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阪神タイガースが強い、名古屋だけ好景気…ということに
―― 大阪と名古屋その他を考えるの用語集
 

大阪経済が地盤沈下するのは何か間違っている

船場学校

松下幸之助も自らの船場での奉公時代をこう表現している。

上方商人の3要素は、始末・才覚・算用。いまの言葉でいえば、「始末」はムダを省いて節約する一方で必要な投資は惜しまないこと、「才覚」はアイディアと戦略、「算用」はコスト計算にあたる。また船場の気風としての開拓・挑戦の精神と独立自営の精神、そして商人の基本としての挨拶・立ち居振る舞い。高等小学校や中学をでたばかりの丁稚は、毎日、一日中みっちりとこれらを叩き込まれた。もちろん住み込みで、もちろんすべてが(現在の言葉で言うところの)OJTである。

経営の神様とよばれるほどの創業社長は、こういう“学校”で学んできている。最近の「学士様」風情が、足元にも及ばないのは道理だ。

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船場商人

船場商人の原形をつくったのは太閤秀吉。大坂を商都とすべく、京都より伏見商人、堺より堺商人、河内より平野商人を集めてきたのが起こりで、この3者を総称して船場商人という。メイン商品は、伏見系が繊維、堺・平野系は薬品等(道修町が日本一の薬品会社の街となっているのはこれが発祥)。

この時代から昭和のはじめに至るまで商人街を支えていたのが、丁稚奉公制度で、厳しい修業と独立・暖簾分けという仕組みが活力のであった(→船場学校)。

「お客様をなにより大切にする」「人にたよらない、自分でやる」「逆境に負けない」などの気風は船場商法とよばれて、現在これを知ろうと思えば、船場の老舗卸「和田哲」社長・和田亮介氏の著書「扇子商法」「船場の目」「船場からくさ」等々に詳しい。

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松下幸之助

1894-1989。経営の神様にして、松下電器産業はじめ松下グループの創業者。和歌山県和佐村の生まれであるが、大阪・船場で丁稚奉公、大阪市内で独立開業し、現在も松下電器の本社が府下・門真市にあるという、大阪にゆかりの深いひと。ともすればガメツい、ケチだという大阪人イメージとは正反対に、大阪駅前の新梅田大歩道橋から東京浅草寺・雷門の大提灯まで、数々の寄付・寄進や、PHP研究所や松下政経塾を創設も行った、志の高い偉いひと。1987年には勲一等旭日桐花大綬章を受けた。

丁稚奉公から世界的な企業グループを築き上げ、今太閤ともよばれた。

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家電王国

松下電器産業、三洋電機、シャープを御三家とする関西電器メーカーの特色は、家電中心のラインナップ。東芝や日立、富士通といった関東系メーカーが産業用機器や公共事業需要に大きな比重をおいているのとは対照的で、「関西は家電王国」といわれる。

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大阪資本/関西資本

生活雑貨、食品、家電等々の産業がさかんな大阪は、その経済的地位に比してお茶の間になじみが深い。主な大阪・関西資本の企業は以下の通り。松下電器、サンヨー、シャープの家電御三家。タケダ、タナベ、シオノギの製薬大手3社のほか、ロート、参天製薬や森下仁丹まで。カネボウ、旭化成、サンスター、積水化学。日ハム、伊藤ハム、丸大食品のハム大手3社(大手のもう1社プリマは東京)。日清食品、グリコ、ハウス食品、大塚食品。富士フィルム、サクラクレパス、日本ペイント、関西ペイント。ダスキン、公文式、小僧寿し…。

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関西文化学術研究都市(けいはんな学研都市)

本誌1997年版収録

この構想は大阪、京都、奈良3府県にまたがる京阪奈丘陵の1万5410ヘクタールを開発し、高度な学術・研究施設、情報センター、国際交流施設、先端技術産業などを配置、21世紀をにらんだ新しいモデル都市を建設しようとするものである。中心街路として東西、南北各7本を建設し、「新条里都市」を目指す。すでに、同志社大学、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)、イオン工学センターなど、いくつもの施設ができている。計画人口38万。1986(昭和61)年に3府県の行政、経済界、学界で組織する「関西文化学術研究都市建設推進機構」が発足し、産官学が一体となった推進母体が整い、関西新空港に次ぐ関西復権の「目玉」としたい考えである。88年3月、政府に承認された。筑波が、国立研究所群、自然科学研究領域が主体なのに対し、こちらは民間主導で自然科学だけでなく、社会科学、人文科学の分野に大幅に広げたところに特色がある。

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京阪神整備計画

本誌1984年版収録

京阪神の整備を国と自治体が総合的に進めるため京阪神地域総合整備推進計画がまとまった。大阪府、京都府、兵庫県、奈良県を対象に都市機能、学術研究都市、広域防災基地、先端産業都市、歴史と文化の森などの整備を決めている。首都圏整備計画に対応するものであるが、関西らしく社寺などの歴史的遺産と背景の自然を一体として整え、「山の辺の道」や「川の辺の道」をつなぐといった歴史風土を生かした地域作りに特色がある。

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大阪主義

本誌1988年版収録

電通の『アドバタイジング』が花の大阪万博を語ったかと思ったら、博報堂の雑誌『広告』は、大阪主義の特集をしている。東京論ブームのつぎは、どうやら大阪及び大阪人ということになるらしい。朝日新聞で「東京に魅力を感じますか」という世論調査を行ったが、大阪の人は81%が「感じない」と答え、「感じる」人はわずか16%であった。若い人には魅力を感じる人がやや多く、20代前半の女性の半数近くは魅力を感じている。彼らにとって東京は何よりもまず情報源なのである。そもそも大阪とは?となると、<1>背広族をお好み焼き屋へ誘うことのできる街、<2>昔から自由の土壌があり、わしらでつくろうという精神が生きている、<3>大阪人の個性は大阪弁と共にある、<4>東京は体裁や面子にこだわるが、大阪は中身にこだわるなど特集大阪主義には、各界の発言が続々出ている。「それで、何ぼやねん」というのが大阪の体質だとよくいわれるが、大阪から広まったものに若者のリサイクル運動があり、手持ちの衣服の仕立て直しを考えるリフォーム運動もあった。「関東大震災の時、湿気の多い日本の夏に、あのアッパッパをつくった大阪の無名のオバハンは文化勲章ものや」というのは、故花森安治の持論であった。

※大阪経済の低迷とは裏腹に、マスコミ・広告業界における大阪ブームはずっと継続している。

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