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オリンピックの歴史に燦然と輝くキーパーソンからキーワード
 

カール・ルイス  Frederick Carlton Lewis

1961年アラバマ州生まれ。アメリカの陸上選手。

9個の金メダル

カール・ルイスは、ロサンゼルス、ソウル、バルセロナ、アトランタの計4回のオリンピックに出場した。ロサンゼルス大会での4個の金メダルをはじめとして、ソウル大会の100メートルと走り幅跳び、バルセロナ大会の400メートルリレーと走り幅跳び、アトランタでは走り幅跳びと、計9個の金メダルを手にした。選手生命としての峠を越えた35歳で迎えたアトランタでは国内選考会をようやく通過するなど、メダル獲得が危ぶまれていたが、8メートル50という全盛期を思わせる記録を残しみごと金メダルに輝いた。このメダルは史上2人目の同一種目4連勝にあたる快挙だった。

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商業オリンピック

商業主義のオリンピックの幕開けとなったのが1984年のロサンゼルス大会である。この大会からオリンピックの財政の拠り所は個人寄付やチケットの売上からテレビ放映権料と企業スポンサー料に替わった。そしてこの放映権料をつりあげ企業スポンサーを集めるうえで欠かせないのが、スーパースターの存在である。カール・ルイスはまさに商業オリンピックの到来と軌を一にするかのようにスターの座に登り、スポーツ用品メーカーやテレビCMとの契約で3億円の年収があったといわれる。

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ミズノ

日本が日露戦争に勝利した翌年の1906(明治39)年4月1日、水野利八と弟の利三により水野商店(現・ミズノ)が創業される。以来1世紀にわたり日本のスポーツ用品産業を牽引し、現在も世界有数のメーカーとして商品を供給する。また販売だけでなく、スポーツの振興にも大きく貢献している。

1991年の東京世界陸上でカール・ルイスは、100メートル走で9秒86の世界記録を出してみごと金メダルに輝いた。その成功を支えた存在のひとつがミズノ。ミズノは1987年にカール・ルイスと広告契約をし、彼が望む軽くて裸足感覚で走れるシューズの開発に着手し、東京世界陸上ではルイスに片足約120グラムのシューズ(平均は180〜200グラム)を提供したのである。その後さらに磨きをかけ115グラムを実現している。

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ベン・ジョンソン

1988年のソウル・オリンピックでは、2連覇がかかるカール・ルイスと、9秒83という世界記録を打ち立てたベン・ジョンソンの対決に世界中が注目した。結果は距離にして1.5メートルの大差をつけ、さらに9秒79という驚異的な世界記録を樹立したベン・ジョンソンの圧倒的な勝利だった。そして多くの者が彼をスーパースターとして迎えるはずだった。しかし、2日後に筋肉増強剤の使用が発覚し、その翌日にベン・ジョンソンの金メダルは剥奪され、記録も抹消された。

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マイク・パウエル

マイク・パウエルは、ロサンゼルス・オリンピック以来、走り幅跳びで実力がありながらカール・ルイスというスターの陰に隠れていた。しかし、1991年の東京世界陸上では死闘の末、8メートル95というそれまで23年間も破られることのなかった世界記録を塗り替え、ルイスの連勝記録を65でストップさせた。翌年のバルセロナ・オリンピックでは金メダルと夢の9メートル台が期待されたが、大きな重圧の前にルイスに敗れ、結果的にルイス現役引退に花を添える形となってしまう。

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カール君

日本でも、陸上に興味があるか否かに限らず、カール・ルイスは知らない人はいないぐらいに人気があった。1985年に始まった「ビートたけしのスポーツ大将」というバラエティ番組では、番組で募集した一般視聴者を含めて多くの人が「カール君」というレールの上を走る人形と100メートル走を競うという企画があった。もちろんカール君とはカール・ルイスをモデルに作ったものに他ならない。その後、挑戦者とのバランスを考えた「小カール君」や「小カール君ターボ」も登場している。

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