソウルだけとなっていた。81年9月、西ドイツのバーデンバーデンで開かれたIOC総会において、88年オリンピックは52票対27票の大差で韓国の首都ソウルでの開催が決まった。冬季大会はカナダのカルガリが選ばれた。

※地元の政財界を挙げて誘致運動を繰り広げ、当初、競争を優位にすすめていた名古屋であったが、国威をかけて猛烈な攻勢をかける韓国(ソウル)には勝てなかった。

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大阪オリンピック招致(1996)

本誌1996年版収録

大阪市議会は1995年3月15日、2008年に開かれる第28回オリンピック夏季大会の招致宣言を全会一致で可決した。同市議会は「21世紀初頭のオリンピックを大阪市で」との議員提案を、94年3月の市議会で採択している。2008年の第28回夏季大会の開催地に名乗り出たのは、国内外を含め大阪市が初めて。この大会の開催地は7年前の2001年の国際オリンピック委員会(IOC)の総会で決まるが、日本オリンピック委員会(JOC)への立候補届け出締め切りは96年夏となっており、もし大阪市以外に名乗り出る都市があれば、JOCは理事会で国内立候補都市を選ぶことになる。98年の第18回冬季オリンピックの開催地には、旭川、盛岡、山形、長野の4都市が名乗りをあげたが、JOCはその中から長野市を選び、同市は91年のIOC総会で開催地に選出された。

※開催地には当初、大阪のほかにパリ(フランス)、セビリア(スペイン)、イスタンブール(トルコ)、カイロ(エジプト)、トロント(カナダ)、ハバナ(キューバ)、北京、クアラルンプール(マレーシア)、バンコク(タイ)、の10都市が立候補したが、00年8月、IOCは審査の結果、パリ、イスタンブール、トロント、北京、大阪の5都市を正式立候補都市と認定。01年2月から3月にかけてIOC、IF、NOCなどからなる評価委員会が現地を視察して報告書を作成し、7月のモスクワでのIOC総会の資料とした。IOC委員による1回目の投票で大阪が落選し、2回目の投票で北京が過半数を獲得して開催都市に選ばれた。

大阪が早々に敗退していった理由は「輸送」と「財政」についての難。経済の低迷する大阪が財政的に問題となるのは至極当然であったにせよ、今回も一都市として戦った大阪は、政府主導で国をあげて攻勢をかけた北京やトロントに敗れた次第だ。

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