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“アメリカはたまに戦争に失敗する”の用語集
 

ベトナム戦争後

ポストベトナム症候群(P.V.S Post-Vietnam Syndorome)

1974年版本誌収録。以下、

「ベトナム以後症候群」と呼ばれる一種の精神障害。ベトナムからの復員兵の間に顕著な精神障害で、精神分析医が他に名づけようがないため、そのように名づけたといわれる。欲求不満、疎外感、情緒不安定、幻滅、自閉症状などのほか、時には激しい罪悪感に悩まされるのが特徴とされている。

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ベトナム孤児救出作戦

1976年版本誌収録。以下、

サイゴン解放直前から直後にかけて、ベトナム孤児を急いでアメリカに送り、養子縁組をさせようとして、アメリカの福祉団体「すべての子どもの友」とアメリカの航空会社がこれを計画し、実行した。1975年4月4日に100人以上の孤児が死亡する墜落事故が起きて問題となった。

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ベトナム難民

1976年版本誌収録。以下、

南ベトナム解放の直前、ユエ、ダナンなどの都市から多くの難民が脱出したが、サイゴン解放とともに、旧サイゴン政権の軍人やサイゴン政権への協力者とその家族もいわゆる難民として、グアム、フィリピン経由でアメリカにわたった。カリフォルニア、アーカンソー、フロリダの軍事基地に収容されたこれらの難民の数は10万人以上といわれたが、その後、南ベトナムへの帰国問題をめぐってトラブルを起こしている。

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ベトナム時代終結宣言

1976年版本誌収録。以下、

フォード・アメリカ大統領は、1975年5月7日「ベトナム時代」の終結を正式に宣言して、7日を「ベトナム時代」の最後の日とし、「アメリカはもはや戦時ではない」と声明した。その結果、5月8日以降の新規招集兵には除隊後の戦時従軍手当は支払わないこととされ、また同日以後は、埋葬手当や死亡年金も打ち切られた。この措置で15億ドルが節約できるといわれている。

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ボートピープル(boat people)

1991年版版本誌収録。以下、

迫害を受ける恐れがあり、これを避けるために船で自国を脱出し、他国に保護を求める者。古くは、信教の自由を求めメイフラワー号で新大陸アメリカへ渡ったピューリタン、近くはインドシナ政変後のベトナム難民である。国境を越えて隣国領域に逃れる者をランドピープル、航空機で運ばれてくる難民をエアーピープルとよぶこともある。

難民の地位に関する条約に加入した日本もベトナムからのボートピープルを難民と認定して受け入れているが、1989(平成1)年5月から年内にベトナムからの難民と称して2800人もの人が直接日本に船舶で到着した。これらの人の中には、中国語はわかるがベトナム語は全く解さないなど、ベトナム難民を偽装し入国を企てた人が多数あった。これらの人には、仮上陸許可を与え上陸させ、調査して、難民を偽装した中国人等であることが判明した場合には不法入国者として退去強制手続をとった。

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戦争権限法(War Powers Resolution)

1980年版本誌の解説より。以下、

元来、アメリカの憲法によれば、戦争を宣言する権限は、連邦議会に属している。しかし実際には、議会の戦争宣言によらず、大統領の総指揮官としての権限により、アメリカ軍隊が動員され軍事行動が開始されることが少なくなかった。

とくにベトナム戦争は、連邦議会による明白な戦争宣言を経ることなく、開始され、拡大された戦争であった。ベトナム戦争に対する批判が強まるとともに、大統領の戦争権限に対する批判も強くなった。

そこで、大統領の戦争権限に制約を加える意図のもと制定されたのが「戦争権限法」である。同法は1973年11月7日に成立しており、その内容は、大統領が議会の承認なしに60日以上アメリカ軍隊を投入することを禁止し、しかもそれはアメリカの領土、財産、あるいはアメリカに対する攻撃など国家の緊急事態が生じたときに限る、とされている。見方を変えれば、60日間を限って、大統領のフリー・ハンドを認めたとも解される。

〜最近では、1989年のブッシュ(父)政権によるパナマへの米軍派遣(パナマ侵攻)が、戦争権限法に抵触するのではないかという問題が起こっている。

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