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国連がとめられなかったアメリカの覇権
―― 大国とは…の特集
 

大国というものは

4大国巨頭会議(1955年ジュネーブ会議)

本誌1978年版収録。以下、

1955年7月18日から23日までジュネーブのパレ・デ・ナシオンで開かれた米ソ英仏4国の頂上会談。議題は、ドイツ統一、ヨーロッパ安全保障、軍縮、東西両陣営の交流の4つで、具体的な成果はなかったにせよ、国際緊張緩和への大道を開いたものと評価された。

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中東問題4大国会議

本誌1973年版収録。以下、

中東戦争の戦後処理問題の打開をめざして、1969年4月からはじまった米、英、仏、ソの4大国国連大使会議のこと。イニシャチブをとったのはフランスで、69年1月提案、これに他の3国が同意して発足することになった。各国のアラブ・イスラエル双方との関係における国家利益がからんで、問題処理の一致はみられていない。

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大国の影響力行使

本誌1973年版収録。以下、

1972年1月の米ソ首脳会談のさい署名された基本文書(モスクワ宜言)の中で、「両国は、他の国連安保理常任理事国と同様、国際的緊張の増加を助長するような紛争または事態が起きないように、可能な限りすべてのことをおこなう特別の責任を有する」ことが確認された。ニクソンアメリカ大統領は終始「米ソ2大国の責任」論をくりかえしたが5月28日にはテレビでソ連国民向けに演説し、局地紛争防止のため大国が小国に対し影響力を行使する必要があると述べ、暗にインドシナ間題をさすものと受けとられた。

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大国の興亡

本誌1989年版収録。以下、

Rise and Fall of the Great Powers イギリス生まれの歴史学者であるポール・ケネディ(イェール大学教授)が1987年に世に問うた同名の書『大国の興亡』が世界的なベスト・セラーになったところから、さまざまな国の盛衰(ライズ・アンド・フォール)の予兆を探ろうとする動きが高まってきている。なかでも特に注目されているのは「日本の興亡」で、「いまや世界一の“経済大国”にのしあがった日本ではあるが、かつて、大英帝国やアメリカ合衆国がライズしたのちフォールしていったように、この唯一の“債権大国”も滅びの道をたどるのではないか?」と心配するむきが少なくない。ケネディ教授は、「のびきった兵站線(経済)を守るために大艦巨砲主義のビッグ・スティック政策(戦争)に頼ろうとするとき、いかなる大国も必ず“興”から“亡”への転換期を迎えることとなった」という“歴史的事実”を鋭く突きつけているが、「日本の興亡」もひとえにその一点にかかっていると言っても決して過言ではあるまい。

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大国主義

本誌1981年版収録。以下、

日本は朝鮮戦の特需で利益を得た時代と違って、エコノミック・アニマルと評される立場からも、アジア地域の経済活動には平和の条件を必要としている。だが、米・ソはその世界制覇をかけて小国に対する軍事介入をなさざるを得ない大国主義をとっている。このことはアジア地域ばかりでなく、アフリカ諸国に対しても軍事援助という点で対立し合っている。中国は、四人組追放以後、米日関係の友好関係を改善する一方で、ベトナムに対しては力の政治に出ている。中国はソ連に対しては、その大国主義を非難しているが、アジアの小国からは、大国主義の非難をうけることになっている。大国主義の背景には軍事力に依存する考えがあり主として防衛上の観点から、小国を、その影響下におこうとするもので、植民地搾取の関係とは違っており、戦後の東欧社会主義国に対するソ連の関係が大国主義の始まりである。大国が地域的に政治的支配を拡大することについて地域帝国主義がいわれる。

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戦略的国際援助

本誌1989年版収録。以下、

いまやアメリカをもしのぐ世界一の“経済大国”の座についた日本は、好むと好まざるとにかかわらず、かつてイギリスやアメリカが国際社会に対して果たしていたような責任と役割(パックス・ブリタニカ、パックス・アメリカーナ)を遂行しなければならない立場に追い込まれている。しかし、『平和憲法』のたてまえ上からも、日本がペルシャ湾の安全やパナマ運河の秩序……などを守るために直接的に「世界の警察」として出動するわけにはいかない。ところが、アメリカやヨーロッバなどの政治的指導者や知識人の中にすら、そのような日本の立場をよく理解していないものが沢山おり、「GNPの1%前後しか軍事費にまわしていないのは国際的責任を放棄したものである」というような論理で“ジャパン・バッシング(日本叩き)をあおりたてている。そこで、『ひ弱な花・日本』(Fragile Blossom Japan)という本を書いた知日派の政治学者ズビグニュー・ブレジンスキー(コロンビア大学教授)は、次のように助言している。

「グローバル・スタビリティ(地球的規模の安定)なくしていまや誰ひとりとして生きのびていけないのが、今日の地球社会のいつわらざる現状です。そのために、アメリカはGNPの6.5%もの大金を注ぎこんでインターナショナル・セキュリティ(国際的な安全保障)のために努力しているし、西ヨーロッパ諸国もCNP3.5%相当の金を使っています。ところが、ひとり日本だけはGNPの1%、つまりアメリカの10分の1ぐらいの金しか使っていない。これでは世界中が怒りだすのは当然です。少なくとも、日本はGNPの3.5%をグローバル・スタビリティのために差し出すべきです。しかし、憲法上の制約や国民感情など、難しい問題が沢山あるでしょうから、直接的な軍事支出は今のわく内の1%にとどめておいて、残りの2.5%を間接的な援助費として差し出せばよいのではないか。私は、そのような形での世界平和への貢献を“戦略的国際援助”と呼んでいるわけです」

“ポスト昭和”の最大の課題が、そのような地球規模のコミッション(介入)とオミッション(非介入)の問題をどのような形で現実的に処理するかである。

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戦争のアフガニスタン化

本誌1983年版収録。以下、

ソ連軍の損失を軽減し、かつソ連軍による殺傷によって惹起されるアフガニスタン人のソ連への反感を避けるため、ソ連軍を要所配置にとどめて、ゲリラとの直接戦闘をアフガニスタン政府軍に委ねるソ連の戦法である。アフガニスタンのタラキ政権は社会主義クーデターに成功したあと、1978年12月5日にモスクワで「ソ連・アフガニスタン友好善隣協力条約」を調印したが、79年9月に同じくソ連派のアミンによるクーデタで倒され、そのアミンがこれまたソ連派のカルマルによって倒された。アフガニスタンではカルマル、旧アミン両派の戦闘が続き、さらに一連の親ソ政権に抵抗して78年から「イスラム戦線」がゲリラ活動を展開しており、戦闘は単なる権力闘争よりもソ連に対する民族闘争の様相を呈している。

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