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“アメリカはたまに戦争に失敗する”の用語集
 

ベトナム反戦運動

良心的徴兵拒否

1971年版本誌収録。以下、

1967年の米選抜徴兵法では、宗教上の教義と信条から、すべての戦争に反対する者だけに徴兵の義務を免除しているが、特定の戦争に反対する宗教者に対しても、同様の措置をとるべきだという裁判所の判決が69年末、ベトナム戦争に反対して徴兵拒否したクエーカー教徒に下された。宗教上の立場から、正義の戦争か、不正義の戦争かを区別し、ベトナム戦争を“不正義の戦争”と判断した「個人の信条」が認められたことになる。

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国際ベトナム法廷

「南ベトナムにおける米国帝国主義の戦争犯罪を告発する委員会」では、1966年7月に「世界最大の戦争犯罪者」としての米国を非難する黒書を発表した。それによると、米国は、<1>侵略(戦争)の犯罪、<2>平和への犯罪、<3>人道への犯罪、を重ねている。その後北ベトナムにも同様の委員会が設置され、北爆による米国の戦争犯罪を告発した。これらの告発された事実に基づき「米国の戦争犯罪を告発する」国際法廷が、英国の哲学者バートランド・ラッセル卿によって提唱され、67年4月30日から5月10日まで、ストックホルムで開かれた。英国、フランス、日本その他の「ベトナムにおける戦争犯罪調査委員会」は、北ベトナム現地へ調査団を派遣し、それらの調査事実をもって国際法廷に参加し、南北ベトナムからも証人として被害者が出席して、ベトナムにおける米国の戦犯的事実を糾弾、世界の世論によびかけた。

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ベトナム反戦運動

1968年版本誌収録。以下、

ベトナムで「宣戦布告なき戦争」が急速に拡大されてゆくにつれ、米国ではベトナム戦争拡大反対の運動がいろいろな形であらわれている。はじめは徴兵の対象となるべき大学生の間で、夜を徹しての炸裂弾などによる婦人、子ども、老人などの死傷率の高いことも、米国国内の世論に大きく作用し、今後米国がさらに兵力を増強するとすれば、予備役動員が必至となり、米国の反戦運動がさらに高まることが予想される。

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10.21反戦デモ

1968年版本誌収録。以下、

ベトナム反戦をスローガンとした1967年10月21、22日の国際的な抗議・抵抗運動。総評の66年の10.21スト(世界労働運動史上初の反戦ストライキ)をきっかけに、米国の“ベトナム戦争終結のための全国動員委員会”の呼びかけに応じて世界的規模で行われた。ワシントン、ロンドン、パリ、西ベルリン、アムステルダム、コペンハーゲン、カルカッタ、東京などで連帯して反戦集会、抗議デモが行われ、特にワシントンでは15万人が参加、徴兵カードを焼き、国防省へ激しいデモをかけるなど、米国平和運動の新しい局面を開く盛り上がりをみせた。

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ティーチ・イン(teach-in)

1972年版本誌より。以下、

学園の中でお互いに意見を交わして理解と関心を深める---というほどの意味で、政府のベトナム政策に批判的なアメリカ学生、文化人、学者の間でベトナム問題について高まった集団討論の機運から、1965年4月、ミシガン大学で学園内の討論集会が開かれたのが始まり。これをきっかけに、全米各地で同様の試みが行われ、5月にはワシントンで全米学者集会が持たれた。この言葉はわが国にも輸入され、多くの大学でベトナム戦争をめぐる討論集会がティーチ・インの名で開かれた。

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