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阪神タイガースが強い、名古屋だけ好景気…ということに
―― 大阪と名古屋その他を考えるの用語集
 

大阪という土地柄

道頓堀

道頓堀左岸が道頓堀通。芝居小屋・映画館が立ち並ぶ繁華街。かに道楽の巨大なカニの看板、えび道楽の巨大なエビの看板、くいだおれ人形で知られる。道頓堀は巨大なグリコの電飾看板、噴水、飛び込む阪神ファン、1985年に投げ込まれたカーネル・サンダースの人形で知られる。

ちなみに道頓堀右岸は「宗右衛門町ブルース」で知られる宗右衛門町。こちらはお茶屋や待合の並ぶ粋筋の町。

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法善寺

大阪ミナミの道頓堀と千日前に区切られたエリア。庶民的な雰囲気と大阪らしい情緒がここにある。法善寺は水かけ不動のお寺。その脇を通るのが、織田作之助の小説「夫婦善哉」でも有名な法善寺横丁で、石畳の路地と両側に並ぶ小料理屋は、よく歌や芝居の舞台となっている。横丁の入り口に架かる看板の字は西が藤山寛美、東は3代目桂春団治によるもの。

2002年9月の中座(→松竹新喜劇のホームグラウンド)、03年4月の横丁飲食店と2回の火災に見舞われ、路地独特の情景は存続の危機に瀕しているが、ゆかりの関西芸人・文化人をはじめ復興をのぞむ声が強い。

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船場

大坂商人のホームグラウンド。ともすればガサツで早口の関西弁と他人の心に土足で踏み込むような押しの強さといった関西芸人に代表される大阪気質とは、正反対の洗練された商人文化があった地。「あった」という過去形であるのは、日本経済のセンターが完全に大阪から離れてしまったこと、また大阪の取り扱ってきた国産の繊維・生活雑貨等々が斜陽化したことで、船場の商業中心としての地位とそれに伴う文化が失われたからである。

とはいえ、かつては船場学校ともよばれ、ここで丁稚として徹底的な商人教育を受けた人を創業者とする今日の大企業も少なくなく(松下幸之助=松下電器、鳥井信治郎=サントリーetc.etc.)、日本の商業・産業史を語るには欠くべからざる地域である。

ほかに取扱い商品ごとの街の色分けでは、株の北浜、繊維の丼池(どぶいけ)、薬の道修(どしょう)町、機械は立売堀(いたちぼり)など名が知られる。

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大阪市大正区

沖縄ではかつて「金があれば海外へ、学問なら東京へ、貧乏で働かなければならないときは大阪へ」といわれ、大阪へ移住した者が多い。多くが市内の大正区に住む。大正区沖縄村という表現すらあって、沖縄物産店や沖縄料理店などが点在する。

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ディープ大阪

本誌1994年版収録

深い、濃い大阪。『SPA!』の造語で、天王寺区、阿倍野区、浪速区、西成区、生野区など大阪市南部を「ディープサウス」と呼ぶ。「どついたるねん」の大阪のエキスの煮つまったところ。

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