月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
経済のキーパーソンからキーワード
日本の経済を動かしているのはどんなひとなのか
執筆協力   編集工房インデックス

財務相・塩川正十郎

塩爺

国民にひろく知られる塩川のあだ名。議員の間では「塩さん」。命名者は不明だが、巨大BBS「2ちゃんねる」がその出どころらしい。ワイドショーなどでも取り上げられる人気ぶりで、塩川事務所には携帯ストラップなど、“塩爺グッズ”の申し込みも舞い込んだ。塩川はかつて「瞬間湯沸かし器」と呼ばれるほど短気で、自ら「私は塩っ辛い人間」と発言。

ページの先頭へ戻る

FORZA!塩爺!

FORZAは「頑張れ」の意。塩川の応援サイト。静岡県の会社員が、塩川の大臣就任会見を見て、その関西弁にひかれて立ち上げた。塩川人気の火付け役とされる同サイトでは、塩川は「小泉内閣が世に放つリーサルウェポン(最終兵器)」「史上最強のなごみ系癒し系大臣」。

「FORZA!塩爺!」 (http://www.amzak.net/shiojii/)

ページの先頭へ戻る

資産

2001年5月の小泉内閣閣僚の資産公開で、塩川は田中外相(当時)に次いで2位。土地資産だけで約5億4000万円(固定資産税課税標準額)に上る。塩川の祖父は大阪府会議員、父は布施市(現在の東大阪市)市長をつとめ、河内地方で代々続く庄屋の家系。昔は最寄りの駅から自宅まで他人の土地を踏まずに行けたという。

ページの先頭へ戻る

G7

主要七カ国財務相・中央銀行総裁会議。2002年2月、カナダのオタワで開かれた会議で、塩川は構造改革の促進とデフレ阻止を表明。2003年度の経済成長率を1%にするとの目標や、債券・株式の値上がり防止に尽力することを国際的に公約した。政府の試算による2003年度の経済成長率は0.6%。

ページの先頭へ戻る

当選回数

2001年の小泉内閣発足時の閣僚中では、最多の11回。ちなみに、第2位は小泉首相の10回。小泉内閣の閣僚人事については、これまで批判の多かった“当選回数至上主義”からの脱却が感じられ、そこが当初の人気をよんでいた。自民党の場合、当選5回目から閣僚になる資格を得て、実際6回以上の当選回数を重ねないと入閣できないのがふつうだったが、片山総務大臣(2回)、田中外務大臣(3回)、福田官房長官(4回)、石原行革担当大臣(4回)等であった。その意味では、塩川の11回は“重し”として適任といえた。塩川は布施市(現・東大阪市)の助役をつとめた後、1967年に衆議院初当選。以後連続して当選してきたが、1996年の選挙で落選。「瞬間湯沸かし器」(→「塩爺」)とよばれるほど短気だったのが、これを機に丸くなったとも。

ページの先頭へ戻る

連結納税制度

平成14年度税制改正の柱となる制度。企業グループ内(親会社とその100%子会社)各法人の所得と欠損を合算して法人税を課税するしくみ。グループ内の黒字企業の利益から赤字企業の損失を差し引くことで、グループ全体の税負担を軽くする。導入は任意に選択できる。企業の競争力を高め、経済を活性化させる意図。

ページの先頭へ戻る

東洋大学

1887年(明治20年)、井上円了(1858−1920)によって私立哲学館として創設。1906年、私立東洋大学と改称。「諸学の基礎は哲学にあり」が基本理念。男女共学の先駆的存在でもある。学部は文学部・経済学部・経営学部、国際地域学部、生命科学部、工学部など。塩川は1988-89年と89-2000年の間、同大学の理事長を務めた。同学には塩川の胸像がたっているという。

ページの先頭へ戻る

道路特定財源

現在、自動車やガソリンなどにかかる税金を一般の税と区別して、あらかじめ道路整備の財源に充てているもの。この税収によって道路整備の規模も決まるため、公共事業の“硬直的配分”であるとして批判を浴びる。小泉内閣ではこの使途を環境対策に広げるなどの見直しなどが課題となっている。塩川はこの見直しの推進役。

ページの先頭へ戻る

平成14年度予算

2002年3月27日成立。財務省は当初、税収・税外収入と国債の30兆円枠を合わせて一般会計の総額を84兆円とする方向だったが、税収が見込みを大幅に下回り、81兆2300億円に抑えた。国債の発行を30兆円にとどめるのは小泉首相の公約の一つだが、内閣府の試算では、平成15年度の国債発行額は34兆円になってしまうという。

ページの先頭へ戻る

「忘れてしまいました」

2001年5月15日の衆院予算委員会における質疑中、「宇野内閣の官房長官時代(1989年)に官房機密費を野党対策に使用した」と同年1月にテレビ番組で話していたことを指摘され、塩川は「忘れてしまいました」と答弁。22日に再びこの問題が取り上げられた折は「何であんなこと言うたのかなという気持ちでいっぱい」と発言。

ページの先頭へ戻る

3月危機

2002年2月6日、平均株価はバブル崩壊後最安値の9420円85銭を記録。株価大暴落などの「3月危機説」が信憑性を帯びてきた。しかし、株価は持ち直し、その後1万円台を超えた。塩川は記者会見において「あんた方(マスコミ)が勝手に作った幻の危機」「アホみたいなことばっかり言うて、もう本当に迷惑」などと放言。2、3月というのは徴税期にあたるため、昔から景気がよくないときや経済引締めの時期には、マスコミ・経済評論家によって「危機説」を唱えられやすい。塩川発言を遡る半世紀余前、「(中小企業の)5人や10人倒産し自殺しても…たいしたことはない」という類の放言を故・池田勇人首相(当時、通産大臣)がしたのも、ドッジ緊縮財政から生じた「3月危機説」の局面においてである。池田氏はこの発言を源に、その後1952年11月閣僚不信任案可決にまでいたる。

ページの先頭へ戻る

「勝手なことを言うな」

2002年4月、米国の有力格付け会社スタンダード&プアーズが、構造改革の遅れを理由として日本国債を1段階格下げのAA−(Aa3)とした。先進7カ国の中で単独最低、イスラエル国債・チェコ国債等と同格である。塩川は就任以来、たびたびその発言で物議をかもしてきたが(→「忘れてしまいました」、「3月危機」)、今回も「どういう数値があって途上国より低いのか。勝手なことを言うなと言いたい」などと不満を示した。ただし「見ているところは見ていると感じる」とも。
国政に携わって以来、経済に関する役職についたのが今次初めてであり、しかも高齢という塩川の発言に対して、常々経済評論家・関係者などは距離をおいているふうがあるが、この件、つまり米国会社の欧米びいき・日本ダメ論的な格付に対しての発言には同感のようだ。

ページの先頭へ戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS