月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
世界秩序のキーパーソンからキーワード
 

シラク  Chirac Jacques,Rene

フランス大統領。元首相。1932年11月29日生まれ。パリ出身。77年3月パリ市長。86〜88年首相。81、88年と2度の大統領選で落選。94年大統領選再出馬のためRPR党首辞任。95年より現職。

ド・ゴール主義(ゴーリズム)  le gaulisme

フランスが独自路線を歩むことで国際社会での地位を確保しようとする政治的立場。この場合の“独自”とは「西側諸国に身を置きつつもアメリカ合衆国と共同歩調をとらない立場」のこと。具体的には、自国兵器による核抑止戦略など。1959年から10年間にわたってフランスの大統領を務めたシャルル・ドゴール(De Gaulle, Charles 1890−1970)の外交方針であるためこう呼ばれる。ジャック・シラク(1932年生、95年大統領就任)は、ドゴールの後継者を自任しているとされ、就任の日にもその墓参をおこなっている。

ページの先頭へ 戻る

共和国連合(RPR)

1976年12月に、シラクが共和国民主連合(UDR)を改組してつくった保守政党。58年にド・ゴール元大統領支持のため結成された「新共和国連合」を母体とし、ド・ゴール主義を伝統としてきたが、80年代以降は、自由主義的傾向を強めてきている。81年の選挙でミッテランの率いるフランス社会党に敗れ、野党となったが、その後、シラクは2度目の首相を務め(86〜88 1度目は74〜76)、95年には大統領となった。

ページの先頭へ 戻る

国立行政学院

通称ENA。フランスの高級官僚の育成機関。フランスには大学とは別に、グランゼコール(grandes écoles)という高等教育機関群があり、ENAもその一つ。屈指のエリート校であり、ジスカールデスタン、バラデュール、ジョスパンなど有力な政治家をあまた輩出している。シラクも同校の卒業生である。

ちなみに日産自動車社長カルロス・ゴーンは、エコールポリテクニーク(国立理工科学校)、エコール・デ・ミーヌ(国立鉱山学校)という2つのグランゼコールを出た超エリート。

ページの先頭へ 戻る

ジョルジュ・ポンピドー  Pompidou, Georges

1911〜1974。44年からドゴールの下に居り、62年からはドゴール大統領下の首相を連続4期つとめた。第5共和国憲法の草案作成やアルジェリア停戦交渉を担当した実務派。68年の「五月危機」に際して辞任するも、69年には大統領に選ばれる。シラクは62年、ポンピドーの秘書官に就任。ポンピドーが大統領となってからは農相・内相などを歴任。シラクの師とも呼ぶべき人物である。シラクの行動力を評して「ブルドーザー」というニックネームをつけた。

ページの先頭へ 戻る

油田

イラクは、石油に関して1125億バレルと世界第2位の確認埋蔵量を持つ(1位はサウジの2618億バレル)。フランスはフセイン政権下でトタール・フィナ・エルフ社(モータースポーツでおなじみのTotalとElfは今や合併されて同一企業。国内最大シェアの25%)が、マジュヌーン油田などの開発契約交渉にあたっていた。フセイン政権崩壊後は、こうした契約が有効とみなされるかどうかが焦点となる。

ページの先頭へ 戻る

核実験

1995年9月、シラクは南太平洋ムルロア環礁で核実験をおこなった。92年4月、前任者のミッテランによって核実験の中止が決定されて以来のこと。ドゴール主義の流れにあるシラクの側に政権が移ったことで核実験が再開されるのは当然ともいえる。フランスに根強い「核抑止」信仰は、ド・ゴールに起源があるのだから。

しかしちょうど日本に原爆が投下されてから50年という節目の年にもあたっていたため、国内外を含めた批難を浴びることとなった。とはいえ、シラクは翌年はじめまでにあと5回の実験を強行した。

ページの先頭へ 戻る

ドミニク・ドビルパン  de Villepin,Dominique

1953年生。仏外相。父は実業家(のち上院議員に当選)で世界を渡り歩いており、ドビルパンはモロッコ生まれのベネズエラ育ち。外交官としてアメリカやインドなどに赴任。27歳のときパリ市長だったシラクの目に止まり、信頼を受ける。一般には知的だが冷たい、というイメージを持たれていたが、イラク攻撃に反対する国連での演説などで注目を集め、秀麗な容姿ともあいまって人気者に。

ページの先頭へ 戻る

ムスリム

イスラム教徒のこと。フランスのムスリム人口は約500万で、その半数が仏国籍。60年代以降、旧植民地マグレブ諸国からの移民がフランスのムスリムのはじまりとされる。1998FIFAワールドカップで優勝したフランスチームの司令塔ジネディーヌ・ジダンもアルジェリア移民の子で敬虔なムスリム。「移民は、そうでない人々に比べて倍の努力をしなければならない」とはジダンの父の教えだが、じっさいフランスでは高学歴のムスリム系エリートでも差別の対象になることが多く、反動としてイスラム原理主義に傾倒する者も多い。このため同国では、対イスラム政策には細心の注意が払われている。

ページの先頭へ 戻る

フリーダム・トースト

2003年3月、米連邦下院の食堂では「フレンチトースト」と「フレンチフライ」のメニュー名が、「フリーダムトースト」と「フリーダムフライ」に改められた。武力行使反対を表明するフランスに対し、「多くの議員が持つ不快感の表明」という。民間の食堂では、それ以前にもこうした名称の変更が行われていた。

ページの先頭へ 戻る

「古い欧州」

ラムズフェルド米国防長官が、仏独を評して用いた表現。2003年1月22日の記者会見で、対イラク攻撃に反対する両国について、「あれは古い欧州だ」と軽蔑的に発言。その後、シラクとシュレーダー独首相はベルリンで非公式会談をおこなったが、その場所は1621年から営業している老舗レストランで、この発言へのあてつけとの見方もある。

ページの先頭へ 戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS