月刊基礎知識
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ドミノなお話の用語集
 

社会の中の連鎖

循環完結の工学

1972年版本誌掲載。以下、

産業廃棄物、生活廃棄物の総量は、工業化の進展、生活水準の向上とともに指数関数的に増大しつつある。そしてこの増大する廃棄物は過去のある時点で自然のもつ浄化力の許容限界を越えてしまった。自然の浄化力を上回る廃棄物は、環境に累積し、人間環境の質を劣悪化する。

ところで、これまでの技術はどちらかというと生産技術中心であって、廃棄物をどう処理するか、これをどう再利用するかというような分野については決して十分な取組みがなされてこなかった。しかし、地球資源が有限であり、廃棄物の処理も自然の浄化力に依拠しているわけにはいかないということから、廃棄物処理の技術、分解の技術、破壊工学などが注目されるようになってきた。

この分野の研究開発が進めば、物質の利用のループはいわば循環が完結することになるということから、こうした技術上の努力を循環完結の工学をめざすと表現している。

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北京の蝶

北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起きるというたとえ。シミュレーションでは初期条件の数値をほんの少し変えただけで、大幅に異なる結果が出るということ。現在は一見無関係に見える意外な因果関係や、初期の小さな事柄が予測できないほど大きな結果を招く連鎖性などのたとえに使われることが多い。本来は予測の困難性をたとえる話。

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アダルト・チャイルド/AC  adult-child

1997年版本誌掲載。以下、

ACとは、アルコール依存や嗜癖行動などが主な原因で家庭の機能が破壊された中で育った「成人した子供」である。彼らは、機能不全に陥った家庭の中で、精神的・肉体的に虐待されながらも、子供には荷の重すぎる両親間の調整役や家庭維持役までも受け持つことで必死に生きようとした結果、不健全な適応ルールを体得してしまう。それが、成人してからの社会生活や家庭生活に無意識かつ強力に持ち込まれ、かつての親と同じような問題を起こしてしまう(世代間伝播現象)。家庭関係の修復の中で、記憶の底に抑圧されたそうした過去に気づき、意味づけを変えることで癒されるとされる。

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アナウンス効果  announcement effect

2003年版本誌掲載。以下、

アナウンスメント効果ともいう。候補者や政党が現在おかれている状況についての情勢報道が、有権者の投票意図や投票行動に、なんらかの変化をもたらすこと。例えば、選挙の予測報道で、優勢と報じられた候補者にさらに票が集まる「勝ち馬効果」や、逆に苦戦と伝えられた候補者に判官びいきで票が集まる「負け犬効果」などが考えられている。アナウンス効果は存在しないとする説もある。

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知のマイナス・スパイラル

2003年版本誌掲載。以下、

「ドイツの子どもは劣等生?」というショッキングな見出しのニュースが報じられたのは2001(平成13)年の12月だった。世界32カ国の15歳の男女を対象にOECD(経済協力開発機構)が行った、「生徒の学習到達度調査」の結果である。ドイツの子どもたちは、読解力のテストで順位にして21位、数学的リテラシー(応用力)で20位、科学的リテラシーでも20位で、すべてOECDの平均点よりも低く、先進国の中では最低だった。同じ調査で日本の子どもは、読解力で8位、数学で1位(2位は韓国)、科学ではトップの韓国に次いで2位だった。ドイツの低迷ぶりとは対照的に日本がトップグループに入ったこの調査結果は話題になった。「ゆとり教育」をめざして新学習指導要領をうちだそうとしていた文部科学省にとっては、この好成績は追い風である。またマスメディアが、「日本の応用力はトップクラス」を見出しにしたことはいうまでもない。しかしOECDのもう1つの調査結果と照合されることはなかった。もう1つの調査結果とは、1997年にOECDが発表した報告書、「一般社会と科学・技術(Science and Technology in the Public Eye)」である。先進14カ国の成人を対象に行ったこの聞き取り調査において、日本はほとんど最低を記録している。「一般市民の科学知識」では、基礎的な科学用語や研究内容に関する質問に対し、「深い知識がある」、あるいは「ある程度の知識がある」と答えた人の割合は、最下位のポルトガルより辛うじて高い13位だった。また科学技術に対する知識や関心の度合いについては、「関心がある」、または「注目している」と答えた人の割合は14位、すなわち先進国中の最下位である。それもアメリカやフランスなどとは比較にならない、遠く離れた最下位だった。問題とすべきは、この落差である。子どものころは数学の理解力も科学の理解力も世界のトップクラスでありながら、成人になると知識も関心もなくなるという現実こそ、問題とすべきであろう。子どもたち、すなわち調査の対象となった15歳男女の“好成績”を支えているのが、高校入試の受験勉強の結果であって、好きだから学んでいるのではないことは、ほとんど明らかだろう。さらに日本では多くの場合、高校の段階で理系と文系に分けた教育内容となる。そして圧倒的に多くの生徒たちが、数学が嫌いだから、物理が嫌いだからという消去法により、文系を選択する。また大学の理工系学部でさえも、入試科目から物理や化学をはずしてしまう。彼らが社会へ出て、科学技術に関心も知識もない成人となることは、ほとんど自動的といってよいだろう。その成人の中に、両親や小中学校の教師、そしてマスメディアも含まれていることはいうまでもない。こうしたなかで子どもたちは育つのである。いかに「子どもはみんな科学が大好き」といっても、その芽を成長させる環境ではない。ここで重要なのがマスメディアの役割なのだが、残念ながら日本には科学技術ジャーナリズムとよべるほどの文化は存在しない。日本の科学技術ジャーナリズム最大の弱点は、そのほとんどが新聞社内の一部となっていることである。そのため「寄らば大樹の陰」から抜け出せず、やっかいなことには手を染めない、難しいことには足を踏み出さないという感覚が根強い。結果的に科学技術に対する取組みが弱く、「しきい値」を下げることで読者受けをねらい、それによって日本人の知識と関心が低下し、さらにまたマスメディアがしきい値を下げるというマイナスのスパイラルに落ち込んでいる。ロケットや衛星の問題、また原子力や医療の問題に対する場当たり的な報道が、それを物語っている。現象面にのみこだわり、根本的な問題にまで掘り下げて目を向けようとしないのは、科学技術ジャーナリズムの欠如以外の何物でもない。そういうなかで原発の設置をめぐって投票が行われ、新しい産業を立ち上げて技術立国をめざそうという空しい掛け声があがっているのである。ドイツの子どもたちの学力低下は、日本と同様に「ゆとり教育」に重点をおいた結果だといわれている。知識というものは、偏ってはならない。自然科学・人文科学・社会科学にまたがるものでなければならない。

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沈黙の螺旋階段  spiral of silence

2004年版本誌掲載。

意見の対立する社会的な問題があったとき、一般に、多数意見のほうがおおっぴらに意見を公言しやすい。すると、それに影響されて多数派はますます増えて勢いづき、逆に少数派はますます減って沈黙しがちとなる。

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