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パニックとショックの現代用語集
 

病気に関するショック・パニック

古来、世界でもっとも多いタイプのパニックがこれであるが、昨今増えているように感じられる。

エイズ・パニック症候群(AlPS)  AIDS panic syndrome

本誌1989年版収録。以下、

今のところ治療法がないエイズに自分や自分の子供がうつったのではないかとか、うつったらたいへんだとみんながあわてふためいている状態。この言葉は、アメリカで1986年3月エイズと診断された高校生の登校をめぐって賛成派(市長・教育委員会)と反対派(PTA)が法廷で争い、敗れた反対派が、自分の子供にエイズがうつってはたいへんだと登校をボイコットしたことから生まれたといわれる。しかしこの状態は、日本でも1987(昭和62)年1月に神戸在住の売春婦がエイズにかかっていると発表されたとき起こった。この発表後身に覚えがあるという不安のあまり兵庫県、あるいは神戸市のエイズ対策本部に電話で相談した人は、6方2079名、血液検査を受けた人は1週間で523名に及んだ。またこのとき東京都立墨田東病院に相談に来た人は580人、検査をうけた全員がエイズウイルスは陰性だったが、陰性だと告げても信用しなかった人が30人いた。

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エイズ・ショック

本誌1988年版収録。以下、

長野県松本市におけるフィリピン女性のエイズ禍につづいて、神戸市で国内初のエイズ患者が衝撃を捲き起した。この患者、入院4日目に死亡した。厚生省では、エイズ患者や抗体陽性者を把握するサーべイランス(監視)システムを設け、全国2000の総合病院や性病クリニックなどから報告を求めることにするという。と同時に、法的整備を急ぐことになった。方向は「患者を確認した場合医師の届出義務」と「二次感染防止の強化」に焦点をおいている。

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松本パニック

1985年11月、長野県松本市に出稼ぎで来ていたフィリピン女性がエイズ検査で陽性と判定された(と報道された)ことから起こったパニック状態。滞在期間(2カ月中)に50人ほどの客をとっていたとの情報が流れたため松本市はパニックに。

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