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“伝統”と“格式”キーパーソンからキーワード
 

英国王室

プリンス・オブ・ウェールズ

Prince of Wales。通常、英国王の男子の最年長者に与えられる称号。現在はチャールズ皇太子がその位にある。エドワード1世(位1272〜1307)が、イングランドに抵抗をつづけたウェールズ地方の民衆を懐柔するため、みずからの王子に断絶したウェールズ首長の称号を与えたのが始まりとされる。ただし、叙位式を正式に挙げたのはジョージ5世の皇太子エドワード(1894〜1972。「王冠か恋か」で有名な、のちのエドワード8世)がはじめて。

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王室の紋章

英王室の紋章に刻まれている銘は「Dieu et mon droit」(神と我が正義」の意のフランス語) 。これは獅子心王と呼ばれたリチャード1世(位1189〜1199)が1198年にジゾーアの戦いの折に選んだ合言葉である。もう一つが「Honi soit qui mal y pense」(「思い邪なる者に災いあれ」の意のフランス語)で、ガーター騎士団を創設したエドワード3世(位1327〜1377)の言葉という。

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ウィリアム王子/ヘンリー王子

Prince William Arthur Philip Louis Mountbatten-Windsor。1982年6月21日生。英王位継承順位第2位。チャールズ皇太子と故ダイアナ妃の長男。母ダイアナの方針で、王室のしきたりを破るさまざまな方法で育てられた。出産も宮殿でなく病院、育児は乳母まかせにせず、父親と同じ飛行機で旅行(2代の王位継承者は同じ飛行機に乗らないのが慣例)するなど、その例は数多い。母の悲劇的な事故死と、母親似の恵まれたルックスで国民的人気を博す。2000年イートン校卒。2001年秋スコットランドのセントアンドリューズ大に進学。

一方、父親似のヘンリー王子は、1984年9月15日生。英王位継承順位第2位。Prince 'Harry' Henry Charles Albert David Mountbatten-Windsor。複雑な家庭環境が災いし、11歳のころから酒やたばこに手をだし、14歳でアルコール中毒に。兄と同様、イートンに進学していたが、2002年夏には大麻吸引事件を起こす。チャールズ皇太子の説得で、ヘンリー王子は麻薬中毒患者のセミナーに参加、現在では薬物とは縁が切れているという。それでも英国民のあいだにはバッシングは少なく「多感な時期にお母さんを失って大変だったでしょう」と同情の声が多いという。

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エリザベス皇太后

エリザベス2世の母。1923年、のちのジョージ6世と結婚。36年、夫の即位によって王妃になった。1952年には夫の死去にともない、長女のエリザベスが即位。王妃として第2次大戦の苦難を耐え、ドイツ軍のロンドン空襲時にも敢然として疎開を拒み国民的人気を得た。ヒトラーからは「欧州で最も危険な女性」と言われたという。戦後も「クイーン・マム」として慕われ、2002年3月、101歳で死去。

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王室財政

英王室は国民からの批判によって、1992年、女王の所得税納税方針を決定。また、1997年、王室専用船「ブリタニア号」(1954年就航)を廃船とし、修理も新船建造もおこなわなかった。同船の維持費は年間1200万ポンドにものぼっていた。98年には前年の交通費支出内訳をはじめて公表、夫君フィリップ殿下などが鉄道用の高齢者パスを使って節約に努めている様子をアピールした。

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ゴシップ

gossip。チャールズ皇太子とダイアナ妃の不和はマスコミの好餌となり、1992年に刊行された「ダイアナ妃の真実」(アンドリュー・モートン著)で決定的に暴露された。この本に情報を提供していたのはダイアナ本人であったという。つづいて1995年のテレビインタビューでダイアナは乗馬教師との不倫を認める。また、彼女が最後の恋人ドディ・アルファイドと抱き合っている写真に大衆紙は25万ポンドを支払った。

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花の革命

ダイアナ元皇太子妃(1961〜1997)の死から葬儀までの1週間を称した言い方。その住まいだったケンジントン宮殿の前には130万もの花束が寄せられた。同宮殿からウェストミンスター寺院までの葬送行進(5.6km)では、100万にのぼる人々が沿道で棺を見送り、全世界で25億人もの人々がその模様をテレビで見た。当初、いきさつがいきさつなだけに冷淡な姿勢を保っていた王室だが、こうした国民感情に考慮して、その死に哀悼の意を表さざるを得なくなった。

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パブリックスクール

英国の名門私立学校の総称。起源は14世紀にさかのぼる。寄宿制中心、古典的な教養重視、スポーツを教育の大きな柱として取り入れていることなどが特徴で、英の高級官僚や社会のエリートは多くがパブリックスクールの出身。ウィリアム、ヘンリー両王子の通ったイートン校、ラグビー発祥のラグビー校、ハロー校、ウィンチェスター校等が知られる。

王室の子弟は宮殿内で家庭教師から教育を受けるのが慣例であったが、父ウィンザー公の方針によって、チャールズ皇太子は王族としてはじめてパブリックスクールに進学した。慎重に選ばれたのはスコットランドのゴードンストゥン校であったが、案の定、同級生からの“きつい洗礼”を受けてしまい、その後の皇太子の人格形成に少なからぬ影響を与えてしまった。

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royal

「王の」「王立の」の意。協会や自治都市、団体に「Royal」の語が使われている場合、王や王族、またはその後援によって設立されたことを示す。たとえば、イングランドには「Royal」の称号のついた自治都市(borough)がKensington and Chelsea など3つあり、協会や団体は、1662年にチャールズ2世によって設立されたRoyal Society(王立学士院)など多数。

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騎士道

英国精神を代表するとされる気質。中世の騎士に範をもとめ、公平で正義を重んじ、女性を尊重する態度。アーサー王は、イギリスの先住民であるケルト系の伝説的英雄で、しばしばサクソン人を撃退した。アーサー王とその宮廷に集まる「円卓の騎士」の武勇を題材とした騎士道物語は12世紀頃に成立、日本でも「燃えろアーサー」としてアニメ化(1979〜80年)されるなど、世界中で親しまれている。

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