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秋から冬にかけてますます気になる食のキーパーソンからキーワード
 

中島武(なかじまたけし)

1948年東京都福生市生まれ。際コーポレーション代表取締役。中華料理チェーン「紅虎餃子房」をはじめとした外食産業の革新的な経営者として、その発言は大きな影響力を持っている。

際コーポレーション(きわコーポレーション)

中島が代表取締役をつとめる株式会社。1990年12月設立。資本金は4億6600万円。紅虎餃子房や萬力屋といった中華・麺レストランをはじめ、日本料理・イタリア・エスニック料理店を幅広く経営。また、衣料品や日用雑貨などの販売、卸売なども手がける一大グループである。グループ全体での店舗は200を超える。

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拓殖大学

1900年創立の台湾協会学校を母体に、1918年、拓殖大学と改称。創立者は長州藩出身の首相経験者・桂太郎(1847〜1913)。中島は1970年に同大商学部を卒業。高校から大学まで7年間にわたって応援団に所属、最終学年では団長として350名以上の団員を統率した。

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福生(ふっさ)

東京都福生市、中島の出身地。人口約6万2000人(2003年1月現在)。行政面積の32%を米軍横田基地が占める。外国文化にふれて育った中島は、次第にファッションや食に対して興味をもつようになった。 大学卒業後、東急航空を経て東洋ファクタリングに入社したが1983年に退職し、デモデトレーディングを設立、 福生で衣料品の輸入卸を開始した。

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紅虎餃子房(べにとらぎょうざぼう)

中島は1990年12月に際コーポレーションを設立、「紅虎餃子房」「胡同四合坊(ふーとんすーふぉーふぁん)」「虎萬元(とらまんげん)」「胡同MANDARIN(ふーとんまんだりん)」などの中国料理店、イタリアン、エスニック料理店などを経営。特に紅虎餃子房は全国で80店舗以上を擁する一大チェーンであり、「カジュアル・チャイニーズ」がコンセプト。中国の路地裏をイメージさせる内装と手ごろな価格で中華料理が楽しめる。鉄鍋棒餃子が人気メニュー。

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鉄鍋棒餃子

紅虎餃子房の名物料理。熱した鉄鍋の上に、焼きたての細長い棒状の餃子が乗せられて出される。値段は5本で500円。具は中国醤油でしっかり下味がつけられているので、そのままで味わってみることを店員に勧められる。具の山くらげの食感を好む人も多い。

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行列のできる店

行列ができるということが飲食店のステイタスとなって久しいが、紅虎餃子房など、中島が携わる飲食店もしばしば行列ができる店として取り上げられる。99年、銀座三越のならびに紅虎がオープンしたときは先行きが注目されたが、1人前数万円の高級割烹があるビルで、平均客単価3000円弱で勝負を挑み、程なく行列のできる店になった。

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ロータスパーク

営団地下鉄東西線・木場駅近くの再開発事業、深川ギャザリアの第2期として4階建てのプラザ棟が2002年10月17日に竣工。1、2階が飲食ゾーンの「ロータスパーク」となり、この環境プロデュースを中島が行った。東西文化の融合がテーマで、上海をイメージ。中島自ら上海を何度か視察し、構想を練ったという。入居14店のうち、際コーポレーションは「紅虎餃子房」「万豚記(わんつーちい)」「葱や平吉(ねぎやへいきち)」など6店を出店した。

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出店計画

際コーポレーションは直営店を機軸に、フランチャイズ店と直営店のバランスをとりながら出店計画を立案。加工食品を使用せず、あくまで店舗内での調理が原則という。現在は、麺専門店、麺飯専門店、鉄鍋餃子と中国家常菜、中国専門料理店の4業態についてフランチャイズ及び業務提携を行っている。申込者は資格審査を受けた後、予定店舗、概略予算、スケジュールなどについて打ち合わせ、契約を結ぶ。本部は立地調査、店舗設計、メニュー開発、コックの研修などを担当。

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木村正(きむらただし)

1949年東京生まれ。都立田無工業高校卒業。商船航空サービスなどを経て、90年、サザビー入社。キハチエンドエスに出向。94年、ヒューマックスの招請を受け、店舗のスクラップ・アンド・ビルドに取り組む。99年12月、ポットラック代表取締役社長に就任。ポットラックは、際コーポレーションと日商インターライフが中心となって設立した会社で、不採算店の再生事業に取り組む。また、中島と木村は、共同で焼酎ダイニングバー「焼酎本山魚鐵火(しょうちゅうほんざんうおてっか)」を人気店舗に育て上げた。現在は(有)プロスペックフーズ代表。 

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柴田陽子(しばたようこ)

1971年神奈川県生まれ。短大を卒業後、シカゴのカレッジでマーケティングを専攻。帰国後WDI(「ハードロック・カフェ」などを展開)に入社。役員秘書を3年間務め、シュウ・ウエムラシステムに出向。2000年12月からWDIの事業開発部で新規レストラン事業の開発を担当し、「レインボーロールスシ」「シドニーブルー」などの店舗を人気店に。退社後、中島が設立した飲食ビジネス支援会社「イート・スタンダード」の取締役に。

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