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勝敗の彼岸、来年はがんばろう、あきらめずにがんばろうの用語集
 

階級

10年以上前までは、勝ち/負け、闘争は“階級”の間でおこるものだった。

階級

本誌1948年版収録。以下、

社會的分業と生産手段に對する私有の結果生ずるところの搾取被搾取の關係に基く社會經濟的地位や利害關係の對立によつてできあがる幾つかの人間の社會的集團をいう。歴史的には古代社會に於ける奴隷所有者と奴隷、封建社會に於ける地主と農奴近代資本主義社會に於ける資本家と勞働者の關係が夫々各時代の基本的な階級である。

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ブルジヨアジー

本誌1948年版収録。以下、

資本家階級のこと。現代資本主義社會に於ける最も主要な生産手段および貨幣資本すなわち資本は資本家階級の所有するところであり、他の階級即勞働者階級は勞働力以外にこれら資本を全く所有しない、從つてこれらを所有する資本家階級は、勞働者階級から勞働力を買入れ商品生産のために勞働せしめて搾取する。從つて近代社會に於けるブルヂヨアジーの發生發展は同時にプロレタリアートの發生發展であるということが出來る。

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プチブル

本誌1948年版収録。以下、

プチとはフランス語で小さいという意味であるから小ブルヂヨアジーのことを指す。具體的には中小工業者、自營農民、官吏、自由職業者、利子寄食者を指す。これらは勤勞に從事するか自らも小資本を持つか、又は資本の直接的利益に奉仕する諸階級である。勞働力以外何物をも所有しない勞働者階級と資本家階級との間に位し明確なる階級的特色はない。

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プロレタリアート

本誌1948年版収録。以下、

ブルジヨアジーに對する階級的な用語でラテン語である。その意味は嚴密には工場勞働者を指す。現在ではそれが廣く用いられて、工業勞働者、一般勤勞者、貧農をもふくめ、換言すればその勞働力以外に自ら生産手段をもたない所謂搾取階級に對する被搾取階級、非資本家階級を指している。

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インテリゲンチヤ(知識階級)

本誌1948年版収録。以下、

インテリゲンチヤとは本來は19世紀後半のロシヤの進歩的知識分子をさしていつた言葉である。彼らは民衆の窮乏を改善せんがための社會運動の先頭に立ち、ロシヤ革命に重要な役割をはたした。爾後彼らのような知識分子を一般にインテリゲンチヤと稱するようになつた。インテリゲンチヤは知識の所有者として社會の精神勞働を擔當し、學者、思想家、著述家、宗教家、教育家、科學者、技術者とし、或は政治經濟上の重要分子として、社會の重大な構成要素をなしている。中産階級である彼らが獨立の階級を構成するか否かについては異論があるが、彼らが特に後進國においては社會の發展上に重要な役割をはたしていることは事實である。

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中間階級

本誌1985年版収録。以下、

middle class。マルクス流の労・資の対立的にみる社会階級概念から、高度な資本主義が生み出した社会層として、労働者階級と資本家階級との中間にあるものをいう。今日では新中間層とか新中間階級とよばれて、商人や農民、官公吏員だけでなく、近代産業と技術革新により大量に生み出されたサラリーマンから、サラリーマン化した労働者を含み、国民の大部分を占めるといわれる。シュンペーターのいうように階級の単位は個人ではなく、その家族を合めたものである。

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階級闘爭

本誌1948年版収録。以下、

利害を異にする階級の間の闘爭(階級の項參照)現代的意味においては資本主義社會に於ける搾取階級たる資本家階級と被搾取階級たる勞働者階級との間の闘爭をいう。マルクスに從えば歴史の發展は階級闘爭によつてなされるとされる。その意味は原始共産社會を除いては古代社會に於ける奴隷所有者と奴隷との階級闘爭は最後には完全なる革命となり、その結果新しい社會組織が生れ、封建社會に於ける地主と農奴の階級闘爭は資本主義社會組織を生み、資本主義社會に於ては新に貸本家と勞働者の階級闘爭が、基本的階級闘爭となつている。勞働者階級はこれまでの歴史における支配階級と異つて私有財産と人間勞働の搾取に利益を感じないから、勞働者階級の行う階級闘爭は階級闘爭そのものを根絶するための闘爭であり、その結果階級のない社會階級闘爭のない社會として社會主義秩序が實現すると考えられる。

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敗戰主義

本誌1952年版収録。以下、

自國帝國主義政府の不當にして侵略的な戰爭の敗北をはかり、勞働者階級と勤勞人民を資本主義的奴隷制度と帝國主義戰爭から解放するためにこの帝國主義戰爭を内亂に轉化せよという共産黨の主張。第一次世界大戰において、各國社會民主黨が「祖國防衞」の美名の下に自國帝國主義ブルヂョアジーの戰爭遂行を支持したのに反對し、レーニンにより熱烈に強調されたものである。今次大戰で日本共産黨もこの立場をとつた。

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第四階級

本誌1979年版収録。以下、

the fourth estate。新聞界(the press)、新聞記者団。第四権力。別に労働者階級をいう場合もある。聖職者、貴族、平民の3階級に加えて、議会外に政治上、社会上の新しい勢力を担うようになったジャーナリズムを称す。この意味が一般化したのは、1828年マコーレー卿が議会の記者席を指した言葉、あるいは1837年刊行のカーライル「フランス革命」に由来すると伝えられる。近年、国民の知る権利と関連して、政治の監視者たる第四階級、フォース・エステートの役割と責任が注目されている。

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第五階級

本誌1979年版収録。以下、

the fifth estate。第五権力。第五勢力。前世紀末、議会外に政治力を持ってきた新聞界、言論界を第四階級と称したのに加えて、新たに影響力を持ってきた首都の社交界を指す。たとえば、新しく政権の座についたカーター体制では、古いワシントンのならわしと新しい統治機構との社交上のかけ橋の役割を担い、要路の人物間の個人的触れあいと情報交換の場を画策し、政治の表層とはまた違った意味の勢力を担うものである。女主人公を中心としたディナー・テーブルの創る歴史ともいわれる。第五階級はこのほか新聞界に続いて現れた権力として、労働組合あるいは週刊誌界を呼ぶ場合もある。

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階級政党と国民政党

本誌1968年版収録。以下、

マルクス主義の立場に立つ社会民主主義政党はマルクスの階級闘争理論に基づき、階級政党論を主張した。すなわちブルジョア階級を代表する保守党に対して、社会民主主義政党はプロレタリア階級を代表するものとされた。階級政党論は国家が階級抑圧機関としての性格を濃厚に持っていた19世紀末までは正しいように見えたが、まず第一に、普通選挙権に基づく議会制民主主義が実現され、第二に社会政策が本格的に行なわれるようになって、次第に現実離れしたものになった。なぜならば、普通選挙権によって社会民主主義政党が国会に進出すると、立法に対する責任を分担しなければならず、遂には連立または単独の内閣を組織して統治の責任を負わなければならないので、プロレタリア階級の利益だけを代表して階級政党として立場を貫くことは不可能となる。特に社会政策に関する法案が審議される際、これをブルジョア階級の階級的利益に奉仕するブルジョア立法であると決め付けるならば、階級政党としての立場は守れる代わりに、労働者階級の現実の利益を犠牲にし、労働組合の支持を失うことになる。そこで普通選挙権に基づく議会制民主主義が実現され、社会政策立法が国会で審議されるようになると、階級政党論は空洞化し、事実上、国民政党論と妥協せざるを得なくなる。そこで国会の場において、保守党と国家の指導権を争うという形態の階級闘争を戦うためには、マルクス主義の階級闘争理論では不十分ということになる。逆にマルクス主義の階級闘争理論をいさぎよく捨てて、全国民の利益を代表する国民政党という立場を明確に打出すことによって、厖大な中間層の支持を確保し、国家の指導権をめぐる保守党との選挙戦に勝つことができるのである。社会主義インターナショナルに加盟している社会民主主義の諸政党は、日本社会党を除いては今日では全部、国民政党論の立場に立っている。

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労働者階級の貧困化

本誌1966年版収録。以下、

labor class' coming to poverty。資本主義が発展し、富が蓄積されるにつれて、労働者の生活が次第に不安定となり、また、消費生活も、悪化していくことをいう。近代社会での貧困の中核は、労働者階級の貧困にあり、しかもそれは資本家的生産方法が支配し、拡大し、高度化するにつれ、避けることのできない傾向として、いろいろの形をとり、広くあらわれてくる。こうした現象を引き起こす根本原因は、資本構成の高度化による相対的過剰人口=産業予備軍の累積にある。すなわち利潤をめざして競争する企業は、きそってその機械・設備を拡大し、その拡充の速度は、労働力を増大する速度より早い。また、一方、機械の高度化は、熟練を不要にし、熟練労働を不要にし、熟練労働者の追放=失業と引き換えに、不熟練労働者を雇い入れる。このようにして創出される過剰人口は、資本の大きさ、いいかえればその雇用機会に対して過剰な人口であるという意味で、相対的過剰人ロ(relative overpopulation, relative surplus population)といわれる。相対的過剰人口は資本制生産のメカニズムが作りだしたものであり、この人口部分は、産業における就業機会のひらけることを待っているところの、就業労働者に対する予備労働者であり、産業予備軍(industrial reserve force)とよばれる。産業予備軍に含まれる労働者部分はもちろんそれ自身貧困な生活にあえぐものであるが、さらに、現に就業している労働者の賃金・労働条件を引き下げ、その上昇を押しとどめるおもりのような役割りを果たす。こうして労働者階級全体に不安定な生活をもたらし、向上もせずむしろ悪化する消費生活が全般化する。以上の全体の傾向を称し、労働者階級の貧困化という。

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「階級闘争激化」理論

本誌1968年版収録。以下、

1937年3月、スターリンによって提出されたソ連邦国内の階級闘争に関する理論。スターリンはソビエト権力が世界資本主義によって包囲されているという認識を基礎にする。そして資本主義列強がすでにソ連邦のかなり深部まで破壊分子を送り込んでいること、国内の反ソビエト分子、とりわけトロツキズム信奉者が変質し、単なる政治的一潮流から「外国のスパイ機関に雇われた労働者階級の不倶載天の敵の徒党」に転化したこと、しかもこれらの変質したトロツキストが一見忠実な党員のふりをしていること、さらに彼らの破壊能力を過大に評価し、ドニエプル発電所の建設には何万人の労働者が必要であるが、それを破壊するのは数十名で足りると述べている。以上のことからスターリンはソ連邦内における階級闘争はますます激化するとしている。この理論は「人民の敵」の名のもとに30年代後半の大量粛清を正当化することになった。

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一握リの階級敵

本誌1976年版〔中国問題用語〕収録。以下、

「批林批孔」のなかで、先進的な文革派は政治革命への発展を意図したと推定される。1974年2月、上海の労働者は、「プロレタリア文化大革命にかんする毛沢東主席の教え」をテーマに集会をひらいたが、そのときの発言者は、いずれもこの「一握りの階級敵」を非難攻撃した。実際にはこれは、脱文革派、復活した旧幹部を指しているものであろう。

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過渡期の階級闘争

本誌1979年版収録。以下、

プロレタリアが権力を獲得した後の資本主義社会から社会主義社会にいたる移行期における階級闘争。これによれば、プロレタリア独裁はけっして階級闘争を終結させるものではなく、新しい形での階級闘争の連続であるといわれる。すなわち、ブルジョアジーは打破られはしたがまだ消滅ぜず抵抗もやめない。彼らのカの基礎は単に国際資本の力とブルジョアジーの国際的連結の強さにあるだけではなく、ブルジョア的習慣や小経営、小商品生産のカの中にある。さらにブルジョアジーが階級として絶滅された後も新しい形の階級闘争が存続する。それは、農民が勤労者的性格と小所有者的性格の両方を持ち、これの克服の過程も一種の階級闘争とみられる。ただこの場合は、階級および階級闘争の意味が、資本主義社会におけるものとは、質的に異なってきているといえる。

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「階級闘争論」の見直し

本誌1985年版収録。以下、

ニュー社会党への脱皮を目指す日本社会党は、階級階層についても従来とは異なった観点を示し始めている。昭和59年2月の第48回継続党大会で階級階層についての見直しはさらに推進された。それは生産労働者のみを労働者と規定するマルクス主義による古典的労働者概念とは別の概念を持とうとするものである。サービス部門や管理労働部門の勤労者、公務員、教師、セールスマンも労働者と規定しようとする。

こうした古典的階級概念の見直しは、西ヨーロッパでは1960年代後半のフランス(セルジュ・マレなど)やイタリアの左翼に既に見られ、現在では西ヨーロッパでは一般化している。見直しの背景には、古典的労働者概念には含まれていなかった第三次産業部門就業者人口の急速な増大、第二次産業部門での熟練労働者の減少、管理労働者の増加といった新しい変化の現象がある。

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キューバ革命勝利30周年

本誌1990年版収録。以下、

30 Aniversario de la Revolucion Cubana。1959年1月1日、フィデル・カストロにより指導された七月二六日運動が、三月一三日革命幹部団、人民社会党(共産党)と共同し、人民のカに依拠して武装闘争でバティスタ独裁政権を打倒してから、30年が経過した。革命の一世代を振り返ることとしよう。何よりもまず、「北方の巨漢」(米国)からわずが150kmのところで、長い植民地・半植民地支配を受けてきた人口600万の小国で、革命が勝利したこと、社会主義が樹立され保持されてきたことの世界史的意義は大きい。

初期、農地改革と大企業の国有化という民族民主革命の課題を追求するなかで、アメリカ帝国主義と結んだ反動勢力の妨害に打ち勝つため、労働者階級が革命の指導権を握ることとなり、61年4月16日の社会主義革命宣言となった。その翌日からのプラヤヒロンへの帝国主義傭兵軍の侵攻、OAS(米州機構)からの追放、62年10月の「ミサイル危機」をはじめ、アメリ力帝国主義の反革命策動にもかかわらず、キューバ人民は、人種差別、文盲、失業のない、そして、医療を受ける権利をだれもが有する新しい社会の建設に向けて努力してきた。

もちろん紆余曲折はあった。初期の経済多角化・工業化の失敗から転じて、68年からの「革命的攻勢」が目標とした70年の砂糖生産の目標1000万トンも達成できなかった。75年12月の共産党第1回全国大会、翌76年2月の憲法公布、12月の人民権力第1回全国会議(国会)と、民主的制度は整えられたが、消費物資は不足し、農作物の自由市場や優秀労働者の表彰制度など物質的刺激策が導入された。しかし、その結果、否定的な側面も現れ、86年2月の共産党第3回大会で、フィデル・カストロ第一書記は「非能率と官僚主義」「怠慢と無責任」をきびしく批判し、「社会主義諸原則への不動の忠誠」とならんで「不屈の道徳的完璧性」を強調した。

こうして、「是正」(レクティフィカシオン)とよばれる新しい過程が開始された。革命精神を強調し自発労働の模範を示し、67年10月ボリビアで革命の大義に殉じたチェ・ゲバラの生き方が称揚され、本来の職場から給与を受け取りはするが、「ホーム・ドクター」の住宅、アパート、医療施設、保育施設など、緊急を要する建設労働に自発的に従事する「ミクロブリガーダ」(労働小隊)が結成されてきた。対外的には、非同盟運動発足の当初からその推進力となってきた。

しかし、歴史的な後進性の遺産はあまりにも重く、まだ、物資不足は解消できず、そこからさまざまな問題が生じている。88年にはエクアドルのボルハ大統領とメキシコのサリーナス大統領の就任式に、そして89年2月のベネズエラのペレス大統領の就任式にも、フィデル・カストロ議長みずからが出席したことに明瞭に示されているように、経済発展のカギの一つを、中南米諸国との協力、この地域の統合に求めている。

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