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耳ざわりのいい言葉には注意せよ
―― 「改革」「革命」は起こったか、なぜ起こらなかったかの用語集
 

赤くない革命

革命のコトバというのは、いつもとても雄弁で、さらに現代人は宣伝に長けているから、〈結局起こらなかった革命〉は「どうもなにか大仰」で、〈実際に起こった革命〉は「現在の目から見れば大したことがない」ものが多い。とはいえ、なかにはあまりに大きな変革で我々が完全に「呑まれて」しまっているものもある。

ケインズ革命

本誌1954年版収録。以下、

1936年にケインズが、その創期的著書「雇用・利子および貨幣の一般理論」を発表するや、それはニュー・ディールの理論的指針となり、多くの経済学者が彼の説に改宗した。このため1936年以来、経済学が一変したといわれ、そこからケインズ革命という表現が生れた。彼のこのような成功の原因は、彼の理論が、理論経済学の立場から恐慌克服の道を示しえた唯一のものであり、現実面において、ニュー・ディール政策によって実践され、成功を収めたことにあるものとされている。

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経営者革命

本誌1966年版収録。以下、

managerial revolution アメリカの哲学者バーナムによって、現代は資本主義社会(ソ連も資本主義とみる)から、資本家に代わって経営者という新しい支配階級が権力をにぎる「経営者社会」へとまさに革命的移行が行なわれつつある、という意味でいわれたりしたことば(同名の本は1941年刊)。この立論の根拠は、2つある。1つは、私企業(とくに大企業)の支配者は形式的には経営者、財務管理者、金融資本家、株主の4つに分化しているが、事実上は、経営者の手中にあるという「経営者支配」(management control)の観点である。これはバーナムの師バーリがミーンズと共同して行なった、アメリカの大会社における所有と経営の分離に関する実証的研究(「近代会社と私有財産」1932年刊)にもとづいている。その2は、国有企業の拡大強化という事実である。これは経営者としての官僚の支配強化である。バーナムは、以上2つの傾向を、1930年代のソビエトの発展、ドイツのファシズム、アメリカのニュー・ディール体制のなかで認め、このような経営者革命の方向を世界史的大転換、歴史の一般法則と断定する。したがって、レーニン・スターリン主義(非社会主義)、ファシズム・ナチズム(非資本主義)、ニュー・ディール(反資本主義)を一括して初期「経営者社会」のイデオロギーとみなしている。第2次大戦を経過して、バーナムのこの大げさな歴史認識は取り上げられなくなったが、経営者革命論の基本的な考え方である所有と経営の分離、つまり資本を所有し利潤追求の原則にしがみつく資本家ではなく、生産における指揮と調整の機能を果たす経営者によって現代の大企業は、運営されているという議論は、専門経済学者をふくめて、ひろく採用され、現代の独占と資本主義の弁護論(たとえば「人民資本主義」)の有力な支柱となっている。バーリが、戦後に提唱した「会社革命」(corporate revolution)の考え方も、経営者革命論の代表的な活用例である(1954年の「20世紀資本主義革命」)。すなわち、バーリは、前述の実証的研究でアメリカの大会社における経営者支配を結論づけたが、いまや一歩を進めてアメリカ経済はこの大会社を主体とする「会社革命」を遂行しつつあるという。大会社(寡占体)は政府と不可分に結びついて経済を掌握し、海外でも強い経済力をもっているのであり、大会社を支配する経営者は同時に経済計画の推進者となる(かくてアメリ力経済は会社資本主義 corporate capitalism)。だがソ連の計画経済における全体主義的独裁と異なって、この大会社支配は、世論、寡占間の競争、国家権力によってチェックされる余地があり、とくに大会社の社会的公器たることを自覚した経営者の責任感(バーリはこれを「大会社の良心」とよぶ)が安全弁となるという。以上のような「経営者革命」や「会社革命」の主張は、現代の株式会社における所有と経営の分離、それによる経営者支配が土台となっているが、これは多分に形式的な事実認識からきている。株式会社の発達にともない、ますます多数の出資者が株主となるが、依然として少数大株主の支配は貫かれているのが実情であり、専門的経営者に会社の運営がまかされるときも、その根本方針は背後の大株主や金融資本家の意向によって決められる。経営者はあくまで資本の論理に従って行動しているのである。

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性革命

本誌1971年版収録。以下、

現代人の性に対する観念および態度の社会的変化と、その風潮をさしていう。1956年、米国の性科学者ソローキンが発表した「アメリカにおける性の革命(セックス・リボリューション)」が語源。この革命は「何千万人の人たちが喜んで参加し、各個人で行動している」とし、その結果、乱交の増大、離婚の増加、親の愛情の衰退、性的倒錯の流行、マスコミのワイセツ化などが生じつつあるとされている。

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ピーコック革命

本誌1969年版収録。以下、

地味なダークスーツに白ワイシャツ、ネクタイというドブねずみルック(花森安治)に対して、色もののシャツを着せようという商戦。ピーコック(peacock)は「雄のくじゃく」だが、「見え坊」の意味もある。本当に自分の力に自信のあるサラリーマンは自己主張の手段として必ず目立つおしゃれをするはず(石津謙介)という意見である。

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イエス革命

本誌1973年版収録。以下、

現代アメリカの一種の信仰復興運動(リバイバル)。アメリカでは、歴史上たびたびリバイバルがみられたが、このイエス革命は、1967年ごろから「ジーザス(イエス)・ピープル」と称する人びとによって進められ、親しみある人間としてのイエスを強調する傾向がつよい。伝統的な教会より、むしろその周辺から起こった運動で、イエス受難劇のロック・オベラ化などの運動と一脈つうじるものをもつ。

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繊維革命

本誌1961年版収録。以下、

近代産業としての繊維産業は、過去2世紀の間に3たびの画期的な変革を通った。すなわち第1は18世紀末からの近代木綿工業の確立、第2に19世紀末から20世紀初めにかけての化学繊維(人絹、スフ)の発明と工業化、第3に今世紀30年以降、特に第2次大戦後における合成繊維の登場である。この3回の繊維革命はそのまま日本にもあてはまる。

以上の繊維工業の発展を通じて見られる特徴は、第1に天然繊維に代わる人造繊維の台頭である。綿、羊毛などの天然繊維への依存は人類の歴史とともに古いが、化学繊維によって一部分これを抜けだして木材繊維の再生繊権を利用するようになり、さらに合成繊維で、完全に人間の手による繊維の製造に成功した。第2に、以上の発展につれて、繊維工業は、物理加工的な軽工業から、しだいに化学工業的装置工業化してきた。将来は合成繊椎の比重が漸増するものと予想される。

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エネルギー革命

本誌1961年版収録。以下、

戦後の産業発展でわが国のエネルギー消費量は激増しているが、エネルギー源の構成にも大きな変化が生じている。戦前昭和10(1935)年には石炭は総エネルギー消費の62%を占めていたが32(1957)年には38%に低下し、これにたいして電力は18%から36%へ、石油は8%から18%へ比重が上昇している。一般に石炭の地位の低下、石油の急上昇と電力の着実な増加は、わが国だけでなく世界的な傾向である。そのほか最近では天然ガス、液体ガス(LPG)、原子力なども発達して、石炭中心のエネルギー消費の構造的変化が生じている。これをエネルギー革命と呼ぶ。

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マイクロ・エレクトロエクス(ME)革命

本誌1984年版収録。以下、

集積回路(IC)の高集積化、微小化を追求する電子技術、とりわけ手のひらに乗るシリコン・チップ上にコンピュータ機能を盛り込んだマイクロ・コンピュータ(マイコン)の開発、製造、応用技術がマイクロ・エレクトロニクス(ME)である。低価格のマイコンの登場は機械機器の制御機構の電子化、小型化を可能とし、CNC工作機械、産業用ロボット、ワードプロセッサ、マイコン、自動車や家電製品の電子制御化など、応用分野は急速に拡大している。工場ではFMS、CAD/CAMを頂点とするFA革命が、オフィスではOA革命が進行し、家庭でもHA(ホーム・オートメーション)革命が到来するとされている。これらを総称してME革命という。急速な普及ぶりのほか、熟練労働やオフィス労働の内容や雇用などへの影響も大きいことが「革命」と称されるゆえんである。

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3C革命

本誌1971年版収録。以下、

計算(Computation)、統轄(Control)、通信(Communication)の3つの頭文字をとって、情報革命をその主要な構成要素によって表わしたもの。コンピュータと通信回線とサイバネーションとこの3つの技術進歩が相互に結合することによって、いままでにない知的・システム的な情報が全国的なネット・ワークを通じて、すべての国民に自由に利用されるようになる・これが情報革命の実質的な内容にほかならない。

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消費革命

本誌1961年版収録。以下、

昭和34(1959)年の「経済白書」や「国民生活白書」でうたわれたことばで、最近、わが国国民生活の水準が一般的に上昇するとともに、消費生活の性質が「近代化」「高級化」し「必需的費目から文化的費目への家計支出の重点転換」が生じて、「消費構造の高度化」が進行していることを強調する。たしかに最近は、家庭用電気器具、ミシン、カメラ、自転車、オートバイ、さらに一部には自動車などの耐久消費財の比重が高まり、また合成繊維やプラスチックのような新製品も普及して、重・化学工業製品が消費生活の内部に急速に浸透してきた。また食生活でも米食中心からしだいに肉、卵、カン詰めビール、ジュースなどの消費が増し、さらに娯楽、旅行などの支出も大きくなってきた。こうして消費生活にかなり構造的な変化が生じている。ただ、わが国には広大な貧窮層があり、これらは消費革命から取り残されており、また消費革命が進行している都市の特定階層の内部でも、所得水準全体がまだこれに追いつかず、そのために部分的な近代化にとどまり、生活全体としてはアンバランスなゆがみを生じていると見る意見も強い。

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流通革命

本誌1965年版収録。以下、

商業部門における近代的な経営方式。たとえば進出著しいセルフ・サービス(客の自由選択に任す)方式のスーパー・マーケットとか、特売よりも安いと宣伝するディスカウント・セール(discount sale = 割引き販売、安売り)、SSDS(self service discount sale )などというのがそれ。セルフ・サービス店数は昭和30年に全国で40で、これが37年末には2682となり、うち東京に551ある。米国では、大資本によるSSDDS(self service discount department store )というセルフ・サービス方式の安売り百貨店が出現し、わが国へも進出する構えをみせ、零細小売り商店に脅威を与えている。

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製品輸入革命

本誌1989年版収録。以下、

Products import revolution 1988年4月の貿易統計速報によると、日本の輸入額は過去最高を示し、特に製品輸入比率は49.9%となった。NIESからは衣料品、時計、がん具、アメリカからはコンピュータ、アルミ合金、ECからは乗用車が伸びている。製品輸入増加の要因は円高効果のほかに内需拡大による外国製品需要の伸びが挙げられるが、輸出企業は世界という大きなマーケットをにらんで、逆輸入など機動的に考えようとする志向が強まっているし、NIES製品をディスカウント・ハウスが取り扱うというような形で既存の販売経路にも変革がでてきた。

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利回り革命

本誌1961年版収録。以下、

従来の株式利回りにたいする考え方によれば、株式には減配のほか値下がりの危険があるので、預金利子や確定利付き証券の利回りよりも危険料だけ高くなくてはならぬということであった。しかし近年では、景気変動にたいするビルト・イン・スタビライザー(自動安定装置)が充実してきたほか、経済の成長力の強さが再認識され、長期投資の方針のもとに経済成長に伴う企業の成長を先見して、株式を預金や確定利付き証券よりも低利回りに買うという考え方に変わってきた。

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円高革命と産業構造の変革

本誌1989年版収録。以下、

最近、「円高革命」という言葉が用いられるようになってきた。それは、1985年9月にG5によるドル安誘導のための為替市場への協調介入が効を奏して着実に円高・ドル安が進行し、当時240円であった円レートが現在(88年8月)では1ドルが130円にまで切り上がって定着し、そのことがわが国の産業構造に対して単に一時的ではなく構造的とよびうるほどの変革をもたらしていることを示している言葉である。一般に円高の進行はわが国の経常収支を是正するものと考えられている。しかるに円高の進行・定着にもかかわらず、ドルベースでのわが国の経常収支は漸減の傾向を示しながらも黒字は膨大な規模となっており、それは特に海外への長期資本の流出という形となって現れている。米国の国債に対する証券投資や海外の生産企業に対する直接投資がそれである。このうち、直接投資はやがて海外での生産力効果を生み、現地での国際競争力を増強する。それはちょうど、米国の多国籍企業が1970年代に海外諸国に直接投資を行った効果と類似している。例えば、日本の自動車会社の場合、資本参加や子会社の建設という形で米国に対して直接投資を行っているが、やがてその自動車の生産台数はおよそ100万台に達すると予想されている。日本から米国への自動車輸出は現在約130万台であるから、直接投資の生産力効果が現実のものとなれば、輸出は30万台で済むことになるのである。そして円高が更に進行すれば、日本は逆に米国がら乗用車を輸入することになるのである。同様の現象は、わが国へのアジアの新興工業国からの最近の家電製品や部品の調達という形で現れている。現地の低廉な賃金と日本からの直接投資が結合して86年以降、アジアの新興工業国からの工業製品の輸入が急増し、新しい国際分業の休制が形成されつつあるのである。これまで日本経済は、食糧・原料・燃料などの第1次産品を輸入し製造工業品を輸出するという「垂直化貿易」の産業構造を維持してきた。例えば、総輸入に占める第1次産品の輸入比率は85年には70%をこえている。これに対して、87年にはその比率は56%に低下し、88年にはさらに低下する傾向を示しているのである。これは明らかに日本経済が先進国型の「水平的貿易」の産業構造に移行していることを示しているのであって、それは一時的なものではなく、構造的なものなのである。経常収支の黒字が継続し、それが海外への直接投資と結びつくことにより、わが国の円高革命による産業構造の変革はさらに進行するに相違ない。そしてこのような状況が続けば、70年代の多国籍企業の海外への直接投資が米国の「産業の空洞化」問題を惹起したのと同じように、日本でも産業の空洞化問題が提起されるようになるかもしれない。しかしこの問題の分析は端緒についたばかりである。

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第2次円高革命

本誌1994年版収録。以下、

1985年のプラザ合意後の円高を第1次円高革命とすると、今回の円高は「第2次円高革命」である。85年から87年の円相場は1米ドル=240円台から120円台へ約2倍の円高となったが、93年の相場は125円から105円へと約2割の円高である。今回の円高は前回よりもはるかに厳しい。前回の円高は、現地価格の値上げやモデルの更新、あるいは生産の合理化(コストダウン)でオフセットすることが可能であった。国内市場は景気不振であるが、英知をしぼって円高革命を成功させなくては明日がない。

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通貨革命

本誌1985年版収録。以下、

新しいIMF協定が成立して以来、久しく聞かれなかった言葉であるが、最近はまた大きくクローズ・アップされてきた。それは、いわゆる変動相場制の下で、為替市場がいっこうに安定せず、とくに長期にわたって過大評価されている通貨と過小評価されている通貨との分極化が進んでおり、そこからいろいろの弊害が生れていると考えられているためである。そこであらためていろいろの構想が提唱されているが、それには為替市場への協調介入を説くものから、ミッテラン構想のように、新ブレトン・ウッズ会議を要求し、固定相場制への復帰を求めるものまで、濃淡、千差万別である。1984年度のサミットを前にして、5月19日ローマで開かれた10カ国蔵相会議(通称G10)は、<1>固定相場制への復帰は非現実的である、<2>為替市場が混乱している時に協調介入することは有効である、という2点を強調した、国際通貨制度のあり方に関するする中間コミュニケを採択した。

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金融革命

本誌1984年版収録。以下、

アメリカの金融市場で起きている大きな変革をさしていい、次の4つが柱となっている。<1>マネー・マーケット・ファンドなどの新金融商品の爆発的な伸び、<2>カード会社、保険会社、小売業者などと証券業者との大型合併、<3>キャッシュ・マネジメント・アカウントなどの総合金融サービスの誕生、<4>金融機関の同質化と整理統合がそれである。アメリカの金融地図は大きく塗り変えられつつある。このような変革の背景は、<1>歴史的高インフレと高金利の発生、<2>コンピュータをはじめとする機械化の進展、<8>顧客の金融ニーズの多様化、<4>政府の金融規制の緩和(デレギュレーション)などである。アメリカの金融革命をわが国の立場からどう評価するかという点であるが、両国の金融環境にはかなりの差異があるので、そのままの形ではわが国の参考にはならない。アメリカにおける高インフレ・高金利、株式手数料の自由化、銀行に対するワン・ステート・ルール(州外への店舗進出の原則的禁止)などはわが国とは異なる。また、郵便貯金の肥大化、強力な行政指導、証券・保険の免許制などはわが国に独得なものといえよう。総じて、アメリカの金融革命は経済発展に対する金融システムの遅れと異常高金利によってもたらされた混乱という面を多分にもっているといえる。

しかし、共通点も少なくない。その主たるものは<1>顧客のニーズの多様化に応える金融商品とサービスの多様化、<2>多様化した商品とサービスに対する顧客からの窓口一本化ニーズの高まり、<3>それに応えることを可能にする機械化の進展などがそれである。そのような意味で、アメリカの金融革命は形を変えながらもわが国に波及するものとみられ、すでにその兆しは随所にうかがわれる。その第1弾は新商品開発競争である。証券会社による中期国債ファンド、新国債ファンド、ジャンボ(無分配型国債ファンド)の開発、信託銀行のビッグ(新型貸付信託)、長期信用銀行のワイド(新型利付金融債)、全国銀行の期日指定定期預金の販売などがそれである。これらの高利回り商品はいずれも急速な伸びを示している。また、昭和58年4月から公共債の銀行窓販も開始された。これにともなって58年9月からは、都市銀行、地方銀行、信託銀行がら長期国債と期日指定定期などを組合わせた10年ものの国債定期(国債信託)も売り出されて好調な販売状況を示している。

このような金融、証券を巻き込んだ資金獲得競争に各種事務機器の進歩やデータ通信の自由化が重なって、わが国においても次第に金融革命の波が高まっていこう。

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所得革命

本誌1961年版収録。以下、

income revolution 現代の資本主義(とくにアメリカ)における所得分配の平等化、つまり、貧しいものが徐々に富裕になり、それに対応して富めるものが徐々に貧しくなるという事態をさしていう。

1930年代までのアメリカやイギリスては、かりに就業労働者の実質賃金の上昇が認められたとしても、一方では、膨大な失業者群が貧困に苦しんでいたから、マルクス経済学でいう窮乏化論を論破することは困難であったが、第2次大戦後は、完全雇用に近い状態が実現するとともに、資本主義に固有のようにいわれた所得分配の不平等が解消しつつあるというので、資本主義弁護論の有力な支柱として「所得革命」という用語が使われるようになった。この議論のもっとも有力な典拠となっているのは、アメリカの経済学者クズネッツの「高額所得者層の所得に関する統計的研究」1953年)である。これは要するに、近年アメリカでは、高額所得者の所得が下落し、それだけ低額所得者の所得がふえていることを主張したもので、たとえば、両大戦間の20年間において、所得人口の1%にすぎない最高額所得者層は国民所得の13%を、5%にすぎない高額所得者眉は25%をとっていたが、1947、48年になると、それぞれ8.5%と18%とに低下しているという。しかし、クズネッツの結論には有力な批判がある。高額所得者の所得算定の基礎になった税務署への申告所得には、過小評価があること、会社の経費で私生活上の出費がまかなわれている(社用族勘定)のを無視していることなど、いくつも疑問があるからである。このように所得革命の実態には議論の余地があるばかりでなく、かりにクズネッツの数字を認めても革命という言葉は大げさな表現にすぎないのだが、いずれにせよアメリカで膨大な失業人口をかかえていた戦前期と労働組合のカが一段と強化された戦後繁栄期とを比較しているのであるから、労働者の分け前が多少とも向上することは十分ありうることである。

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賃金破壊/賃金革命

本誌1997年版収録。以下、

年齢とともに賃金も上る、いわゆる「年功賃金制」のわが国の賃金慣行が、最近の企業のリストラ(再構築)の流れのなかで大きく変わろうとしている。まず、その年ごとの従業員の勤務成績に応じて賃金を決定する年俸制を採用する企業がとくに大企業で増加している。1994(平成6)年の労働省調査では大企業の7.9%、95年の労務行政研究所調査では同15.3%、96年の朝日新聞調査では(一部上場企業の)23.7%が実施している。目下は管理職、専門職層に実施されているが、全社員に及んでいる企業もある。さくら銀行、三越のように企業によっては年齢給を廃止するものもあらわれている。また成果に応じて評価される業績賞与の設定やベア相当分の若手への配分を試みる富士通の例もあり、この「伸び率より配分」には、電気業界労組も同調している。人件費節減の一方で業績のある社員に報いようとするもので、総じて、わが国の年功的賃金の要素が薄れ、能力・業績主義、あるいは成果主義賃金に移行する動きとして捉えられる。このような動向が賃金破壊とか賃金革命とかいわれているものである。そしてこの動向は単に賃金のみならず、終身雇用制を中心とする日本的雇用慣行自体にも大きな変化を与える方向性をもち、さらに産業戦士、企業人間といわれた日本の労働者の企業に忠誠な意識構造にも変化を与える可能性も秘めている。

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手法革命

本誌1988年版収録。以下、

レコード小売店におけるLPからCDへという形で起きている「リプレイス現象」(新興勢力が老舗にとって代わる現象)が、カメラ店、家電小売店や他の販売店でも起きている。こうしたリプレイス現象が、LPからCDへ、の変化に象徴されるように、既存の原理や技術の延長線上の変化ではなく、「原理の変革」によるものであることに着目し、原理の変化から起きる手法の変化によって引起こされるイノベーション(メソドロジー・イノベーション 手法の革新)のインパクトを「手法革命」という。評論家内橋克人の造語。内橋によると、「手法革命」は、「プロセス・イノベーション」(工程の革新)「マテリアル・イノベーション」(材料の革新)、「メソドロジー・イノベーション」(手法の革新)のタイプのちがうイノベーションが絶えず螺旋状の形で進行するという。改善や改良で、1のものを1.1にするために目を奪われていると、どこかで突然、1のものを100にしてしまう全く新しい原理や手法が生まれ、手法革新によって、製品・技術それ自体が否定される。

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環境革命

本誌1972年版収録。以下、

enveronmental revolution 昭和49(1974)年12月の公害国会に提出された政府の公害基本法改正案に対応して、社会、公明、民社の野党3党が出していた「環境保全基本法案」に盛られていた考え方。同法案は「すべての国民は、健康で文化的な生活を営む権利をもっているが、高度成長の結果、全土で環境破壊が進んでいる。国民生活優先の立場から公害の排除に全力を尽すべきで、保全されるべき環境のなかには、大気、水質汚染など典型公害のほか食品公害も加えるべきだ」と、環境革命の必要性を強調した。この法案は、結局、否決されたが、この法案の立法趣旨を生がした4党(自民、社会、公明、民社)による「公害防止に関する決議」が同12月18日付帯決議として採択された。

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第1次地球革命

本誌1993年版収録。以下、

The First Global Revolution  東西冷戦構造の崩壊の一方で、環境破壊や人口増加などの地球的規模の問題群の顕在化する激動世界の実態を解剖し、それへの処方箋を提示する、ローマクラブの新報告書『第1次地球革命』が発表された。ローマクラブが1972年に地球の有限性という危機意識のもとに最初の報告書『成長の限界』を発表して20年経過した現在、人類は地球的規模の大変革期に直面している。今日、冷戦構造は崩壊したものの、世界経済のブロック化、累積債務の増大、開発に伴うスラム化の拡大、飢餓や貧困の広がり、地球環境問題の深刻化、テロなどの暴力行為の多発、物質至上主義の蔓延(まんえん)などの地球的規模の問題群が支配的となっている。

複合的にさまざまな要素が絡み合っているそれら問題群を解決するための統合的・体系的な立場で取り組む効果的戦略である「地球的解決法」(Resolutique)が重要となる。今日、緊急対応が必要な分野は、<1>軍需経済から民需経済への転換、<2>地球の温暖化とエネルギー問題、<3>第3世界における開発問題、である。そうした理解の背後には、人類がこのままの状態を放置すれば、地球上の成長の限界点が早まるどころか、その衰退が加速化しているとの共通認識である。そこから、地球と人類とを救うために何をすべきか、何ができるかの構想が不可欠となる。問題の具体的な解決策は、政治システムの変革や社会の安定化、適切な人口政策、柔軟でダイナミックな社会システムへの変革、市場メカニズム放置の抑制、国連に環境安全保障理事会の設置、学習・科学技術・マスメディアによって個人や社会の適応能力を高めること、第3世界の開発のための技術を優先すること、などである。

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