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“伝統”と“格式”キーパーソンからキーワード
 

宮家

皇族

皇后、皇太子以下の皇室の人々。天皇は除く。天皇から数えて3世までの男子を親王、女子を内親王と呼び、以下は王、女王。皇族の範囲は王、女王までとされ、下限はない。皇族女子は天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは皇族の身分を離れるが、王がいれば宮家は継承されるので、理論上、現在の制度では宮家は増加し続けることになる。が、実際には、現在8人いる未成年皇族はいずれも女性で、現行皇室典範が改定されないかぎり宮家は減少の方向にある。連綿と続いた皇室制度が一新されたのが明治の初め。明治末年の段階で宮家は、伏見・有栖川・閑院・山階・小松・華頂・北白川・梨本・久邇・東伏見・竹田・賀陽・朝香。東久邇の宮の14。これらは大正年間に3家が継嗣を欠いて廃絶、昭和の22年に11家が皇籍離脱したためすべてなくなっている。現在の7宮家は大正天皇の皇子が創立した秩父宮(1922)、高松宮(1913)、三笠宮(1935)、昭和天皇の皇子が創立した常陸宮(1964)、三笠宮の皇男子が創立した高円宮(1984)、桂宮(1988)。文仁親王の秋篠宮(1990)。

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宮内庁

行政機関の一つで総理府の外局。1949年創設。前身は宮内省(1869年創設)。内閣総理大臣の管理下にあり、皇室関係の国家事務などをつかさどり、御璽・国璽を保管する。人事院が行う国家公務員採用試験(I種,II種,III種)の合格者の中から面接により職員を採用するが、長官をはじめ、行政関係の重要なポストは各官庁からの出向者が大半。天皇の身辺を世話する侍従には名門出身の人々も多い。たとえば、半世紀にわたって昭和天皇の側近をつとめた入江相政(1905〜1985)は冷泉家の出身。

ほかに他の省庁と際立ってことなるところでは、式部職に雅楽・洋楽の演奏をする職、鴨猟・鮎漁の職などがある。

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ヴァイニング夫人

エリザベス・グレイ・ヴァイニング。1902〜1999。フィラデルフィア生まれ。クエーカー教徒。ドレクセル大学院で図書館学を専攻したアメリカの児童文学者。敗戦直後、昭和天皇の「アメリカから狂信的でないクリスチャンの婦人を家庭教師に」という求めにしたがって選ばれ、4年にわたって、学習院中等科時代の皇太子・明仁(今上天皇)の家庭教師となった。東宮参与だった小泉信三(1888〜1966。元慶応義塾塾長)とともに、少年時代の天皇の人間形成に影響を与えたといわれる。著書『皇太子の窓』はベストセラーとなった。夫人は明仁皇太子に「ジミー」というニックネームをつけていたという。

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三種の神器

いわゆる天孫降臨以来の神宝と伝えられる皇室の宝。八咫鏡(やたのかがみ 三重県・伊勢神宮に安置)、草薙剣(くさなぎのつるぎ 愛知県・熱田神宮に安置)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま 東京・宮中に安置)の3つ。現在では明文化されていないものの、戦前までの即位礼では、この三種の神器を譲り受けることが皇位の証とされた。

八咫鏡は、皇祖天照大神から皇孫瓊瓊杵尊に授けられ、天皇家に祀られていたものが、崇神天皇の折に神人同床を避けて移し、垂仁天皇の世に伊勢に移されて(伊勢神宮の起こり)、今日に至るもの。

草薙剣は、素戔嗚尊ヤマタノオロチを退治したときに尾から出てきた剣で、天照大神に奉られ伝えられた。景行天皇の御代、日本武尊が東夷の叛平定の際、それを倭姫命から授けられ出征し、帰途、草薙剣を尾張に留め置いたたまま、再び出征。現・三重県亀山市で逝去。尊のお妃である宮簀媛命が、神剣を熱田の地に祀って(熱田神宮の起こり)今日に至る。

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皇居

天皇の住居。もと千代田城(江戸城)。住所は千代田区千代田一番地。戦前は「宮城」と呼ばれていたが、1948年に改称された。総面積115万436平方m。

一般公開されている東御苑(本丸および二の丸)、1968年完成の新宮殿・宮内庁本庁のある西の丸、吹上新御所の3区域からなる。今上天皇の住まいは吹上新御所(1993年より)で、建坪は4500平方m。皇太子の住まいは赤坂御所で、秋篠宮邸、三笠宮邸、迎賓館なども含め、一帯を総称して赤坂御用地という。

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御用邸

一般でいう別荘。現在は那須(栃木県那須町)・須崎(静岡県下田市)・葉山(神奈川県三浦郡)の3御用邸があるのみ。このうち須崎御用邸には昭和天皇が海洋生物の研究設備を設けた。

ほかに皇室の財産(宮内庁管理部の管轄)としては、京都御所、仙洞御所、桂離宮、修学院離宮(以上京都府)、正倉院(奈良市)、御料牧場(栃木県塩谷郡)など。

明治時代以後に定められた離宮には、浜・赤坂・芝・二条・函根・名古屋・青山・霞関・武庫・伊勢があり、国賓の宿泊・接待等の公的行事に用いられたが、徐々に下賜などされ(赤坂離宮が迎賓館となるなど)現在は上記2離宮のみである。

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皇宮警察

皇居や御所で天皇や皇族の護衛にあたり、警備を担当する。地方視察、外国訪問の折などの警備も担当。京都御所、桂離宮などの警備もその役目の一つ。一般の都道府県警察とは採用も異なり、職員は警察官とはいわず、護衛官と呼ばれる。総員約1000名。また、警察官が地方公務員であるのに対し、護衛官は国家公務員。平安時代の職名を用いて「内舎人(うどねり)」と呼ばれる。

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三笠宮家

1935年、大正天皇の第4皇子・崇仁親王(1915〜)により創立。崇仁親王は古代オリエント学者として著名で、東京女子大などの教壇にも立った。その長男・寛仁親王(1946〜)は「ヒゲの殿下」として親しまれており、「皇籍離脱宣言」で話題をまいた(1982年)。また、ラジオのDJをつとめたことも。2002年11月に急逝した高円宮憲仁親王(1954生)は崇仁親王の三男。

またスポーツ、レクリエーションの振興に熱心な宮家としても知られ、

三笠宮杯全日本ダンススポ−ツ選手権大会

三笠宮杯ツール・ド・とうほく

三笠宮杯アイスダンシング競技大会

三笠宮杯全日本学生ソフトテニス選手権大会

などがある。

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皇女

昭和天皇には早世した次女以外に、4人の内親王があるが、その嫁ぎ先はやはり格式のある名家揃いである。

長女成子(しげこ 1925〜1961)は旧皇族の東久邇家。終戦直後の首相(稔彦)も出した家。

三女和子(1929〜1989)は五摂家(摂政・関白になれる公家最高の名門)の一つ鷹司家。藤原氏北家の嫡流。

四女厚子(1931〜)は旧岡山藩主池田家。夫・隆政氏は池田動物園園長、日本動物園水族館協会理事長等を勤める。

五女貴子(1939〜)は旧薩摩藩主の一門である島津家。夫・久永氏は久永は、ソニー取締役、ソニー教育財団評議員。

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正田家

美智子皇后の生家。華族以外で皇室に入ったのは美智子皇后が初めて。江戸時代には館林(群馬県)で米屋を営んでいたが、明治になって醤油製造業に転じる。さらに皇后の祖父・貞一郎が1901年に館林製粉、1907年に日清製粉を設立、「製粉王」と呼ばれた。貞一郎は五男五女をもうけたが、その家系からは文化勲章受章者を含む多くの学者を輩出している。

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常磐会

女子学習院(学習院女子部)の卒業生でつくられる同窓会。初等科、女子中等科、女子高等科を卒業したメンバーで構成され、12000名を超える。皇族の妃を同会から多く出し、その格式を誇ってきた。明仁皇太子の妃もこの会から出ると思われていたが、聖心女子大出身の正田美智子が決定。常磐会はこれに反発、美智子妃とほかの皇族妃との確執の原因になったといわれているが、詳細はさだかでない。

社団法人として公益事業(社会奉仕)の推進にも力を入れている。

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